夏休み期間中の8月2日、3日と長野県上田市へ旅行に行ってきました。上田というと、真田幸村が主人公の大河ドラマ「真田丸」で盛り上がる真田の里として知られていますが、今回は手塚ファンとしての目的も兼ねていました。実は長野県上田市は、平安時代末期の武将・手塚太郎金刺光盛とその一族が居を構えていた土地なんだそうです。手塚太郎光盛は、手塚治虫の先祖にあたり、『火の鳥 乱世編』に木曽義仲に火の鳥が見つかったと進言するワンシーンで登場します。
上田駅前の真田幸村像の前で
上田駅前の真田幸村像の前で、夫婦で記念撮影
左:上原榮治さん 右:松原光昭さん
左:上原榮治さん、右:松原光昭さん

手塚家のルーツについては、『陽だまりの樹』のもとになった深瀬泰旦氏の論文で言及され、過去の文献が多数あることもあり、今まで何となくは知っていたのですが、詳しく知るきっかけとなったのが、2016年2月12日放送のNHK「ファミリーヒストリー」でした。番組によると、長野県上田市には、「手塚」という集落があり、その地名から「手塚氏」と言われるようになったとのこと。また、須川地区には「手塚姓」の家族が今も多数存在するそうです。「手塚家祖先の墓所にご案内したいので、是非上田までお越しください」という上田市在住の手塚ファン・松原光昭さんの強いお誘いもあり、今回の上田旅行と相成ったわけです。松原さんの紹介で、8月2日の晩に初めてお会いしたのが『手塚太郎金刺光盛―手塚一族の後裔はどこへ?―』の著者・上原榮治さん。上原さんは、母方姓が「手塚」でご自身の先祖が手塚光盛だそうです。ご著書を執筆する過程で、手塚光盛の子孫の一人が手塚治虫であったことを知ったそうです。

手塚太郎金刺光盛 上原さんの本
上原榮治さんの著書『手塚太郎金刺光盛―手塚一族の後裔はどこへ?―』
手塚治虫の系図 上原さんの本

上田駅前のホテルに宿泊し、翌朝、松原さん、上原さんと待ち合わせ。手塚家祖先の墓所がある須川地区まで車で向かいました。母方の実家が須川地区にあった上原さんにとっては馴染みの場所で、近くには須川湖があり、小学生の頃、夏は水泳、冬はスケートをして遊んだそうです。須川公民館の前で車を止め、小高い丘陵地を登ると、たくさんの古い墓石が並んでいて、それが手塚家の墓所でした。

須川湖
須川湖
手塚家祖先の墓
手塚家祖先の墓

手塚太郎光盛は、一族の命運を木曽義仲に懸けていたため、1184年の粟津の戦いで木曽義仲が敗死した後、源頼朝に田畑家屋敷を没収され、一族は手塚地区から須川地区に落ち延びたそうです。落人(おちうど)となったため「手塚」の名前を出すことをはばかり、暮石には「手塚」の文字は書かれなかったそうです。
上田の地図西側 上原さんの本上田の地図東側 上原さんの本
上田市~塩田平周辺地図
『手塚太郎金刺光盛―手塚一族の後裔はどこへ?―』より

手塚光盛の墓に献花 松原さん上原さん
手塚光盛の墓に献花
手塚光盛の墓の前で
上原榮治さん

お線香とお花を手向け、4人でしばしお参り。手塚ファンであることが縁で、800年前の手塚家のルーツをたどることになるとは、とても不思議な縁だと思いました。
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森晴路さん1新座手塚プロ
森晴路さん(手塚プロダクション新座スタジオにて。2014年7月21日)

4月14日、手塚プロダクション資料室長の森晴路さんの訃報を受けました。森晴路さんに初めてお会いしたのは19年前。高校の卒業旅行と称して、ファンクラブの代表の和久千賀さんを頼り、手塚プロダクション新座スタジオを訪問しました。当時のファンクラブ事務局は資料室と同室で、その時に森さんに挨拶したのが最初でした。

2006年、復活第1回の手塚治虫ファン大会で再会し、以後、10人くらいの手塚ファン仲間で年に2、3回、東京で集まり、めずらしい手塚先生の未収録漫画や手塚イベントについて、毎回3時間は手塚談義に華を咲かす飲み仲間でした。

昨年、2015年2月に治虫忌に因んだイベント、ナカノシマ大学「街から読み解く手塚治虫」を開催した時、「びっくりさせようと思った」と言って、埼玉から大阪まで4時間半かけて来て下さったのが忘れがたい思い出です。この時、森さんが録画テープを提供して下さったのが、1985年3月21日に読売テレビで放送された「11PM 手塚治虫NANIWAグラフィティ」。手塚先生が電気科学館のプラネタリウムを自ら操作する貴重な映像を、後継施設の大阪市立科学館で30年ぶりに上映できる、という奇跡のようなイベントを実現できたのも、森さんのおかげでした。

手塚治虫ファン大会では、マニアックな質問に森さんが答えるという「森さんに聞け」コーナーが、ここ数年の恒例で、欠かせない存在でした。そして、昨年の12月の手塚ファン大会でお会いしたのが最後となりました。

新座駅 アトム

突然の森さんの訃報に眠れないまま新幹線に乗り、私は新座に向かいました。

森晴路さんご葬儀2

会場には「創作ノート」「手塚治虫原画の秘密」「図説 鉄腕アトム」など、森さんが手がけた本が飾られていました。ご葬儀は「ジャングル大帝」のBGMと共にしめやかに行われました。松谷社長の弔辞は「まさか僕があなたを送ることになるとはね。だいたい、あなたは写真だってちゃんとしたのを用意してないじゃないですか。この写真、探すの大変だったんだよ。」と、森さんに語り掛けるような言葉でした。
森晴路さんご葬儀4
森晴路さんご葬儀3


ご葬儀会場で、手塚先生の元アシスタントで「手塚治虫物語」の作者である伴俊男さんと、90年代にファンクラブ事務局を務めて下さっていた和久千賀さんに再会できて嬉しかったです。そして、和久さんに現在の「手塚ファンマガジン」会誌編集の和田収さんを紹介できました。森さんがファンクラブ草創期を築いた1971年の「虫のしらせ」から脈々と受け継がれている、手塚治虫ファンクラブの輪を感じました。まさしく森さんが引き合わせて下さった縁だと思いました。

ここ数年、感じていることですが、「手塚治虫が歴史になってしまう」ことを危惧しています。手塚先生と縁のあった方の訃報を聞くたびに、自身の無力感と同時に「手塚治虫はまだ歴史ではない」「手塚治虫を歴史にしてはいけない」との思いを常々持っています。
森晴路さんご葬儀6
森晴路さんご葬儀7
森晴路さんご葬儀8
森晴路さんご葬儀9
森晴路さんご葬儀10

森晴路さんは今年の正月にサンテレビで放送された「少年・手塚治虫の宝塚」の冒頭でこう言っていました。
「先生って天才だとよく言われるんですけど僕は努力の人だと思うんです。」
その手塚先生の努力を支えたのは森さんの地道な努力。手塚先生亡き後の手塚漫画を守り続けたのは森さんだったと思います。

森晴路さんご葬儀5
森晴路さんご葬儀1
手塚サル年賀 2016

あけましておめでとうございます。
旧年中はお世話になりありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2016年 元旦
田浦誠治・紀子
「サブカルポップマガジン まぐま vol.20 手塚治虫と戦後70年」が発刊されます。
手塚るみ子さんや手塚先生の元アシスタントの三浦みつるさんなど、先生を直接知る方のエッセイから、研究者による論考まで、幅広い寄稿者がそれぞれの「手塚治虫」を語っています。
私も「阪急文化と手塚治虫」という論文を寄稿しております。
内容は、「虫ん坊」10月号に投稿したのと同内容です。
http://tezukaosamu.net/jp/mushi/201510/post.html

まぐま表紙

12月31日のコミックマーケットで先行発売後、1月20日頃一般発売予定です。
是非ともご購読ください。


コミックマーケット89
日時:12月31日(木) 10:00~16:00
会場:東京ビッグサイト(東京国際展示場)
サークル名:STUDIO ZERO
ブース番号:東5ホール ピ44b

書店にて【開発社】へご注文ください(1月20日~)
発売/開発社 TEL 03-3983-6052

通販にて蒼天社で取り扱っております
発行/蒼天社 TEL&FAX 0463-72-6601
蒼天社ホームページ
http://www002.upp.so-net.ne.jp/sohtensya/




サブカルポップマガジンまぐま vol.20手塚治虫と戦後70年
定価700円+税

目次
手塚治虫と戦後70年―「人生」に多大な影響を及ぼす、そのマンガ世界
もしもタイムマシンがあったなら / 手塚るみ子
地域のなかの「トキワ荘」史
~「てっさん」と呼ばれ、親しまれた手塚治虫 / トキワ荘通り住人・K
〝トキワ荘〟最後の入居者が語る〟静かなトキワ荘 / 向さすけ
君は『メトロポリス』を観たか?/どろろ 漫画と映画のあいだに / 新井啓介
ジャングル大帝」のレオは、なぜ色が白い / 竹内オサム
アシスタント時代の思い出 / 三浦みつる
手塚治虫と手塚先生と、ボクと僕。 / 川口貴弘
民話調手塚マンガ『はなたれ浄土』を読む / 稲垣高広
トランスセクシャルと手塚治虫 / 新井啓介
阪急文化と手塚治虫 / 田浦紀子
『ゆとり世代から見た手塚治虫』 / 佃賢一
私の「新寶島」の頃 / 田村幸生
永島慎二さんとの思い出 ―虫プロに在籍したダンさんとの日々 / 野谷真治
鉄腕アトムは実はテレビだった ――「透明巨人の巻」をめぐって / キム・ジュニアン
2つの「ブラックジャック」を読む / 小山昌宏
瞳の中の訪問者 手塚治虫本を読む
宮崎駿の手塚治虫批判について考えながら『千と千尋と神隠し』を劇場で観た / 新井啓介
ヴィスコンティの自画像を求めて(6)―退廃の美しさに彩られた孤独の肖像 / 梅田浩一
編集後記
表紙イラスト・構成:松田優花
ガールズ&ラブリー@芦屋大丸1

10月11日、大丸芦屋店で開催中の「手塚治虫ガールズ&ラブリー版画展」へ行ってきました。手塚作品の中でも、特に少女マンガにスポットをあてた展覧会で「リボンの騎士」「双子の騎士」「エンゼルの丘」「野ばらの精」「火の鳥・未来編」「あけぼのさん」「虹のとりで」「びいこちゃん」など可憐で美しいキャラクター達にスポットを当てた展覧会でした。

午後2時より手塚るみ子さんのトークショー。
1950年代~1960年代の手塚少女漫画の原稿は、手塚プロにも現存していないものが多いそうです。
「ブラック・ジャック」のピノコちゃんは、るみ子さんがモデルと言われていますが、るみ子さんが生まれる以前・・・1960年代前半までの手塚少女漫画は“少女達が思い描く理想の主人公”だったのに対して、1970年代1980年代の手塚少女キャラクターはピノコや「ブッキラによろしく」のトロ子のように癖があるけれども愛されるキャラ立ちしたものが多くなったという印象。実娘という身近な存在が出来たことによって、手塚先生の描く少女たちに変化が生まれたのかな、と思いました。

特に盛り上がった話が、講談社手塚治虫全集で未収録になった「野ばらよいつ歌う」について。1960年12月号~1961年4月20日号まで「少女サンデー」に連載されたものの、未完に終わった少女漫画で、私は高校生の頃、この作品がどうしても読みたくて随分苦労してコピーを入手した覚えがあります。とにもかくにも絵が可愛らしい。ドイツの音楽家のクララ・シューマンを主人公にした作品なのですが、短い期間で連載が中断してしまい、かなり長い間、幻の手塚作品だったのでした。のちに2005年にジェネオンから発行された「手塚治虫カラー秘蔵作品集」に収録。私の母がドイツ語の教師であった関係で、小学4年、中学3年、大学1年の夏休みにドイツに旅行に行ったことがあるのですが、その時に手にしていた紙幣がクララ・シューマンだった記憶があります。後で調べたら、ユーロに貨幣統一される以前のドイツの最後の100マルク紙幣のデザインがクララ・シューマンでした。のちに「アドルフに告ぐ」や「ルードウィヒ・B」などドイツを舞台にした手塚作品が生まれますが、1960年代からすでにドイツを舞台にした大河ドラマを手塚先生は描いていたわけですね。本当に未完の作品なのが惜しい。

1時間のトークショーはあっと言う間に終了し、るみ子さんと一緒に記念撮影。作品をひとおり見て、シンアンドカンパニーのアトムグッズを購入した後、るみ子さんからお茶に誘われ、ごんぱしんさんと私ども夫婦と4人で神戸風月堂の喫茶店へ。
「マコとルミとチイ」は何パーセントくらい実話なんですか?なんて質問をしたり、手塚話は尽きることなく、2時間半手塚談義。

私の関心はやはり「アドルフに告ぐ」の創作の背景でした。
るみ子さんは、手塚先生が仕事で関わった「ポートピア'81」(1981年開催の神戸ポートアイランド博覧会)で初めて家族で神戸に行き、この時、手塚先生に神戸の異人館などを案内してもらったとのこと。それ以降、神戸は大好きな街になり、以後何度も行くようになったと。るみ子さんの祖父である手塚粲さんは、昭和16(1941)年、丹平写真倶楽部のメンバーと共に神戸の亡命ユダヤ人の写真も撮影していて、父は祖父からその話も聞いていただろうと。なるほど、「アドルフに告ぐ」の連載は1983年からですから、思い出の地・神戸を舞台にした作品を、という思いは長年持っていたのかもしれませんね。

手塚治虫ファンクラブで知り合って結婚した私ども夫婦の馴れ初めから、最初に読んだ手塚漫画などまで聞いていただきました。本当に濃い手塚な一日を過ごさせていただき嬉しかったです。ありがとうございました。



以下は夫の日記より同日のレポートです。

ガールズ&ラブリー@芦屋大丸

嫁さんに連れられて芦屋の大丸へ。
手塚カラー画の版画展示販売で、その中に特に手塚少女マンガの可愛らしい版画を厳選して展示する一画があり、その仕掛け人が手塚るみ子さん。
タイトルも「手塚ガールズ&ラブリー版画展」で、その販促も兼ねたトークショーイベントが開催された。

るみ子さんは、シックな黒いハットにイエローベースの落ち着いたレギンスに黒いパンツと、オシャレな出で立ち。
一方浦メは、最初いつものヨレヨレのズボンにTシャツで出かけんとした。
しかし嫁に、無理矢理ユニクロ謹製「ジャングル大帝」Tシャツ&胸ポケットにスカーフをあしらったベージュのジャケット、卸したてのGパンに着替えさせられちまった。

るみ子さんは喋りも流暢。しかも台本をスラスラではなく、セレクトした少女原画をそれぞれ「自分の言葉で」解説してはった。
つまりこれは、後で嫁も言うておったが、作品に対する“愛”が迸っておったという事。
例えば『エンゼルの丘』の猿とオウムに対するLOVE度などに、るみ子さんの愛をひしひし感じた。

話の中で他に印象に残ったのは、手塚先生がピアノ独学であったという事。
前から先生がピアノを弾かれるのは知っていたが、師についた事もなく、学校に通った事もなく、完全に独学だったとわ!
そういえば年譜見ても、どこにも音楽を習ったとか、習いに行ったなんて一文はなかったな。家にあったレコードなんかを聴いて覚えたんだとか。だから先生は楽譜は読めなかったとか。まるでウェス・モンゴメリーやがな。
これがホントの「耳学問」・・・いや、音楽やから「耳楽問」か。

手塚るみ子さんと@芦屋大丸
トークショー終了後、るみ子さんと記念撮影。
それから少女マンガ版画を眺め、その色彩の美しさにうっとり。定番のリボン、エンゼル以外にも『鳥よせ少女』『虹のとりで』『孔雀貝』に『びいこちゃん』・・・。やっぱええなぁ~、60年代までのカラー手塚漫画わ。

すると、控室から出てきて帰ろうとしてたるみ子さんが我等を見つけ、お茶に誘って下さった。
嫁が間髪入れず「ハイ喜んで!」
こういう時ウチの嫁は遠慮を知らない。

そんなワケで、大丸の中の風月堂でケーキセットを戴きながら、手塚談義に花を咲かせまくった。
途中ウウェイターが、もう帰れとあがりを持ってきた。
にも拘らず話は尽きる事なし。延々2時間半。
るみ子さんは本当に話し好きな人なんやな。しかしその人柄に好感を持ったぜよ。

先日アップした8月4、5日の江戸表下向始末の続き。

江戸下向の際の定宿・東京グリーンパレスで、いつものブレックファーストバイキング。
そしてこれまたいつも通り、ほぼすべての料理を少しずつ皿に乗せてたいらげる。中国人旅行客の爆買いに対して、浦メのは爆食だ。
嫁に至っては、オニオンスープをお替りしておった。
バイキングをいいことに、相変わらずj地獄の餓鬼か、ワシらわ!!

部屋に戻り、チェックアウトが11時とレイトなんで少し朝寝す。
のそのそとチェックアウトした後、嫁はんが「これから明治神宮外苑に行くでぇ」
神宮外苑とはまた珍しい。なんでや?
そこに<聖徳記念絵画館>があるから、それを観に行くという。
明治天皇の誕生から逝去までに起きた日本の事件&天皇の事績を描いた日本画・洋画を80点ばかり展示しているという。
なんだこやつ、いつの間に国粋主義に走りやがったんだ?と思いきや、絵画館が「近建」、即ち近代レトロ建築だからだ。
なるほど左様か。

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ホテルにアデューして日テレ通りを市ヶ谷へ。
市ヶ谷から国鉄で信濃町へ出た。
それにしても大江戸も朝から暑いのなんの。
流石に外苑の森林道はやや涼しかったが、絵画館の前に出ると直射日光浴びまくりや。

で、この絵画館、かなり威風堂々とした重厚な建物で結構な迫力だ。
近代レトロ建築に興味のない浦メでも、感心しちまったぜ。

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入口で二人分の施設維持協力金(拝観料)を払うと、係のオジサンがカチンコチンに凍らせたおしぼりを4本(ひとり2本)渡してくれた。
お、気前がいいじゃねえか♪
と思いきや、なんと館内はクーラーがなく、各所に設置された扇風機が回っておるだけであった。
だからせめてもの熱さ凌ぎで、冷しぼのプレゼントやったのか。
しかし幾らだだっ広い館内でも、扇風機だけだとこりゃ暑い。

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絵画の方は、もちろん明治天皇中心なんだが、勝海舟と西郷隆盛の江戸城無血開城談判など、教科書で見覚えのある絵も何点かあり、また各作品の解説板に、その当時の国内外ニュースが掲載されていて、改めて近代日本史のおさらいになった。

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館を辞してまた市ヶ谷へ。
上智大学を右手に見やりながら麹町の方へズンズンと進む・・・と書きたいところだが、なんせ暑ぅて暑ぅて、ズンズンではのぉてヨタヨタとヨロメキ歩いた。

次の目的地は紀尾井町の文藝春秋社。
手塚先生の『アドルフに告ぐ』で手塚番をされてた編集者氏に、嫁が当時の連載にまつわるあれこれをインタビューするため、アポを取っていたわけ。
だから昼前の聖徳記念絵画館は、チェックアウトからアポ時間までの“つなぎ”だったわけ。

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文藝春秋のビルに入るのは生まれて初めて。なんとうちの本社と、目と鼻の先にあった。
1階のサロンに通され、たまたまだが菊地寛のブロンズ胸像の隣の三人席でお茶しながら、当時の原稿争奪戦の様子などを拝聴する。
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小学館の『陽だまりの樹』と重なっておったので、小学館の館ヅメ先にアシスタントだけ行かせて、先生御本人は文春が別の場所に隔離。
氏が当時の手塚プロマネージャーと計らって「先生どこに消えたんでしょうかねえ?困ったなぁ」と小学館手塚番の目の前で小芝居を打った話、
原稿が上がらなくて腹立って、手塚プロ近所にあった映画館に行って映画を観てたら、前の方の席にベレー帽を発見した話など、色々面白い逸話が聞けた。
ついでに昨今話題の又吉の話題に飛んだりして、なかなか有意義な約2時間であったわい。
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帰りがけ、折角なんでうちの本社を「誰か出てきたらどうしよう?」なんて少しドキドキしながら外から眺め、踵を返してグリーンパレスへ。

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チェックアウトはしたんだけど、重たいからそれぞれのキャリーバックを預かってもらっていたのだ。
兎に角暑かったのと、チェックアウト後も荷物を預かってもらった御礼も兼ねて、ホテルのレストランで冷たい稲庭うどん定食を戴いた。
ティータイムだから当然お茶やケーキが主なんだけど、なぜか稲庭うどんもあったのだ。ちめたい麦酒と共に戴いたのは言うまでもない。

品川まで出て、これまた江戸下向時の帰途の定番、駅構内ショッピングモールでつばめグリル謹製ハンバーグ丼を買う。
朝食バイキングと稲庭うどんで腹一杯にもかかわらず、のぞみ車内でたいらげちまった。
もうさすがに満腹だわい。この小旅行でまた体重増えたな・・・。

それにしても、九段下~麹町~市ヶ谷~信濃町~麹町~品川と、えらい移動範囲の狭い2日間であった。
電車移動時間でいうならば、浦メの家の最寄り駅~淀屋橋~梅田~難波~淀屋橋~自宅最寄り駅・・・ぐらいの感覚かな。
わざわざ東京まで行ってさ(苦笑)
8月4日、5日と上京。なんと約9か月ぶりの上京。
しかし、毎度上京の用事がすべて手塚関連というのもナンなんですが、今回も手塚な二日間でした。
というわけで、夫の日記より転載レポ。

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8月4日(火)。夏休み期間を利用して久々の上京である。
朝日ソノラマでソノシートを大ヒットさせた仕掛人・橋本一郎氏が、少年画報社から『鉄腕アトムの歌が聞こえる~手塚治虫とその時代~』を上梓され、その出版パーテーが江戸は九段下・ホテルグランドパレスで開催されるためだ。
当然、橋本氏はウチの嫁はんのお知り合い。浦メはそれにノコノコついて行ったのだ。

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ソノシート・・・この言葉の響きに得もいわれぬ郷愁を抱くのは、浦メのやうなオーバー40から上の世代であろう。
浦メも「宇宙猿人ゴリ・怪獣列車を阻止せよ」とか「快傑ズバット」「ウルトラマンレオVSカリメロVS魔女っこメグちゃん」「仮面ライダーVSショッカー再生怪人軍団」「強いぞがんばれミラーマン」なんてのを所有している。
尤も残念ながらいずれもソノシート本体のみで、ジャケットというかライナーノーツというか、ソノシートが収まっていた絵本自体は無いもんだから、まんだらけに持って行っても二束三文だが・・・。

それはいいんだが、嫁がドレスコードがどうのこうのとか、スーツかジャケットで行かんかい、とか小うるさく言うもんだから、この「猛暑×酷暑+日差し」なエブリデーにも関わらず、ダークスーツで参加。
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いや暑い暑い。大阪は最高気温が39℃オーバーだったりするのに対して、ビテレのニュースを観る限りでは江戸表は35℃やから少しはマシかいなと思いきや、
「暑いもんは暑い!美味いもんは美味い!(by鶴瓶)」
やがな!!

嫁が実に珍しいことに、予定起床時間よりも早くに起きよったため、なんとパーテー開始の15分ぐらい前にテルホに到着。
なんという奇跡だ!
いつもイヴェント事にあっては、よくて時間ギリギリ、通常は遅刻常習やのに・・・嫁はん大丈夫かいな???暑さで頭がおかしくなってもうたか?

暑いけど忍び難きを忍び、耐え難きを耐えて黄色いアトムネクタイをギュッと締め、23階の会場であるラウンジにGO。
入り口でマンガフリークの駸々堂さんと合流。
赤いシャツに黄色いタイという出で立ちで、浦メは思わず「ルパン三世みたいですね~♪」
まあかく申す浦メもスーツ上下にまたしても黒いグラサンをかけて間久部緑郎を気取ってたんだが・・・。

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受付近くには手塚プロの松谷社長、古徳重役が。
社長は、かりゆしみたいな涼しげなカジュアル姿。古徳重役もノージャケットにノーネクタイの開襟シャツ姿だ。
な~んや、スーツでなくて全然OKやないかい・・・。

受付を済ませて奥へ進むと、マイミクのマッキーさん&ウォレスさんがいらっしゃった。
マッキーさんもカジュアルスタイル、ウォレスさんはバシッとダークスーツにネクタイで決まっておられた。
そのうちに、同じくマイミク・ぬー坊さんやのん気NGさんといったお馴染みの関東手塚ニアン諸兄もやってきた。

定刻となり、発起人である少年画報社社長の開会挨拶→主役・橋本翁の御挨拶→松谷社長の乾杯ノ音頭と進んでパーテースタート。
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浦メはビュッフェスタイルかと思っていたが、テーブル席であった。
この手のパーテーでは当然の流れではあるが、我等は我等で親しいもん同士が集まり、他のテーブルも、恐らく出版関係であろうかそれぞれ心安いメンバー同士で集まって、ワイワイと飲み食い。

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途中、橋本翁がグラス片手に挨拶に来られた。
件の御著書の巻末謝辞に、なぜか嫁の名前が記されていたので「この小動物が、またなにか粗相を致しましたか?」
と、旦那として先に翁に謝ってやった。
翁からは、奥方には色々とお世話になったから芳名を挙げさせて頂いたと、過分の御言葉。
ホンマかいな?

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こういうパーテーゆえ、料理は油系が多い。だからルービーもカンカンと進んだ。
ついにはぬー坊さんが白ワインを始められたので、マッキーさんと浦メも同じく白ワインに。
大東京の夕景を眺めながらワイングラスを傾けてたら、酔った酔った。

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終了予定時刻を20分ほどオーバーして御披楽喜。
我等はそのままテルホのトイメンの、ジョナサンで二次会。
話は去年のファン大会のゲスト人選の裏話から始まって、宮崎駿の手塚批判について、などなど大いに高歌放吟した。
21時近くになって解散。

わしら夫婦は、上京した時の常宿・麹町の東京グリーンパレスに投宿した。
勿論、グリーンパレスに泊まる時の行き付けとしておる近所のセブンイレブンで、お夜食としてカップヌードルを購ったのは言うまでも無い。

それにしても、冒頭にも書いた通り、浦メは直接には橋本翁を存じ上げず、単にワンワンと飼い主である嫁にくっついて来ただけであったが、「ファン大会アフター二次会」の再現みたいなプチ手塚オフ会となり、大いに満足したぜ。
手塚治虫公式サイトの「虫ん坊」の投稿コーナーで『アドルフに告ぐ』ゆかりの地めぐりのレポートを執筆しております。
当初、単発投稿で・・・と思っていたのですが、取材し始めると、神戸の街の歴史文化の魅力と『アドルフに告ぐ』のストーリーの奥の深さにハマってしまいました。
同行した夫や友人たちと『アドルフに告ぐ』の漫画の再現もやっています(笑)。

「アドルフに告ぐ」を片手に有馬温泉へ
http://tezukaosamu.net/jp/mushi/201504/post.html

有馬温泉の乙倉橋 漫画再現1

有馬温泉の石段 漫画再現1

『アドルフに告ぐ』ゆかりの地めぐり<神戸編その1>
http://tezukaosamu.net/jp/mushi/201505/post.html

21萌黄の館テラス 台詞あり
23門邸前 台詞あり

『アドルフに告ぐ』ゆかりの地めぐり<神戸編その2>
http://tezukaosamu.net/jp/mushi/201506/post.html

5諏訪山よりパノラマ写真

『アドルフに告ぐ』ゆかりの地めぐり<神戸編その3>
http://tezukaosamu.net/jp/mushi/201507/post.html

14現在の元町5丁目
ブログの更新、3ヶ月ぶりです(^^;)
最近、ほとんどfacebookとツイッターに移行しています。
久々に夫が手塚日記を書いてくれたので、転載します。


なんとまあ、今年1月の初頭に、大河ドラマ「花燃ゆ」について書いて以来、六か月ぶりの日記や。
今まで何やってた?
はい・・・実は『火の鳥』よろしくムーピーゲームにうつつを抜かしまくっておりやして(苦笑)
気持ち良かったぁ~・・・アホ!

で、6月27(日)、嫁はんと京都芸術劇場春秋座の舞台「アドルフに告ぐ」を観に行った。

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京都造形なんざ、前職の時に上司の命令で納品に行って以来だべ。
白川通まで乗り付けると、いきなり煉瓦張りの、タカラヅカもかくやと思しき大階段が屹立しておった。
蒲田行進曲の「階段落ち」みてえに急な大階段を上がると、そこは京都造形芸術大学附設劇場「春秋座」であった。

おかしいぜ、普通は大学の正門化玄関ぢゃねえのか?
いきなり附設劇場とは、これいかに?
学生用の正門は別にあんのか?
と疑問を抱きつつも入場。
嫁はんがゲットした席は桟敷席であった。なんとなく仏蘭西の王侯貴族気分。
場内は、ほぼ満員御礼。

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劇自体は、原作をウマい具合に180分できっちり料理していた。
あとで嫁はんともダベリあったんだが、3人のアドルフの内、唯一実在の人物・アドルフ=ヒトラーに、割とたっぷり時間を割いていた。
これは良かったね。

物語冒頭をはじめ、要所要所で登場する、アドルフたちの運命を象徴するかの様な「天使」(?)マリアの存在感も良かった。
Uボートで戦時下日本へ向かうカウフマンをマリアの亡霊が悩ませるシーンは特に印象深かったぜ。

あとは、大ラスのカミルとカウフマンの決着までしっかり描かれていた事も、「ほお、そこまで描くか」と感心した。

尤も嫁はん曰く、「原作でもナゼ平和主義者のカミルがラストでは平気でアラブ人を殺戮する軍人になってしまったのかが判然とせず、それだけが不満。」
それは浦メも全く同意見なのだが、それはそれとして、ヒトラーをしっかり描写し、中東問題も取り上げた姿勢に、浦メは拍手だ。
なんとなれば、一朝有事にあってはまず間違いなく前線に立つ事のない優秀な政治屋センセー方によって、なにやらキナ臭い方向に我が国が誤誘導されてやせんか?と極めて不安な昨今にあって、今回の「アドルフに告ぐ」は当節時宜を得た演劇であったからよ。

最後にまたひとつだけ文句を言わせてもらうならば、客演の鶴見辰吾を、カーテンコールでももうちょっとリスペクトしても良かったんぢゃねえかな?
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3月6日(金)の朝日新聞夕刊で、ナカノシマ大学2月講座「街から読み解く手塚治虫」のことを紹介いただきました。
執筆は、京都国際マンガミュージアムの雑賀忠宏さん。
「大阪の役割」再評価進む
として、マンガ史の中で大阪が担ってきた役割について語っておられ、中野晴行氏の著作についても触れられています。

朝日新聞20150306ナカノシマ大学紹介記事