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このたび、和泉書院より『親友が語る手塚治虫の少年時代』を上梓いたしました。「虫マップ」の活動から20年。私たち姉弟(田浦紀子・高坂史章)にとって、念願の初の自著を刊行することができ、感慨ひとしおです。編集校正はもとより、紙の選定まで自分達が関わった本だけに、完成した本を手にした喜びは何ものにもかえがたいです。そして本の装幀を手掛けたデザイナーの谷卓司さんには、この企画がスタートした時から、苦楽を共にしていただきました。本当に、仕事以上の仕事をしていただき、感謝してもしきれません。

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さて、まずは関係者への発送作業。このあと、既にご予約いただいている方への発送いたしました。

ママーサイン1

サインは、手塚先生の弟の手塚浩さんが発案の「ママー」を描きました。あと「虫マップ」の最初期の頃に使用していた「ヒョウタンツギ」と「スパイダー」の落款(弟・史章の手彫り判子)を押しました。個人的にサイン入りで予約いただいた方には、このような形で発送いたします。

田浦、高坂のサイン入り本を希望の方は
・お名前
・ご住所
・お電話番号
・申し込み冊数
・著者サイン希望
を書き込んで
mushimap★gmail.com
までメールでお申し込みください。(★を@に変換)

なお、書店での発売は5月12日。
以下の書店への配本が決定しています。

【大阪】
MARUZEN&ジュンク堂書店 梅田店 (手塚治虫書店)
ジュンク堂 大阪本店
ジュンク堂 天満橋店
ジュンク堂 難波店
梅田 蔦屋書店
【東京】
丸善 丸の内本店 (手塚治虫書店)
丸善 お茶の水店
ブックファースト渋谷文化村通り店
ブックファースト新宿店
書泉グランデ(神保町)
アトレ秋葉原1
ジュンク堂 池袋本店
三省堂 池袋本店
東京大学生協
オリオン書房 ルミネ立川店
丸善 丸の内本店
丸善 多摩センター店
ジュンク堂 大泉学園店
【名古屋】
ジュンク堂書店 名古屋栄店
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「鉄腕アトム」の誕生日に因んだイベントが、長野県上田市で4月8日に開催されました。『火の鳥 乱世編』に登場する手塚太郎金刺光盛(手塚治虫の先祖)と上田との関わりを研究されている上原榮治さんからお誘いを受け、私たち夫婦は上田市を再訪。翌4月9日、上原さんに上田市の手塚地区界隈をご案内いただきました。
前回、須川の手塚家の墓所へ行った際のレポートはこちら。
手塚の里・上田へ―手塚治虫のルーツを訪ねて―

手塚太郎金刺光盛 上原さんの本
上原榮治さんの著書『手塚太郎金刺光盛―手塚一族の後裔はどこへ?―』

そもそものきっかけは、2016年2月12日放送のNHK「ファミリーヒストリー」でした。番組によると、長野県上田市には、「手塚」という集落があり、その地名から「手塚氏」と言われるようになったとのこと。1184年の粟津の戦いで木曽義仲敗死後、源頼朝に田畑家屋敷を没収され、手塚光盛の一族は手塚地区から須川地区に落ち延びました。上原さんは母方の実家が須川手塚家にあたります。

上田の地図西側 上原さんの本
上田の地図東側 上原さんの本
上田市~塩田平周辺地図
『手塚太郎金刺光盛―手塚一族の後裔はどこへ?―』より

上田駅で手塚ファンの松原光昭さん待ち合わせ。途中で上原さんと合流し、4人で手塚地区へ。約800年前の手塚家のゆかりの地を訪ねました。

4西塩田・別所温泉案内マップ1
西塩田・別所温泉案内のマップ

5西塩田・別所温泉案内マップ2手塚地区クローズアップ
手塚地区を拡大すると、手塚光盛ゆかりの地が点在しています。

6バス停「手塚」にて田浦誠治
上田バスのバス停「手塚」!

7猿田彦大神
バス停「手塚」の近くにあった「猿田彦大神」の碑。手塚キャラの猿田彦と関連があるのかは不明です(笑)。

8手塚光盛居館跡
手塚太郎金刺光盛の居館跡(推定)
門は江戸時代から代々続く庄屋のもの。

9手塚光盛の居館跡の前で説明する上原さん
手塚光盛の居館跡で金刺手塚家の系図について説明する上原さん。

10金刺手塚家系図
上原さんは2冊目の本を執筆中だそうで、手塚光盛以前の系譜についても教えていただきました。手塚家は代々長男を「太郎」と名付けていたようです。

11手塚光盛居館跡の土塁
草むらの向こうに見える土塁が、手塚光盛の居館があった名残だそうです。

12手塚太郎駒の足形橋1
上田市塩田の里交流館「とっこ館」前にある手塚史跡遺産「手塚の太郎 駒の足形橋」

13手塚太郎駒の足形橋2
木曽義仲の四天王といわれる手塚太郎光盛が、戦の軍神に祈願をこめた時、乗る騎馬の蹄の跡が石橋に残ったという伝承に基づくそうです。

14光盛の五輪塔
手塚太郎光盛を祀る五輪塔

15塩野神社
塩野神社。手塚氏によって創建されたと思われる古社で、境内には流鏑馬の出発点があります。戦国時代には真田昌幸・信之が信仰をよせたそうです。

16八木沢天満宮
八木沢天満宮

17八木沢神社 木曽義仲の古碑・碑文
八木沢天満宮にある木曽義仲の古碑の碑文。手塚氏の子孫・手塚次郎左衛門が江戸時代に建立。

18三つ盛亀甲紋が刻まれた祠
八木沢天満宮・木曽義仲の古碑のひとつに手塚家の家紋「三つ盛亀甲紋」が刻まれた祠。ちなみに、総禅寺の手塚家の墓にも同じ文様が刻まれています。

19祠の裏には手塚光盛と刻まれている
祠の裏には手塚光盛と刻まれています。

20中善寺の住職と上原さん
上原さんに中善寺のご住職を紹介していただきました。

21中善寺
中善寺薬師堂(国指定重要文化財)

22中善寺の釈迦如来像
中善寺薬師堂の中の薬師如来像を特別に拝観させていただきました。

23中善寺の薬師如来像の天板に手塚光盛が描かれている
薬師如来像の台座の天板に描かれた墨絵。流鏑馬に興じる手塚光盛を描いたものと思われます。
2月10日(金)の晩、私は大阪から東京に向かう新幹線の中にいました。その数日前に知った、元「少女クラブ」編集長の丸山昭さんの訃報と併せて、「2月11日の午前に、手塚ファン有志で手塚先生のお墓参りに皆で行く」という情報が、池川佳宏さんのツイッターで流れたからでした。深夜0時に有楽町駅に到着。昨年の手塚治虫文化賞の授賞式が有楽町朝日ホールで開催され、たまたま丸山昭さんとエレベーターで一緒になったのです。「(手塚イベントなので)きっと来られると思っていました」と、一言二言会話し、それが丸山さんとお話した最後となりました。

1新庚申塚駅
翌日の2月11日(土)の午前10時半に、都電荒川線の新庚申塚駅に到着。東京の友人の持田恵三さん(川越ヒョウタンツギの会)と合流。到着すると、なぜか京都の手塚ファンの山本晋吾さんもいてびっくり!私と同じくやはりツイッターで情報を見て来たそうです。
2総禅寺の前で下崎闊さん
巣鴨の総禅寺に到着すると、虫プロ&手塚プロOBの下崎闊さんの姿が。下崎さんは、本当は2月9日の手塚先生のご命日にお墓参りに行く予定が、あいにくのお天気で中止。私たちに予定を合わせてくださいました。

3総禅寺手塚先生のお墓モニュメント
お線香を買って、手塚先生のお墓参りへ。毎年、ご命日あたりは、手塚家の方々だけでなく、手塚ファンもたくさんお参りに来るようです。私はというと、2007年12月の手塚ファン大会の翌日に、小林準治さんの愛車で行って以来なので、実に9年ぶりでした。

5総禅寺の前で田浦紀子
総禅寺の前で筆者

4総禅寺の前で山本晋吾さん持田恵三さん
左:山本晋吾さん、右:持田恵三さん

お墓参りをすませ、先発隊の池川佳宏さん達を追いかけて、都電荒川線で、鬼子母神で下車し、並木ハウスへ向かいました。手塚先生が住んでいた時のままの建物が残っていて、まるで時が止まったようです。

6並木ハウス 手塚先生の部屋
手塚先生が住んでいた210号室は正面左手側のこの窓。


丸山昭さんが、並木ハウスの元手塚先生の部屋の前でインタビューを受けている様子が、NHKのホームページで見られるのでご覧ください。
「手塚先生は富士山のような人」という言葉が印象的です。

戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 2014年度「知の巨人たち」
第8回 宇宙から生命を見つめて~手塚治虫~
「編集者が語る「異能の人」」丸山昭さん
2014年11月25日


7雑司が谷案内処
8丸山昭さんのサイン
並木ハウスのすぐ近くの、「雑司が谷案内処」では、虫プロOGの岡部江利子さんがいらっしゃって、丸山昭さんのサイン入り著書を見せてくださいました。案内処の2階でようやく先発隊の池川さん達と合流。池川佳宏さんが取材執筆された丸山昭さんのロングインタビューの記事が配布されました。

11鬼子母神参道
9鬼子母神
「雑司が谷案内処」を後にし、参道を歩いて鬼子母神へお参り。

10鬼子母神前で記念撮影1
14鬼子母神前で記念撮影2
鬼子母神参拝の後ツアーの皆で記念撮影。

12トキワ荘お休み処1
13トキワ荘お休み処2
その後、椎名町のトキワ荘お休み処へ向かいました。

15松葉
16松葉ラーメン
お昼ご飯は、トキワ荘メンバーがよく食べに行った「中国料理 松葉」でラーメンを。

17トキワ荘跡モニュメント1
18トキワ荘跡モニュメント2
トキワ荘跡地に立つモニュメント

19記念碑「トキワ荘のヒーローたち」
南長崎花咲公園内にある記念碑「トキワ荘のヒーローたち」

20レオトライヤ東長崎駅
最後は西武池袋線東長崎駅に設置された「ジャングル大帝」のレオとライヤのモニュメントを見て解散。ここのところ、手塚先生の関係者の訃報続き、手塚先生のことを語れる人がどんどん減っていくのですが、でも、だからこそこうして毎年「偲ぶ会」が催されていることは素晴らしいことだと思うのです。
虫プロ見学会&手塚番トークショー&懇親会

8月28日、手塚治虫ファンクラブのイベントとして「虫プロ見学会&手塚番トークショー&懇親会」が開催されました。会長の武田聖二朗さんの呼びかけで、総勢50人参加の夏のイベントとなりました。

1富士見台駅前

午後2時に富士見台駅に集合。虫プロダクションは一度に10人程度しか入れないということで、30分の時間差で4チームに分けての見学。私たち夫婦は3班になり、元・手塚番の橋本一郎さんの案内で、虫プロダクションまで向かいました。

2石田ビル
手塚プロが最初に事務所を借りた石田ビル。「一階が洋服屋さん、二階がオーロラという喫茶店で、打ち合わせはよくここでした」と橋本さん。

3エチゴヤ
4エチゴヤのシャッター 
次に手塚プロの事務所となったのがエチゴヤビルで、1970年~1976年まで、肉屋の二階三階を手塚プロダクションが借用していたそうです。『ブラック・ジャック』はまさにここで生まれたわけです。エチゴヤのシャッターには1973年に展覧会に出展されたキャラクター画が再現されています。
5中華料理純華
中華料理「純華」。『ブラック・ジャック』第39話「純華飯店」モデルの店で、当時、手塚先生やスタッフがよく行ったそうです。小林準治さんは、自分の新人歓迎会をこの「純華」でやってもらったとのこと。

7虫プロ記念撮影  
虫プロダクションに到着し、3班の皆で記念撮影。
8虫プロ玄関
有名な虫のロゴマークに古びたポスト。そして、ガラスブロックに50年前のモダン建築の面影を感じます。

9虫プロ清水さん
ここからは、虫プロダクション版権事業課の芝田達矢さんに社内を案内していただきました。

10虫プロ撮影部屋扉
11虫プロ撮影台1号機
「鉄腕アトム」の影が描かれた扉を開けると、古い撮影台と、壁二面にずらっとフィルムが並んでいました。撮影台はマルチプレーンカメラと呼ばれるもので、この機械は2台目。アニメの奥行きを表現するために、マルチ機能のある撮影台が必要になり導入したとのこと。最初の1台目は手塚先生が個人的に持っていたもので、それをカウントせず、この機械を「1号台」と呼んでいるそうです。虫プロ時代はこのような撮影台が最高で7~8台はあったそうです。

12虫プロビデオ1
13虫プロビデオ2
当時、試写室だった3階の屋根裏部屋や、現在でもアニメ制作が行われている部屋などを案内していただいた後、4班と交代でビデオを視聴。「鉄腕アトム」や「バンパイヤ」に虫プロが登場する回を見ました。手塚先生がドラマで演技しているのを見ると、なぜか笑えます。

14エチゴヤ手塚番鼎談
15橋本一郎さん清水マリさん著書
虫プロ見学の後は、懇親会会場のエチゴヤへ。食事の前に、3人の元手塚番による鼎談が開催されました。「週刊少年キング」で『アポロの歌』などを担当された橋本一郎さん、「週刊少年キング」で『紙の砦』などを担当された黒川拓二さん、「週刊少年チャンピオン」で『ブラック・ジャック』を担当された岡本三司さん。中でも私が印象的だったのは『紙の砦』(昭和49年9月30日号「週刊少年キング」掲載)の担当編集者だった黒川拓二さんのお話でした。『紙の砦』は、手塚先生の漫画家生活30周年と、8月の終戦記念日にあわせた企画として、手塚先生のほうから提案があったそうです。「タイトル『紙の砦』はどう?」と手塚先生と言われた時、「うわー!決まった」と黒川さんは編集部に飛んで帰ったそうです。続編の『すきっ腹のブルース』と共に「この二編は本当に担当のし甲斐があった」とのこと。原稿をもらった時は震えるほど感動したそうです。

16エチゴヤステーキ
17エチゴヤしゃぶしゃぶ
三人の手塚番のお話を聞いた後、「鉄腕アトム」の声優・清水マリさんの音頭で乾杯。総勢50名の大懇親会が始まりました。お通しの筑前煮、ポテトサラダ、お肉屋さん期待のステーキの後、しゃぶしゃぶ、最後になんとカレーライス、〆にアイスチョコバーという、フルコース料理をたっぷりいただきました。

懇親会には、虫プロ関係者では、現社長の伊藤叡さん、版権事業課の芝田達矢さん、OBの柴山達雄さん、下崎闊さん、小林準治さん、OGの渡辺佳子さんなども参加されました。また著名な方では、漫画家のみなもと太郎さん、元ハードロックバンドVOWWOWの人見元基さん、ミュージシャンでSF作家の難波弘之さんや、元NHKアナウンサーで「描きかえられた『鉄腕アトム』」著者の小野卓司さんも参加され、大いに場が盛り上がりました。

17エチゴヤ手塚キャラ原画  
エチゴヤのシャッターに描かれたキャラクター画の原画。

20エチゴヤご主人1
22エチゴヤご主人2  
エチゴヤのご主人の高橋さん親子によって、この絵の由来が語られました。

18武田さん、下崎さん
虫プロと手塚プロ両方のスタッフを務めた下崎闊さんから、当時の裏話もいろいろ伺いました。

23難波弘之さん
難波弘之さんと。

22小野卓司さん
小野卓司さんと。

19清水マリさん小林準治さん
小林準治さん、清水マリさんと記念撮影。

最後に、当日イベントの運営にあたって下さった、ファン大会実行委員会の武田聖二朗さん、
砂口景子さん、小林晃さん、原かおりさん、早川和美さん、北原隆司さん、風呂田邦郎さん、中村鮎子さんの、手塚愛とご尽力に深く感謝申し上げます。

夏休み期間中の8月2日、3日と長野県上田市へ旅行に行ってきました。上田というと、真田幸村が主人公の大河ドラマ「真田丸」で盛り上がる真田の里として知られていますが、今回は手塚ファンとしての目的も兼ねていました。実は長野県上田市は、平安時代末期の武将・手塚太郎金刺光盛とその一族が居を構えていた土地なんだそうです。手塚太郎光盛は、手塚治虫の先祖にあたり、『火の鳥 乱世編』に木曽義仲に火の鳥が見つかったと進言するワンシーンで登場します。
上田駅前の真田幸村像の前で
上田駅前の真田幸村像の前で、夫婦で記念撮影
左:上原榮治さん 右:松原光昭さん
左:上原榮治さん、右:松原光昭さん

手塚家のルーツについては、『陽だまりの樹』のもとになった深瀬泰旦氏の論文で言及され、過去の文献が多数あることもあり、今まで何となくは知っていたのですが、詳しく知るきっかけとなったのが、2016年2月12日放送のNHK「ファミリーヒストリー」でした。番組によると、長野県上田市には、「手塚」という集落があり、その地名から「手塚氏」と言われるようになったとのこと。また、須川地区には「手塚姓」の家族が今も多数存在するそうです。「手塚家祖先の墓所にご案内したいので、是非上田までお越しください」という上田市在住の手塚ファン・松原光昭さんの強いお誘いもあり、今回の上田旅行と相成ったわけです。松原さんの紹介で、8月2日の晩に初めてお会いしたのが『手塚太郎金刺光盛―手塚一族の後裔はどこへ?―』の著者・上原榮治さん。上原さんは、母方姓が「手塚」でご自身の先祖が手塚光盛だそうです。ご著書を執筆する過程で、手塚光盛の子孫の一人が手塚治虫であったことを知ったそうです。

手塚太郎金刺光盛 上原さんの本
上原榮治さんの著書『手塚太郎金刺光盛―手塚一族の後裔はどこへ?―』
手塚治虫の系図 上原さんの本

上田駅前のホテルに宿泊し、翌朝、松原さん、上原さんと待ち合わせ。手塚家祖先の墓所がある須川地区まで車で向かいました。母方の実家が須川地区にあった上原さんにとっては馴染みの場所で、近くには須川湖があり、小学生の頃、夏は水泳、冬はスケートをして遊んだそうです。須川公民館の前で車を止め、小高い丘陵地を登ると、たくさんの古い墓石が並んでいて、それが手塚家の墓所でした。

須川湖
須川湖
手塚家祖先の墓
手塚家祖先の墓

手塚太郎光盛は、一族の命運を木曽義仲に懸けていたため、1184年の粟津の戦いで木曽義仲が敗死した後、源頼朝に田畑家屋敷を没収され、一族は手塚地区から須川地区に落ち延びたそうです。落人(おちうど)となったため「手塚」の名前を出すことをはばかり、暮石には「手塚」の文字は書かれなかったそうです。
上田の地図西側 上原さんの本上田の地図東側 上原さんの本
上田市~塩田平周辺地図
『手塚太郎金刺光盛―手塚一族の後裔はどこへ?―』より

手塚光盛の墓に献花 松原さん上原さん
手塚光盛の墓に献花
手塚光盛の墓の前で
上原榮治さん

お線香とお花を手向け、4人でしばしお参り。手塚ファンであることが縁で、800年前の手塚家のルーツをたどることになるとは、とても不思議な縁だと思いました。
森晴路さん1新座手塚プロ
森晴路さん(手塚プロダクション新座スタジオにて。2014年7月21日)

4月14日、手塚プロダクション資料室長の森晴路さんの訃報を受けました。森晴路さんに初めてお会いしたのは19年前。高校の卒業旅行と称して、ファンクラブの代表の和久千賀さんを頼り、手塚プロダクション新座スタジオを訪問しました。当時のファンクラブ事務局は資料室と同室で、その時に森さんに挨拶したのが最初でした。

2006年、復活第1回の手塚治虫ファン大会で再会し、以後、10人くらいの手塚ファン仲間で年に2、3回、東京で集まり、めずらしい手塚先生の未収録漫画や手塚イベントについて、毎回3時間は手塚談義に華を咲かす飲み仲間でした。

昨年、2015年2月に治虫忌に因んだイベント、ナカノシマ大学「街から読み解く手塚治虫」を開催した時、「びっくりさせようと思った」と言って、埼玉から大阪まで4時間半かけて来て下さったのが忘れがたい思い出です。この時、森さんが録画テープを提供して下さったのが、1985年3月21日に読売テレビで放送された「11PM 手塚治虫NANIWAグラフィティ」。手塚先生が電気科学館のプラネタリウムを自ら操作する貴重な映像を、後継施設の大阪市立科学館で30年ぶりに上映できる、という奇跡のようなイベントを実現できたのも、森さんのおかげでした。

手塚治虫ファン大会では、マニアックな質問に森さんが答えるという「森さんに聞け」コーナーが、ここ数年の恒例で、欠かせない存在でした。そして、昨年の12月の手塚ファン大会でお会いしたのが最後となりました。

新座駅 アトム

突然の森さんの訃報に眠れないまま新幹線に乗り、私は新座に向かいました。

森晴路さんご葬儀2

会場には「創作ノート」「手塚治虫原画の秘密」「図説 鉄腕アトム」など、森さんが手がけた本が飾られていました。ご葬儀は「ジャングル大帝」のBGMと共にしめやかに行われました。松谷社長の弔辞は「まさか僕があなたを送ることになるとはね。だいたい、あなたは写真だってちゃんとしたのを用意してないじゃないですか。この写真、探すの大変だったんだよ。」と、森さんに語り掛けるような言葉でした。
森晴路さんご葬儀4
森晴路さんご葬儀3


ご葬儀会場で、手塚先生の元アシスタントで「手塚治虫物語」の作者である伴俊男さんと、90年代にファンクラブ事務局を務めて下さっていた和久千賀さんに再会できて嬉しかったです。そして、和久さんに現在の「手塚ファンマガジン」会誌編集の和田収さんを紹介できました。森さんがファンクラブ草創期を築いた1971年の「虫のしらせ」から脈々と受け継がれている、手塚治虫ファンクラブの輪を感じました。まさしく森さんが引き合わせて下さった縁だと思いました。

ここ数年、感じていることですが、「手塚治虫が歴史になってしまう」ことを危惧しています。手塚先生と縁のあった方の訃報を聞くたびに、自身の無力感と同時に「手塚治虫はまだ歴史ではない」「手塚治虫を歴史にしてはいけない」との思いを常々持っています。
森晴路さんご葬儀6
森晴路さんご葬儀7
森晴路さんご葬儀8
森晴路さんご葬儀9
森晴路さんご葬儀10

森晴路さんは今年の正月にサンテレビで放送された「少年・手塚治虫の宝塚」の冒頭でこう言っていました。
「先生って天才だとよく言われるんですけど僕は努力の人だと思うんです。」
その手塚先生の努力を支えたのは森さんの地道な努力。手塚先生亡き後の手塚漫画を守り続けたのは森さんだったと思います。

森晴路さんご葬儀5
森晴路さんご葬儀1
手塚サル年賀 2016

あけましておめでとうございます。
旧年中はお世話になりありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2016年 元旦
田浦誠治・紀子
「サブカルポップマガジン まぐま vol.20 手塚治虫と戦後70年」が発刊されます。
手塚るみ子さんや手塚先生の元アシスタントの三浦みつるさんなど、先生を直接知る方のエッセイから、研究者による論考まで、幅広い寄稿者がそれぞれの「手塚治虫」を語っています。
私も「阪急文化と手塚治虫」という論文を寄稿しております。
内容は、「虫ん坊」10月号に投稿したのと同内容です。
http://tezukaosamu.net/jp/mushi/201510/post.html

まぐま表紙

12月31日のコミックマーケットで先行発売後、1月20日頃一般発売予定です。
是非ともご購読ください。


コミックマーケット89
日時:12月31日(木) 10:00~16:00
会場:東京ビッグサイト(東京国際展示場)
サークル名:STUDIO ZERO
ブース番号:東5ホール ピ44b

書店にて【開発社】へご注文ください(1月20日~)
発売/開発社 TEL 03-3983-6052

通販にて蒼天社で取り扱っております
発行/蒼天社 TEL&FAX 0463-72-6601
蒼天社ホームページ
http://www002.upp.so-net.ne.jp/sohtensya/




サブカルポップマガジンまぐま vol.20手塚治虫と戦後70年
定価700円+税

目次
手塚治虫と戦後70年―「人生」に多大な影響を及ぼす、そのマンガ世界
もしもタイムマシンがあったなら / 手塚るみ子
地域のなかの「トキワ荘」史
~「てっさん」と呼ばれ、親しまれた手塚治虫 / トキワ荘通り住人・K
〝トキワ荘〟最後の入居者が語る〟静かなトキワ荘 / 向さすけ
君は『メトロポリス』を観たか?/どろろ 漫画と映画のあいだに / 新井啓介
ジャングル大帝」のレオは、なぜ色が白い / 竹内オサム
アシスタント時代の思い出 / 三浦みつる
手塚治虫と手塚先生と、ボクと僕。 / 川口貴弘
民話調手塚マンガ『はなたれ浄土』を読む / 稲垣高広
トランスセクシャルと手塚治虫 / 新井啓介
阪急文化と手塚治虫 / 田浦紀子
『ゆとり世代から見た手塚治虫』 / 佃賢一
私の「新寶島」の頃 / 田村幸生
永島慎二さんとの思い出 ―虫プロに在籍したダンさんとの日々 / 野谷真治
鉄腕アトムは実はテレビだった ――「透明巨人の巻」をめぐって / キム・ジュニアン
2つの「ブラックジャック」を読む / 小山昌宏
瞳の中の訪問者 手塚治虫本を読む
宮崎駿の手塚治虫批判について考えながら『千と千尋と神隠し』を劇場で観た / 新井啓介
ヴィスコンティの自画像を求めて(6)―退廃の美しさに彩られた孤独の肖像 / 梅田浩一
編集後記
表紙イラスト・構成:松田優花
ガールズ&ラブリー@芦屋大丸1

10月11日、大丸芦屋店で開催中の「手塚治虫ガールズ&ラブリー版画展」へ行ってきました。手塚作品の中でも、特に少女マンガにスポットをあてた展覧会で「リボンの騎士」「双子の騎士」「エンゼルの丘」「野ばらの精」「火の鳥・未来編」「あけぼのさん」「虹のとりで」「びいこちゃん」など可憐で美しいキャラクター達にスポットを当てた展覧会でした。

午後2時より手塚るみ子さんのトークショー。
1950年代~1960年代の手塚少女漫画の原稿は、手塚プロにも現存していないものが多いそうです。
「ブラック・ジャック」のピノコちゃんは、るみ子さんがモデルと言われていますが、るみ子さんが生まれる以前・・・1960年代前半までの手塚少女漫画は“少女達が思い描く理想の主人公”だったのに対して、1970年代1980年代の手塚少女キャラクターはピノコや「ブッキラによろしく」のトロ子のように癖があるけれども愛されるキャラ立ちしたものが多くなったという印象。実娘という身近な存在が出来たことによって、手塚先生の描く少女たちに変化が生まれたのかな、と思いました。

特に盛り上がった話が、講談社手塚治虫全集で未収録になった「野ばらよいつ歌う」について。1960年12月号~1961年4月20日号まで「少女サンデー」に連載されたものの、未完に終わった少女漫画で、私は高校生の頃、この作品がどうしても読みたくて随分苦労してコピーを入手した覚えがあります。とにもかくにも絵が可愛らしい。ドイツの音楽家のクララ・シューマンを主人公にした作品なのですが、短い期間で連載が中断してしまい、かなり長い間、幻の手塚作品だったのでした。のちに2005年にジェネオンから発行された「手塚治虫カラー秘蔵作品集」に収録。私の母がドイツ語の教師であった関係で、小学4年、中学3年、大学1年の夏休みにドイツに旅行に行ったことがあるのですが、その時に手にしていた紙幣がクララ・シューマンだった記憶があります。後で調べたら、ユーロに貨幣統一される以前のドイツの最後の100マルク紙幣のデザインがクララ・シューマンでした。のちに「アドルフに告ぐ」や「ルードウィヒ・B」などドイツを舞台にした手塚作品が生まれますが、1960年代からすでにドイツを舞台にした大河ドラマを手塚先生は描いていたわけですね。本当に未完の作品なのが惜しい。

1時間のトークショーはあっと言う間に終了し、るみ子さんと一緒に記念撮影。作品をひとおり見て、シンアンドカンパニーのアトムグッズを購入した後、るみ子さんからお茶に誘われ、ごんぱしんさんと私ども夫婦と4人で神戸風月堂の喫茶店へ。
「マコとルミとチイ」は何パーセントくらい実話なんですか?なんて質問をしたり、手塚話は尽きることなく、2時間半手塚談義。

私の関心はやはり「アドルフに告ぐ」の創作の背景でした。
るみ子さんは、手塚先生が仕事で関わった「ポートピア'81」(1981年開催の神戸ポートアイランド博覧会)で初めて家族で神戸に行き、この時、手塚先生に神戸の異人館などを案内してもらったとのこと。それ以降、神戸は大好きな街になり、以後何度も行くようになったと。るみ子さんの祖父である手塚粲さんは、昭和16(1941)年、丹平写真倶楽部のメンバーと共に神戸の亡命ユダヤ人の写真も撮影していて、父は祖父からその話も聞いていただろうと。なるほど、「アドルフに告ぐ」の連載は1983年からですから、思い出の地・神戸を舞台にした作品を、という思いは長年持っていたのかもしれませんね。

手塚治虫ファンクラブで知り合って結婚した私ども夫婦の馴れ初めから、最初に読んだ手塚漫画などまで聞いていただきました。本当に濃い手塚な一日を過ごさせていただき嬉しかったです。ありがとうございました。



以下は夫の日記より同日のレポートです。

ガールズ&ラブリー@芦屋大丸

嫁さんに連れられて芦屋の大丸へ。
手塚カラー画の版画展示販売で、その中に特に手塚少女マンガの可愛らしい版画を厳選して展示する一画があり、その仕掛け人が手塚るみ子さん。
タイトルも「手塚ガールズ&ラブリー版画展」で、その販促も兼ねたトークショーイベントが開催された。

るみ子さんは、シックな黒いハットにイエローベースの落ち着いたレギンスに黒いパンツと、オシャレな出で立ち。
一方浦メは、最初いつものヨレヨレのズボンにTシャツで出かけんとした。
しかし嫁に、無理矢理ユニクロ謹製「ジャングル大帝」Tシャツ&胸ポケットにスカーフをあしらったベージュのジャケット、卸したてのGパンに着替えさせられちまった。

るみ子さんは喋りも流暢。しかも台本をスラスラではなく、セレクトした少女原画をそれぞれ「自分の言葉で」解説してはった。
つまりこれは、後で嫁も言うておったが、作品に対する“愛”が迸っておったという事。
例えば『エンゼルの丘』の猿とオウムに対するLOVE度などに、るみ子さんの愛をひしひし感じた。

話の中で他に印象に残ったのは、手塚先生がピアノ独学であったという事。
前から先生がピアノを弾かれるのは知っていたが、師についた事もなく、学校に通った事もなく、完全に独学だったとわ!
そういえば年譜見ても、どこにも音楽を習ったとか、習いに行ったなんて一文はなかったな。家にあったレコードなんかを聴いて覚えたんだとか。だから先生は楽譜は読めなかったとか。まるでウェス・モンゴメリーやがな。
これがホントの「耳学問」・・・いや、音楽やから「耳楽問」か。

手塚るみ子さんと@芦屋大丸
トークショー終了後、るみ子さんと記念撮影。
それから少女マンガ版画を眺め、その色彩の美しさにうっとり。定番のリボン、エンゼル以外にも『鳥よせ少女』『虹のとりで』『孔雀貝』に『びいこちゃん』・・・。やっぱええなぁ~、60年代までのカラー手塚漫画わ。

すると、控室から出てきて帰ろうとしてたるみ子さんが我等を見つけ、お茶に誘って下さった。
嫁が間髪入れず「ハイ喜んで!」
こういう時ウチの嫁は遠慮を知らない。

そんなワケで、大丸の中の風月堂でケーキセットを戴きながら、手塚談義に花を咲かせまくった。
途中ウウェイターが、もう帰れとあがりを持ってきた。
にも拘らず話は尽きる事なし。延々2時間半。
るみ子さんは本当に話し好きな人なんやな。しかしその人柄に好感を持ったぜよ。

先日アップした8月4、5日の江戸表下向始末の続き。

江戸下向の際の定宿・東京グリーンパレスで、いつものブレックファーストバイキング。
そしてこれまたいつも通り、ほぼすべての料理を少しずつ皿に乗せてたいらげる。中国人旅行客の爆買いに対して、浦メのは爆食だ。
嫁に至っては、オニオンスープをお替りしておった。
バイキングをいいことに、相変わらずj地獄の餓鬼か、ワシらわ!!

部屋に戻り、チェックアウトが11時とレイトなんで少し朝寝す。
のそのそとチェックアウトした後、嫁はんが「これから明治神宮外苑に行くでぇ」
神宮外苑とはまた珍しい。なんでや?
そこに<聖徳記念絵画館>があるから、それを観に行くという。
明治天皇の誕生から逝去までに起きた日本の事件&天皇の事績を描いた日本画・洋画を80点ばかり展示しているという。
なんだこやつ、いつの間に国粋主義に走りやがったんだ?と思いきや、絵画館が「近建」、即ち近代レトロ建築だからだ。
なるほど左様か。

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ホテルにアデューして日テレ通りを市ヶ谷へ。
市ヶ谷から国鉄で信濃町へ出た。
それにしても大江戸も朝から暑いのなんの。
流石に外苑の森林道はやや涼しかったが、絵画館の前に出ると直射日光浴びまくりや。

で、この絵画館、かなり威風堂々とした重厚な建物で結構な迫力だ。
近代レトロ建築に興味のない浦メでも、感心しちまったぜ。

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入口で二人分の施設維持協力金(拝観料)を払うと、係のオジサンがカチンコチンに凍らせたおしぼりを4本(ひとり2本)渡してくれた。
お、気前がいいじゃねえか♪
と思いきや、なんと館内はクーラーがなく、各所に設置された扇風機が回っておるだけであった。
だからせめてもの熱さ凌ぎで、冷しぼのプレゼントやったのか。
しかし幾らだだっ広い館内でも、扇風機だけだとこりゃ暑い。

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絵画の方は、もちろん明治天皇中心なんだが、勝海舟と西郷隆盛の江戸城無血開城談判など、教科書で見覚えのある絵も何点かあり、また各作品の解説板に、その当時の国内外ニュースが掲載されていて、改めて近代日本史のおさらいになった。

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館を辞してまた市ヶ谷へ。
上智大学を右手に見やりながら麹町の方へズンズンと進む・・・と書きたいところだが、なんせ暑ぅて暑ぅて、ズンズンではのぉてヨタヨタとヨロメキ歩いた。

次の目的地は紀尾井町の文藝春秋社。
手塚先生の『アドルフに告ぐ』で手塚番をされてた編集者氏に、嫁が当時の連載にまつわるあれこれをインタビューするため、アポを取っていたわけ。
だから昼前の聖徳記念絵画館は、チェックアウトからアポ時間までの“つなぎ”だったわけ。

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文藝春秋のビルに入るのは生まれて初めて。なんとうちの本社と、目と鼻の先にあった。
1階のサロンに通され、たまたまだが菊地寛のブロンズ胸像の隣の三人席でお茶しながら、当時の原稿争奪戦の様子などを拝聴する。
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小学館の『陽だまりの樹』と重なっておったので、小学館の館ヅメ先にアシスタントだけ行かせて、先生御本人は文春が別の場所に隔離。
氏が当時の手塚プロマネージャーと計らって「先生どこに消えたんでしょうかねえ?困ったなぁ」と小学館手塚番の目の前で小芝居を打った話、
原稿が上がらなくて腹立って、手塚プロ近所にあった映画館に行って映画を観てたら、前の方の席にベレー帽を発見した話など、色々面白い逸話が聞けた。
ついでに昨今話題の又吉の話題に飛んだりして、なかなか有意義な約2時間であったわい。
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帰りがけ、折角なんでうちの本社を「誰か出てきたらどうしよう?」なんて少しドキドキしながら外から眺め、踵を返してグリーンパレスへ。

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チェックアウトはしたんだけど、重たいからそれぞれのキャリーバックを預かってもらっていたのだ。
兎に角暑かったのと、チェックアウト後も荷物を預かってもらった御礼も兼ねて、ホテルのレストランで冷たい稲庭うどん定食を戴いた。
ティータイムだから当然お茶やケーキが主なんだけど、なぜか稲庭うどんもあったのだ。ちめたい麦酒と共に戴いたのは言うまでもない。

品川まで出て、これまた江戸下向時の帰途の定番、駅構内ショッピングモールでつばめグリル謹製ハンバーグ丼を買う。
朝食バイキングと稲庭うどんで腹一杯にもかかわらず、のぞみ車内でたいらげちまった。
もうさすがに満腹だわい。この小旅行でまた体重増えたな・・・。

それにしても、九段下~麹町~市ヶ谷~信濃町~麹町~品川と、えらい移動範囲の狭い2日間であった。
電車移動時間でいうならば、浦メの家の最寄り駅~淀屋橋~梅田~難波~淀屋橋~自宅最寄り駅・・・ぐらいの感覚かな。
わざわざ東京まで行ってさ(苦笑)