2007.08.30 水辺ナイト
水辺ナイト

8月29日は水辺ナイトでした。水辺のまち再生プロジェクト主催のイベントで、喫茶大大阪の吉崎さん、大バンのまさきちさんええはがき研の柴田さんなど多くの知人がかかわっていたので行ってきました。
水辺ナイト

まさきちさんは水晶橋でバーをされていました。
水辺ナイト

ドリンクを購入するために使えるのは「水辺マネー」
4M(みずべ)=1000円を購入。
1ミズベ

楽しみにしていたのがこれ。「ちょっとクルージング」
ちょっとクルージング

若松の浜を出発し、水晶橋の下をくぐってまた戻ってくるという10分間だけのクルージングなんですがこれがなかなか楽しい♪中之島の夜景と船の上に吹き渡る風がとても気持ちよかったです。
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2007.08.27 青山ビル
8月26日(日)は芝川ビルで行われた「登録有形文化財所有者の会」に行ってきました。ネーミングからして確実に関係者しか呼ばれないような会に、なぜ私が参加しているかというと、これもひとえに芝川ビル担当の大バンメンバー・ちよちゃんと、芝川さんのご厚意によるものです。

2時すぎから北船場周辺の登録有形文化財の散策。
芝川ビルを出発し、大坂ガスビル、北野家住宅などをまわったのですが、私が中でも一番嬉しかったのは、伏見町の青山ビルを見学させていただけたことでした。青山ビルは、同じく登録有形文化財である伏見ビルに隣接し、壁全体が蔦に覆われたスパニッシュ様式の近代建築です。1921年(大正10年)竣工。もともと輸入食料品店を経営していた野田源次郎氏の個人邸宅として建てられたものだそうです。壁面の蔦は二代目で甲子園から株分けしたもの。
青山ビル

青山ビル

1階入ってすぐ左手には丸福珈琲店が入居しています。土・日・祝がお休みなので、まだ私は入ったことがないのですが、店内にはぶどうのレリーフや、当時のマントルピースなどが残っているそうです。いつか是非行きたい☆
青山ビル

青山ビル

青山ビル
2007.08.26 水辺ナイト
NPO水辺のまち再生プロジェクト主催のイベントです。

水辺ナイト(PDFファイル)
8月29日(水)19:00~22:00
場所:中之島水晶橋&若松の浜&裁判所前ふれあいの岸辺
内容:いつもこうあって欲しい水辺の風景
   中之島の夜景・心地よい音楽・一杯のお酒・ミニクルージングなど

大バンのまさきちさんはなんとバーをされるらしい。
ええはがき研究会の柴田さんがかかわっているイベントでもあるので、私も行く予定です。夏の終わりを都会の水辺で一緒に過ごしませんか?

去年の様子はこちら
8月19日(日)は京都国際マンガミュージアムで開催中の「地球へ…」展を見に行きました。現在TBS系で放映中のアニメ「地球(テラ)へ…」にあわせた企画展。7月28日に行われた竹宮恵子先生のトークショーの日程がちょうど手塚眞さんのミュージアムトークとばっちりかぶっていてこちらへは参加することができず。でも企画展だけはどうしても期間中に行っておかねばと思っていました。
地球へ…

1階エントランスに入るとジョミーとブルーがお出迎え。「地球へ…」の新装版コミックスと英語版、それから竹宮恵子先生の原画を中心に集めた本が閲覧できるようになっていました。
地球へ…

1階から2階にかけての吹き抜けスペースには4メートルの垂れ幕が!少年時代のジョミーとソルジャー・ブルーのカット。
地球へ…

会場は2階のギャラリー4。竹宮恵子先生の複製原画11点のほか、アニメ「地球へ…」のパネルがところ狭しと並べられていました。年表、キャラクター設定。シナリオ、それから80年の劇場版の資料、あと「地球へ…」が連載された「マンガ少年」など。メインスクリーンでは第1話が上映されていました。会場の様子は公式サイトスペシャル→京都国際マンガミュージアムレポートに写真が掲載されていますので、そちらを参照に。

印象に残ったのは、竹宮恵子先生のアトリエ再現コーナー。連載時の竹宮先生の写真。三つ編みのおさげがかわい~い♪いえ、今もとっても綺麗な方ですが(^^)両サイドにはソルジャー・ブルーのカラー画、デスクの上には『地球へ…』のエピローグの原稿。ミュウの歴史の記憶をもった少年と少女が出会う瞬間のあのラストですが、実は初めて『地球へ…』を読んだとき、どうしてもこのラストに納得がいかなかったのでした。ストーリーや雰囲気は手塚先生の『火の鳥』未来編と望郷編に近いものがあるのですが、登場人物のほとんどすべてが死んでしまうラストはやっぱり残酷じゃないかと。そしてエピローグは救いあるシーンではあるものの、やっぱりこのラストは納得がいかない!と今でも思っています。だから、今回のアニメではどうなるのか。果たして原作どおりにマザーイライザの爆発とともにジョミーもキースもトォニイもリオも死んでしまうのか、それとも違うラストが用意されていて別の救いの道があるのか、最終回に期待したいです。この際、アニメではブルーが生き延びナスカを救うために命を賭して戦ったというオリジナルストーリーがあったように、原作と違うラストでも納得できればOK。アニメ監督のヤマサキオサムさんのブログによると、「原作にはない、ジョミーとトォニイの別れのシーンがあり、世代間の継承がちゃんとされている」とのこと。この1行で最終回への期待が一気に高まりました。
地球へ…

展示で何より大ウケしたのは「ソルジャー・ブルー記念碑」(笑)。これってついこの間の第17話でお亡くなりになったブルーへの追悼碑なのか!?いやいや、よ~くテラファンのハートを突いた粋な計らいです。パネルにはダ~ッとたくさんブルーの顔が並んでいて、クラシカルなノートが2冊。「是非皆様のソルジャー・ブルーへの想いを綴ってください」ですって。パラパラとめくってみるとブルーのイラストオンパレード♪ファンの熱~いラブコールが綴られていました。やっぱりキースよりトォニイよりジョミーより、ブルーが一番かっこいいなあ。欲を言うならノリでもうちょっと「追悼碑」っぽい立体物にして欲しかったんですけどね(^^;)
2007.08.20 旧精華小学校
精華小学校

8月18日(土)、大阪ええはがき研究会の定例会(ええかい)が難波にある旧精華小学校でおこなわれました。明治6年に開校し、昭和4年に鉄筋コンクリート造校舎が竣工した歴史ある精華小学校。しかし、少子化とドーナツ化現象により平成7年に閉校。現在、精華小劇場大阪市精華学習ルームという形でその校舎が活用されています。ところが、今年の6月に大阪市がこの敷地の売却を決めたそうです
精華小学校

「この校舎もいずれ無くなるかもしれない。それなら一度みんなで見に行こう。」
というええはがき研究会の分田さんの提案で、今回のええかいが行われました。分田さんは、精華小学校の出身で、ええはがき研でも精華小学校がテーマにしたシリーズ「大阪の学び舎に名建築家あり」を発表されています。そんなわけで、私も是非見たいなあと思っていた建物だったのでした。駅からさほど遠くない位置のハズなのに難波駅に到着してから道に迷うこと20分。戎橋商店街をあちこち歩きまわってようやくこの重厚な正門を見つけました。しかも、精華小劇場と精華学習ルームは入り口が違い、学習ルームの入り口は誰もがふらっとは入れないように、門扉がきっちり閉まっていて…。正門の前でまごまごしていたら、幸い職員の人が気づいて開けてくださり、中に入ることができました。近代建築ファンの間でも、あまり話を聞かないし、ネット上を探しても校舎内の写真があまり出てこないのは、どうもそういうところに理由があるようでした。でも、この生涯学習センターは予約すれば誰でも借りることができ、値段も大阪市の管理ということですごく安い!是非一度使って見ていただきたい建物です。
精華小学校

精華小学校

精華小学校

ええかいの会場303号室に到着。今回は大オオサカまち基盤との合同例会。といっても大バンのほうは特に決めることが無かったので、単に大バンメンバーがええはがき研のええかいに参加する形に。最初に分田さんから精華小学校の歴史について説明をしていただきました。
ええかい
NHKお宝テレビデラックスの再放送情報です!

8月11日(土)13:00~15:00 BS2
旅立ち・決意の時
「北の国から」「中学生日記」「まんが道 青春編」ほか

8月12日(日)13:00~15:00 BS2
日本のお母さん
「おはなはん」「肝っ玉かあさん」「あぐり」 ほか

見逃した方は是非♪
「はだしのゲン」
8月10日(金)21:00~22:52(前編)
8月11日(土)21:00~23:10(後編)フジテレビ系

NHKスペシャル「鬼太郎が見た玉砕~水木しげるの戦争~」
8月12日(日)NHK総合 21:00~22:29


と、それから今週末にピースおおさかで、ちばてつや氏の講演があります。毎年8月になるとこうやって戦争と平和について真剣に考えなければ、と思います。

ちばてつや氏講演
「私のマンガと戦争体験 ~満州からの引揚げと平和への想い~

講演会日時:2007(平成19)年8月12日(日) 午後2時~4時
会場:ピースおおさか 1階 講堂
未完の手塚作品第2弾です。
手塚ファンマガジン202号「未完の作品特集」のための投稿原稿を書いていたらもう201号が手元に届きました。今回は投稿が少なかったのか、未完の作品特集宛のイラストが早々と載っていましたね♪いくらなんでも、言いだしっぺの私が投稿しないわけにいかんでしょ(^^;)てなわけでようやくファンクラブに送信。以下、その原稿です。


未完の手塚作品『ルードウィヒ・B』

                                         田浦紀子

 私が初めて読んだ未完の作品は絶筆三部作のひとつ『ルードウィヒ・B』でした。『陽だまりの樹』や『アドルフに告ぐ』で大成した実在の人物とフィクションを巧みに織り交ぜる手法で描かれたルードウィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの半生。宿敵フランツが今後どのように絡んでいくのか。恐らく貴族出身のフランツと共和主義者であるルードウィヒとの対峙が重要な鍵となったことでしょう。

 『ルードウィヒ・B』はベートーヴェンの「半生」という言葉に相応しく、56年間の人生の、ちょうど折り返し点まで描かれた作品です。2巻のラストで描かれたピアノソナタ「月光」は1801年、ベートーヴェン30歳の時に作曲されました。ところがこの後ベートーヴェンは苦難の道を歩むことになります。自ら命を絶つことを決意し、弟に宛てて「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いたのはすぐ翌年1802年10月のことだったのです。この年の5月に初恋の人・エレオノーレ・フォン・ブロイニングが親友である医師・ヴェゲラーと結婚。遺書まで書いたベートーヴェンの心境はこのことと決して無関係ではなかったことでしょう。そして何よりも音楽家として致命的な耳の病。しかし、自殺寸前まで追い詰められたベートーヴェンが再びウィーンの社交界に返り咲いたのはやはり音楽があったからでした。その再生への道を手塚先生は生きていらしたらどのように描いたのか。

 描かれることのなかった物語のもうひとつの重要な伏線。それはルードウィヒがシラーの詩を口ずさむシーンです。
「ぼくはいつかきっとこの『歓喜の歌』を全部作曲してやる。そうだ、ぼくの最高傑作にしてやるぞ。」
「第九交響曲(合唱)」は事実、世の人誰もが知る最高傑作となりました。第九交響曲の初演のタクトを握った時、ベートーヴェンは53歳。完全に聴力を失った中での指揮だったといいます。しかし、その曲は聴く人誰もの心を揺り動かす喜びにみちた歌。もし『ルードウィヒ・B』が最後まで描かれていたなら、このシーンがクライマックスになっていたに違いありません。そして、「歓喜の歌」がルードウィヒを憎み続けたフランツの心を解かしていたことでしょう。

 まるで弾き続けたピアノ曲が突然プツリと途切れるが如く未完になった『ルードウィヒ・B』。でも、手塚先生の作品には他にも数え切れないくらい未完の作品があります。
「アイデアだけはバーゲンセールするほどあるんだ」との名言からもわかるように、ほどばしるアイデアを次から次へと描かずにはいられない。未完の作品が多く存在するのは、編集側の理由というより、手塚先生自身の性格や執筆姿勢によるものでしょう。描いても描いても手塚先生は、自分の作品にいつまでも満足ができなかったのではないでしょうか。だから、手塚先生は永久に未完の作家だとも思うのです。



花火

8月4日(土)は六稜トークリレーと淀川花火大会をハシゴ。(場所が同じ十三なんで^^)トークリレーに来られていた岡原さんにご馳走になった後、夏休み出勤の夫と合流して花火大会へ。で、花火大会の様子は…またも夫のミクシィからコピペします(笑)。最近多いな(^^ゞ以下夫の日記より。
花火

花火

花火

花火

夏休み中にもかかわらず、本日は出社。
17:00には社を出るはずが、ズルズルと仕事が延びて結局18:00すぎにバタバタと退出。

梅田に出た段階から人間だらけだ。十三までの150円の切符を買うために長蛇の列を並ぶ。
チクショー、こんな事なら家出るときにイコカ(東京ならスイカか)を貰っときゃ良かったぜい。
しかも自分の番になって1000円札を行けっと投入すると券売機がストップ、「しばらくお待ち下さい」のブザーが。
嗚呼、後ろに並ぶ人々の視線が刺さって痛いがな。

どうにかこうにか満員電車に滑り込んで、19:00前に十三で嫁さんと合流。
屋台でアホみたいに買い食いしまくると高くつくから、という嫁さんの命令を受けて、花火大会会場近くの大衆食堂でカツ丼をガツつき、生ビールをグビグビやる。
十三のいかがわしい通り(新宿歌舞伎町みたいなもの)をそそくさと抜け出て、会場である淀川河川敷に出る。
大阪中の人間が集結したんじゃないかと思わせる人の波。

座れる場所を探して行列にくっついて牛歩するも、すでに河川敷には人がびっしりと植わっており、とてもじゃないが場所なんかありゃしねえ。

タイムアウト。花火が始まった!
仕方ない、ここで立ち見や。左手に万里の長城みたいに張り出された幕を善意の第三者が引き剥がしてくれたお蔭で花火がよく見える。

息つく間も与えぬ花火の連発に、それこそ息もつかずにただ、ただ、見入った。「金鳥の夏、日本の夏」か。いいなあ、夏の花火は。
一方、嫁さんはデジタル一眼でバシャバシャ。女篠山紀信と化していた。

1時間の華麗なショーがアッという間に終了。終了と同時に人々は堰を切ったように帰路につきはじめる。その様はさながら出エジプトの如し。真っ暗な淀川が紅海に見えたぜ。(見えるか!)

大阪府警のみなさんが事故防止のために遅々として会場から脱出させてくれんからマイッタマイッタ。みんなショートカットせんと次々と道をはずれ、土手を乗り越えていく。その様を見た誰かの「脱北者みたいや」の声に思わず笑っちまった。なるほどその通りだ。あるいは「風雲たけし城」か。
浦メもエイヤッと土手のコンクリーの壁をよじ登った。小学生のころを思い出す。
嫁さんもヒイコラ言いながら、他人様に手伝ってもらってよじ登った。

まあとにかく暑い暑い。会社から直行したから背広にネクタイやさかい、余計や。
周りは浴衣やTシャツ、甚平ばかりだから浦は完全に浮いておる。まあサラリーマン姿で花火を鑑賞するのも悪くない。
汗でドロドロになってホウホウノテイで帰宅した。
疲れた~、しかし綺麗だった~。5日から再び休み。起きるまで寝てやる~。
手塚眞さんのミュージアムトーク以来急速に手塚のボルテージが上がっているのりみです。夏休み中、『火の鳥』の再放送があったり、スカパーで手塚作品特集をやっていたり(昨日の朝はすんごい久々に『マリンエクスプレス』を見た♪)するからか、一気に手塚度急上昇中。そういや『どろろ』のDVDも見なきゃ~!(買ったら安心してまだ全部見れてないんです^^;)やっぱり手塚作品はいいなあ♪

てなわけで、このまま手塚な話題を続けたいなあと思います。
7月に届いた手塚ファンマガジンvol.200で告知記事がありましたが、次回(vol.202)の企画特集は「未完の手塚作品」です。
絶筆三部作をはじめ「火の鳥」「一輝まんだら」「どついたれ」…やまほど未完作品があるし、未完の作品についてはファンは言いたいことが山ほどあると思うので、テーマとしておもしろいのではないでしょうか。

というメールをファンクラブにお送りしたところすぐに採用いただきました。思いつく限り未完の作品を列挙したところ、あるわあるわ…。たいてい未完の場合、理由が編集側にあるとされていますが、しかしこの数の多さってどちらかというと手塚先生自身の執筆姿勢、性格によるものじゃないかと思うんですよね。「アイデアだけはバーゲンセールするほどあるんだ」という名言からわかるようにほどばしるアイデアを次から次へと描かずにはいられない。原画の秘密展でも明らかなように、手塚先生の作品には描き直しが多い!これって要するに自分の作品にいつまでたっても満足ができないということではないでしょうか。だから、手塚先生は永久に未完の作家だと思うのです。


■未完の手塚作品

絶筆三部作
「ルードウィヒ・B」
「グリンゴ」
「ネオ・ファウスト」

「どついたれ」
「バンパイヤ」
「一輝まんだら」
「マグマ大使」サイクロップス編
「W3」少年マガジン版
「どろろ」冒険王版
「牙人」

「未来人カオス」
⇒第一部完となっていますが、あれは完結のうちに入らない。

「三つ目がとおる」
⇒「スマッシュでさよなら」で完結はないんじゃないの~?

■一応完結しているものの、続きが気になってしょうがない作品。

「どろろ」
「七色いんこ」⇒あの後いんこはいったいどうなったのか?
「MW」⇒ニヤリと笑った後の展開は?
「奇子」

「火の鳥」⇒伝説になったアトム編と大地編は?

「鉄腕アトム」
⇒テレビとシンクロする形になったため、ラストが複数ある作品。「アトムの最期」は連載時の「アトム」とは別物ととらえるほうがいいのでは。


ファンマガジンで募集記事が出たあと、手塚FC会員のからくりさんが自身のブログ「電気仕掛けの夢見がち」で「未完作品と云えば。」と題して『おお!われら三人』について熱~く語ってくださいました。からくりさん!どうもありがとうございます♪めっちゃ嬉しかったです。202号が楽しみ(^^)
うちの夫も久々に投稿原稿書いてくれたので、以下に載せておきまーす。
 
久々に夫・セージタウラにレポートをバトンタッチいたします。
原画の秘密展

7月28日(土)、家内をはじめ大阪、兵庫、奈良、滋賀・愛知、各県の手塚ファン7名が宝塚に集まった。目的は、手塚治虫記念館で行なわれる手塚眞さんの講演である。眞さんの前にはマンガ評論家の夏目房之介さん中野晴行さんと、相次いで講演がもたれた。このところ、記念館はアクティブだ。

我々は最前列に、総会屋のごとくドッカと陣取った。記念館館長さんの紹介を経て、やがて眞さん登場。真っ白に染めた長髪に白っぽいジャケット、その他はオール黒というオシャレな出で立ち。白と黒か…横溝正史の小説でそんなタイトルがあったな、なんて全然関係のない事を考えてしまった。そして、ファン大会では遠くて判らなかったのだが、白髪を後ろでキュッと結んでいらっしゃった。う~む、柳生烈堂か。

▼イラスト:金沢みやおさん
(あんまり上手いので金沢さんのレポートより転載させていただきます♪)

手塚眞さん

講演の内容はファン大会や著書、その他各種インタビューで語っておられたのとほぼ同じであった。やはり、夏休みという事で親子連れなど一般客層に焦点を絞られたか。だから、最前列の我らコアなグループにとっては少々物足りなかったのも事実。しかし、一部のコアなマニアのためでなく、幅広くいろんな人たちのための記念館という、開館当初の眞さんのポリシーを思い起こすと、今回の講演はこれで良かったのだろう。

特に印象に残った部分はというと、「マンガの基礎を作り上げた手塚治虫は『マンガの神様』と呼ばれているが、その陰には大変な努力があった。ぼくにとっては神様というより“天才”という言葉がしっくりくる。」

神というと、万能のイメージがあるが、手塚先生は決してそうではない。常に苦しみ、努力を重ねてきた人である。聞いていて私は、先生の後期の大傑作『ブッダ』を思い出した。先生が描かれた仏教の開祖・ゴータマ=ブッダは、悟りを開くまでに七転八倒してもがき苦しみ、悟りを開いてからも、なお七転八倒し続ける「一人の人間」であった。お寺に重々しく鎮座まします釈迦如来とはまるで別人だ。この眞さんの言葉を聞いて、そうや、ブッダは先生自身なんだ、との思いを新たにした。

また、手塚先生はよく布団に腹這いになってマンガを描いた。普通、腹這いで描くと絵が歪むハズだが、手塚先生の絵は歪まない。これは、子供の頃から畳にゴロンと寝そべってマンガを描いていた事の延長線上で、腹這いで描く事に慣れているから。実際、仕事場でも机は通常より脚を高くして顔に近づくようにしていた。当然そうなると普通のペン軸では近づいた顔面にチクチク当たるから、ペン軸も半分くらいにちょん切っていた…というエピソードも興味深かった。実際私も、寝そべっては絵どころか字も書けない。背中を掻く事はできるが。

講演が終了し、質疑応答タイム。知人の金沢みやおさんが「『どろろ』は他の人によって面白い映画になってしまったが、眞監督は何か次回作の野望は?」と質問。眞さん答えて曰く「ゴジラ・七人の侍という、名作が奇しくも同じ年に公開された。そしてアトムは、その頃人気絶頂。つまり同じ1950年代の初めにマンガ史・日本映画史・特撮史に偉大な足跡を残した作品が顔を揃えた。だからその縁を記念して『ゴジラ対七人の侍対鉄腕アトム』を創りたい。」
場内爆笑!ゴジラに斬りかかる志村喬、三船敏郎と格闘するアトム、ヒゲオヤジと一緒に逃げ回る左卜全…恐いもの見たさで見てみたい気はする。

また、さらに眞さん曰く「『バンパイヤ』なんかも」場内(特に最前列と二列目)どよめき。スプラッターな『バンパイヤ』になるんだろうか?実現するか否かは別として、これはちょっと見ものだ。

親子連れのお母さんの質問「夏休み中で、親子もいるので、眞さんとお父さんの夏休みの思い出を」には、
「どんなに忙しくても父は毎年、夏休みには家族旅行を計画してくれた。しかし、いかんせん仕事が忙しすぎる。ゆえに旅行は自分たちが先に現地に行き、父は『後から行くから』と約束した。ところが、待てど暮らせど父は来ない。しゃあない帰るか~、という最終日にやっと到着する有様だった。でも父は本当に家族を第一に思ってくれていた。」
ハートウォームな逸話を聞かせてもらった。講演の終盤で眞さんが言われた天才は天才でも「優しい天才」という手塚先生評が胸にじんわりと染み渡った。

やはりいろんな企画展示やアニメに加え、“ライブ”もいいなぁ。秋には水野英子さん&丸山昭さんのトークライブが催される。この流れは是非、継続してもらいたいものだ。


【次回ミュージアムトーク予告】

水野英子氏×丸山昭氏
対談/すべては手塚治虫から始まった~トキワ荘の仲間たち~
10月14日(日)13:30~
場所:手塚治虫記念館アトムビジョン




手塚眞さんの著書『天才の息子』と同タイトルで、虫ん坊2001年3月号よりエッセイが1年間連載されました。

■手塚眞さんのブログ
■宝塚市立手塚治虫記念館 記念館だより


【過去に行なわれたミュージアムトークレポート】
夏目房之介氏ミュージアムトークin手塚治虫記念館【前編】 【後編】 【金沢さん編】

中野晴行氏ミュージアムトークin手塚治虫記念館


虫ん坊2007年8月号にレポート採用いただきました。