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2008.12.31
第九atフェスティバルホール
昨日、フェスティバルホール最後の公演「第九シンフォニーの夕べ」を聞きに行ってきました。
以下、夫のミクシィ日記よりレポート転載です。

嫁さんに誘われて、大阪フェスティバルホールまで「ダイク」を聴きに行ってきた。
もちろんカーペンターズのコンサートではない。ましてや日本の匠・棟梁たちの、鉋の削り音や釘打つ音等を聴きに行ったのでもない。
今日で2008年も終わるというのに、お約束のベタギャグをやってしまった。

それはさておき、実はフェスティバルホールは、この日のコンサートで一旦幕を閉じ、建て替えに入る。2013年に新・フェスティバルホールとしてオープンするのだ。
だから今回のコンサートは単に年末の大ラスとしてだけでなく、現フェスティバルホール、ホントの大ラスイベントでもあるのだ。
我々は、その現場に立ち会ったわけだ。

第九は、大学生の頃、サントリーの主催で「100万人の第九」というのを城ホールでやっていて(今もやってるんかな?)、サークルの知人が合唱団に加わってたもんだから聴きに行って以来だ。
というか、浦メはコンサート=ズージャばかりだったもんだから、クラシック自体が本当に15,6年ぶりとなる。

会場は大入り盛況。浦メもちょいとオメカシして、スーツにネクタイなんぞで出向いたんだが、ドレスアップした貴婦人方やジェントルメン、和装の女人などもいて、ライブハウスとは明らかに客層が違う(アタリマエやな)。
嫁さんはホール内のクラシカルな調度というか装飾に魅了され、愛機・デジタル一眼でパシャパシャ撮りまくっておる。
中二階のロビーでグラスワインを販売していたので、浦メは白をオーダーし、気分だけはレッド・バトラーであった(毎年のことだが長期休暇中は髭を剃らないことにしているんで、余計に)。
ただ惜しむらくは、モノホンのバトラーと違って、イングリッシュではなく関西弁を操り、短躯短足であるという点である。

やがて開演。席は1階といいつつも、ホール全体が階段教室状であるため、しかも一番奥の方の席だったため、遥か谷底にステージが広がっていた。
浦メたちのエリアから、一番前の「唾かぶり席」まで人頭でギッシリだ。
ステージには燕尾服の楽士たち・コーラス団が続々と登壇。その様は圧巻の一語に尽きる。コーラス団は概算で男女合わせて120人はいただろうか。これだけの人数が歓喜の歌を歌うのか!とゾクゾクした。
そしてコンダクター・大植英次氏登場。
第一楽章からスタートし、ああ聴きおぼえがあるぜこのメロデー♪と懐かしさと心地よさに抱き寄せられてジーッと聴き入った。
むかしであれば間違いなく熟睡したであろう第三楽章の、弦楽器軍団による美しいウットリするような旋律が一番気に入ったな。
各楽章が終了しても誰一人拍手はしない。これもズージャのライブとは違うところだ。ズージャだったらソロが終わるたびに万雷の拍手。場合によってはプレイヤーの演奏中に客が興奮状態になって拍手の波が起こったりする。
だから、今回は、楽章の終わりで拍手でもしようもんならドシロウト丸出しになってしまう。
昔、朝日の連載漫画「フジ三太郎」で、クラシックのコンサート中ずっと舟を漕いでた三太郎が、1楽章が終わって慌てて目が覚めて拍手し、赤っ恥を掻くというのがあったが、危うく浦メは寝はしなかったけど拍手未遂という点で「三太郎プレイ」をやっちまうところであった。
異国のゲスト紳士淑女4名が登壇し、ついに圧巻の第四楽章に突入。お馴染み「歓喜の歌」だ。
なんというか、歌の塊というか大津波が唸りをあげてせり上がってくる感じだった。オーケストラと合唱団とゲスト歌手のド迫力の美声が三つ巴で勝負しているようでもあった。言うなればゴジラ対モスラ対キングギドラである(ムチャクチャな例えなやぁ)。
それらを大団円に向けて指揮する大植コンダクターは、牧羊犬かはたまた聖人モーセか。いまにも出エジプトよろしくステージが真っ二つに割れるんじゃなかろうか。
学生時代に聴いた100万人の第九では、コンダクターは故・山本直純で、独特のピョンピョンジャンプする指揮ぶりが印象に残っているが、今回の大植氏も、その渾身ぶりはまるで泥鰌すくいの如し。あるいは都はる美ばりの「こぶし」の如し。
バカにしているのではなく、本当に後ろ姿がそう見えたんだ。気合い入りまくりが十二分に伝わったぜ!
最終楽章ラストがバシッと決まり、場内は割れんばかりの拍手と大歓声の嵐。確かに凄かった。ズージャとは全く異なる迫力、パワーにただただ圧倒。演奏後のカーテンコールが4,5回続くのにもビックリだ。みんな拍手する手が疲れないのかな?
カーテンコールが漸く終わり、合唱団は降壇し、オーケストラのみで“アンコール”にあたるのか、エルガーの「威風堂々」を演奏。これもテューバやハープまで加わって、&大植コンダクターの煽りで客席も手拍子を打ち鳴らし、まさしく威風堂々たる演奏であった。
またこの曲は、個人的にはチュー坊の頃、初めて我がの小遣いで購入したクラシックLP「行進曲集」の一発目の収録曲でもあったため、浦メも万感胸に迫るものがあった。
さらに最後の最後は、合唱団の諸兄姉が客席に乱入して主客一緒になって「蛍の光」の大合唱。
ホールを出て家路に就く人々の顔は満足で溢れていた。我々も十分お腹いっぱいだ。いい年の瀬を堪能させてもらえました!
以下、夫のミクシィ日記よりレポート転載です。

嫁さんに誘われて、大阪フェスティバルホールまで「ダイク」を聴きに行ってきた。
もちろんカーペンターズのコンサートではない。ましてや日本の匠・棟梁たちの、鉋の削り音や釘打つ音等を聴きに行ったのでもない。
今日で2008年も終わるというのに、お約束のベタギャグをやってしまった。

それはさておき、実はフェスティバルホールは、この日のコンサートで一旦幕を閉じ、建て替えに入る。2013年に新・フェスティバルホールとしてオープンするのだ。
だから今回のコンサートは単に年末の大ラスとしてだけでなく、現フェスティバルホール、ホントの大ラスイベントでもあるのだ。
我々は、その現場に立ち会ったわけだ。

第九は、大学生の頃、サントリーの主催で「100万人の第九」というのを城ホールでやっていて(今もやってるんかな?)、サークルの知人が合唱団に加わってたもんだから聴きに行って以来だ。
というか、浦メはコンサート=ズージャばかりだったもんだから、クラシック自体が本当に15,6年ぶりとなる。

会場は大入り盛況。浦メもちょいとオメカシして、スーツにネクタイなんぞで出向いたんだが、ドレスアップした貴婦人方やジェントルメン、和装の女人などもいて、ライブハウスとは明らかに客層が違う(アタリマエやな)。
嫁さんはホール内のクラシカルな調度というか装飾に魅了され、愛機・デジタル一眼でパシャパシャ撮りまくっておる。
中二階のロビーでグラスワインを販売していたので、浦メは白をオーダーし、気分だけはレッド・バトラーであった(毎年のことだが長期休暇中は髭を剃らないことにしているんで、余計に)。
ただ惜しむらくは、モノホンのバトラーと違って、イングリッシュではなく関西弁を操り、短躯短足であるという点である。

やがて開演。席は1階といいつつも、ホール全体が階段教室状であるため、しかも一番奥の方の席だったため、遥か谷底にステージが広がっていた。
浦メたちのエリアから、一番前の「唾かぶり席」まで人頭でギッシリだ。
ステージには燕尾服の楽士たち・コーラス団が続々と登壇。その様は圧巻の一語に尽きる。コーラス団は概算で男女合わせて120人はいただろうか。これだけの人数が歓喜の歌を歌うのか!とゾクゾクした。
そしてコンダクター・大植英次氏登場。
第一楽章からスタートし、ああ聴きおぼえがあるぜこのメロデー♪と懐かしさと心地よさに抱き寄せられてジーッと聴き入った。
むかしであれば間違いなく熟睡したであろう第三楽章の、弦楽器軍団による美しいウットリするような旋律が一番気に入ったな。
各楽章が終了しても誰一人拍手はしない。これもズージャのライブとは違うところだ。ズージャだったらソロが終わるたびに万雷の拍手。場合によってはプレイヤーの演奏中に客が興奮状態になって拍手の波が起こったりする。
だから、今回は、楽章の終わりで拍手でもしようもんならドシロウト丸出しになってしまう。
昔、朝日の連載漫画「フジ三太郎」で、クラシックのコンサート中ずっと舟を漕いでた三太郎が、1楽章が終わって慌てて目が覚めて拍手し、赤っ恥を掻くというのがあったが、危うく浦メは寝はしなかったけど拍手未遂という点で「三太郎プレイ」をやっちまうところであった。
異国のゲスト紳士淑女4名が登壇し、ついに圧巻の第四楽章に突入。お馴染み「歓喜の歌」だ。
なんというか、歌の塊というか大津波が唸りをあげてせり上がってくる感じだった。オーケストラと合唱団とゲスト歌手のド迫力の美声が三つ巴で勝負しているようでもあった。言うなればゴジラ対モスラ対キングギドラである(ムチャクチャな例えなやぁ)。
それらを大団円に向けて指揮する大植コンダクターは、牧羊犬かはたまた聖人モーセか。いまにも出エジプトよろしくステージが真っ二つに割れるんじゃなかろうか。
学生時代に聴いた100万人の第九では、コンダクターは故・山本直純で、独特のピョンピョンジャンプする指揮ぶりが印象に残っているが、今回の大植氏も、その渾身ぶりはまるで泥鰌すくいの如し。あるいは都はる美ばりの「こぶし」の如し。
バカにしているのではなく、本当に後ろ姿がそう見えたんだ。気合い入りまくりが十二分に伝わったぜ!
最終楽章ラストがバシッと決まり、場内は割れんばかりの拍手と大歓声の嵐。確かに凄かった。ズージャとは全く異なる迫力、パワーにただただ圧倒。演奏後のカーテンコールが4,5回続くのにもビックリだ。みんな拍手する手が疲れないのかな?
カーテンコールが漸く終わり、合唱団は降壇し、オーケストラのみで“アンコール”にあたるのか、エルガーの「威風堂々」を演奏。これもテューバやハープまで加わって、&大植コンダクターの煽りで客席も手拍子を打ち鳴らし、まさしく威風堂々たる演奏であった。
またこの曲は、個人的にはチュー坊の頃、初めて我がの小遣いで購入したクラシックLP「行進曲集」の一発目の収録曲でもあったため、浦メも万感胸に迫るものがあった。
さらに最後の最後は、合唱団の諸兄姉が客席に乱入して主客一緒になって「蛍の光」の大合唱。
ホールを出て家路に就く人々の顔は満足で溢れていた。我々も十分お腹いっぱいだ。いい年の瀬を堪能させてもらえました!
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2008.12.27
手塚年賀状アーカイブス
あかん…まだ年賀状が半分しか書けてへん(><)。
仕方が無いのでちょっと逃避して過去の年賀状アーカイブスです(笑)。
手塚年賀を始めたのは1997年が最初だったと思います。ちょうど12年前。もう干支がひとまわりしたんですねー。
1997年はOVA『マグマ大使』よりマモルとガム
1998年は寅年でしたがルネとルキオ(『ジャングル大帝』)
1999年はウサギを抱いた振袖姿のメルモ
でした。さすがにその頃のデータは残っていないのですが、2000年以降の手塚年賀を一挙掲載します。
(クリックするとその年の年賀状元掲載URLにとびます)
2000年
和登さん(『三つ目がとおる』)

2001年
手塚先生と蛇神社(『モンモン山がないてるよ』

背景は手描きで手塚先生のみフォトショップで彩色。
2002年は喪中でナシ。
2002年の4月に結婚し、以降夫との合作年賀を始めました。私が絵を描いて夫がそれに台詞をつける合作が毎年恒例に。ちなみに全て絵が先です。台詞ネタは後から考えたものです。
2003年
アトム誕生

台詞ありバージョン

2004年
見ざる言わざる聞かざる(『ブラック・ジャック』よりピノコ)

2005年
(『火の鳥』の羽)

2006年
(ワンパト『鉄腕アトム』より)

さて問題です。コレはいったいなんでしょう?
1.ワンパト
2.犬の形のパトカー
3.アトムに登場したパトカー
4.ブラック・ジャックに登場しなかったパトカー
5.犬をデフォルメしたパトカー
正解者にはもれなく ばるぼらをプレゼント!
(絵/のりみ 文/セージ)
▲いうまでもなく全部正解です。
2007年

祝★「どろろ」映画化バージョン

祝★太陽の搭内覧オフ会成功バージョン

私の年賀状は毎年通常バージョンと手塚バージョンの2種類作っていたのですが、今年はこれに近代建築バージョンが加わりました。お楽しみに!
年末30日はフェスティバルホール最後の公演「第9コンサート」を聴きに行く予定です。めっちゃ楽しみ♪
それでは皆様よいお年を…
仕方が無いのでちょっと逃避して過去の年賀状アーカイブスです(笑)。
手塚年賀を始めたのは1997年が最初だったと思います。ちょうど12年前。もう干支がひとまわりしたんですねー。
1997年はOVA『マグマ大使』よりマモルとガム
1998年は寅年でしたがルネとルキオ(『ジャングル大帝』)
1999年はウサギを抱いた振袖姿のメルモ
でした。さすがにその頃のデータは残っていないのですが、2000年以降の手塚年賀を一挙掲載します。
(クリックするとその年の年賀状元掲載URLにとびます)
2000年
和登さん(『三つ目がとおる』)

2001年
手塚先生と蛇神社(『モンモン山がないてるよ』

背景は手描きで手塚先生のみフォトショップで彩色。
2002年は喪中でナシ。
2002年の4月に結婚し、以降夫との合作年賀を始めました。私が絵を描いて夫がそれに台詞をつける合作が毎年恒例に。ちなみに全て絵が先です。台詞ネタは後から考えたものです。
2003年
アトム誕生

台詞ありバージョン

2004年
見ざる言わざる聞かざる(『ブラック・ジャック』よりピノコ)

2005年
(『火の鳥』の羽)

2006年
(ワンパト『鉄腕アトム』より)

さて問題です。コレはいったいなんでしょう?
1.ワンパト
2.犬の形のパトカー
3.アトムに登場したパトカー
4.ブラック・ジャックに登場しなかったパトカー
5.犬をデフォルメしたパトカー
正解者にはもれなく ばるぼらをプレゼント!
(絵/のりみ 文/セージ)
▲いうまでもなく全部正解です。
2007年

祝★「どろろ」映画化バージョン

祝★太陽の搭内覧オフ会成功バージョン

私の年賀状は毎年通常バージョンと手塚バージョンの2種類作っていたのですが、今年はこれに近代建築バージョンが加わりました。お楽しみに!
年末30日はフェスティバルホール最後の公演「第9コンサート」を聴きに行く予定です。めっちゃ楽しみ♪
それでは皆様よいお年を…
2008.12.25
不測の事態(>_<)
なんと年末というのにパソコンを入院させなきゃいけなくなりました(+_+)これから年賀状を100枚書かなきゃいけないというのになんてこった!アッチョンブリケ)@o@(
ハードは無事なのですが、バックライトの故障で、パソコンが真っ暗な状態に。かろうじてうっすら画面が見えるので、バソコンに上からライトを当てて年賀状を印刷。まあハードがおシャカになるよりはうんとマシなのですが…。
というわけで、年末年始とブログ更新、メールともお休みします。
携帯でPCメールもブログも読めますが、最小限のやり取りにとどめますので、ご用の方は携帯にお願いします。
でも年賀状はなんとか更新したいなあ(^_^;)
ハードは無事なのですが、バックライトの故障で、パソコンが真っ暗な状態に。かろうじてうっすら画面が見えるので、バソコンに上からライトを当てて年賀状を印刷。まあハードがおシャカになるよりはうんとマシなのですが…。
というわけで、年末年始とブログ更新、メールともお休みします。
携帯でPCメールもブログも読めますが、最小限のやり取りにとどめますので、ご用の方は携帯にお願いします。
でも年賀状はなんとか更新したいなあ(^_^;)
2008.12.21
狂言版「ブラック・ジャック 勘当息子」

マイミクの手塚ファン・アレンさんとGAKUさんと一緒に宝塚へ。目的は宝塚ソリオホールで上演される新作狂言「勘当息子」。『ブラック・ジャック』第164話「勘当息子」をなんと狂言でやる!というもの。アレンさんが静岡からこの狂言観賞のために来宝する、というのでご一緒することにしました。
ブラック・ジャック 第164話「勘当息子」
電車が止まり立ち往生するブラックジャック。駅長(クッター)は当分動かないという。ある民宿に泊ることにしたが、そこのおばあさんは何年ぶりかに息子達が帰ってくるといっている。しかし、待てど暮らせど息子達は帰ってこない。そんな中電報が二通来、一郎と二郎が帰ってこれないと連絡してくる。さらに三郎からも電話で帰ってこれない旨知らせてくる。ブラックジャックと二人で自棄酒をしている中、玄関のベルが鳴る。四郎だった。しかし、四郎は昔ぐれて勘当された身だった。ブラックジャックの進言もあり家の中に入れるおばあさん。
父親(ヒゲオヤジ)の遺影に話し掛ける四郎。そうするとおばあさんが倒れてしまう。実は四郎は医者の卵であり、母親を治療するために医者になったのだという。彼の見立ては間違っており、ブラックジャックがただで手術を請け負う。
というのが原作のあらすじ。
(「手塚治虫のすべて」より転載)
で、これが狂言版になるとどうなるか。
「これは諸国を巡る旅の医師でござる。私は医術にかけては世情で並ぶものがないとあって黒医師と呼ばれておりまする」(爆)
と登場したB・Jのいでたちはこんな感じ。(アレンさん画)

衣装は黒かったーっ!でももちろん黒マントにツギ顔、半分白髪ではなく、黒っぽい着物と袴に傘。その傘と着物には白い雪が降り積もっているという衣装の凝り様。
人家を見つけ老婆に泊めてもらったB・J…いや黒医師。老婆は、都で出世した三人の息子が、自分の長寿の祝いのために帰郷すると喜びながら話す。そこへ三人の息子より電報ではなく、文(ふみ)が到着。
太郎からの文
「解散総選挙で大事な時にて今は帰ることができず」
次郎からの文
「世界金融恐慌にて銀行が忙しい」
三郎からの文
「裁判員に指名された」
三人とも帰ってこれないことに落胆する老婆。
そこへ勘当したはずの息子・四郎が帰宅。怒る老婆をB・Jがなだめ、家に入れたところで持病で倒れる老婆。
…とここで原作では二人で母の手術をし、四郎はB・Jの腕に目を見張るのですが、やっぱり狂言で手術ってわけにはいかなかったー(笑)。四郎が飲ませた薬では母はよくならず、黒医師が飲ませた薬で母は助かる、という展開に。そやけど薬をちゃんぽんしたらマズいやろ~!
最後に四郎が言った台詞
「もしやこなたは世情で評判の黒医師様ではござらぬか」
母が助かったお礼をと言う四郎に、義理堅い人間で一宿一飯の恩だからと断る黒医師。
わーっ!これじゃあ、B・Jがただのいい人やん!
笑いどころも手塚ファンとしてのツッコミどころ満載で予想していた以上にはるかに楽しめました。手塚漫画はもともと演劇に向いているものが多いと思いますが、狂言化は初の試み。こんな展開の仕方があったのね、と目から鱗でした。
狂言鑑賞の後は手塚治虫記念館へ。アニメ工房でアレンさんが狂言版B・J黒医師のアニメを描いてくださったのでデジカメで撮った写真をGIFアニメ加工して載せます。いや~よく描けてる!まさにこんな感じでした(^^)


記念館前のサファイアとヒョウタンツギのイルミネーション。
ヒョウタンツギは立体で裏側にまでちゃんとツギがあたっています!
2008.12.12
ヴォーリズ特集 ぐるっと関西プラス
2008.12.08
関西学院大学のクリスマス

関西学院大学のクリスマスイベントに行ってきました。
12月中は、時計台前のクリスマスツリーが点灯され、ランバス記念礼拝堂でクリスマスコンサートが開催されています。

関西学院大学は私の両親の母校です。
自分の存在がこの関学があったからこそと思うとやはり感慨深いものがあります。
私の家族にとって、とても縁が深い学校にも拘わらず、私自身は一度も足を運んだことがありませんでした。

今年2月に滋賀県立美術館ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展で行われた講演会
「中央芝生の空間」関西学院キャンパスの伝統について
を聞いて以来この目で一度関西学院を見ておかねばと思っていました。

関西学院といえばヴォーリズ建築!甲山をバックにした時計塔は関学のシンボルです。




ヴォーリズ建築として有名な関学ですが、当然ながら増築された校舎も多かったです。
ヴォーリズもどき…いやいやヴォーリズ建築を踏襲したデザインの校舎ばかりなもので、予習なしで初めて関学を訪れた人は一見どれが本物のヴォーリズ建築なのか判断に迷うなーと感じました。レストランポプラが入っている関西学院会館など、明らかに新しいのですが、外観で一瞬これもヴォーリズじゃないかと思ってしまったほどです。ただ、外観ではわからなくても中に入ればヴォーリズ建築かそうでないかは一目瞭然。神学部や文学部の校舎に足を踏み入れると、曲がりくねった古い階段の手摺を見ることができます。
2008.12.06
旧東京音楽学校奏楽堂
記事が前後してしまいましたが、先日上野散策のラストで訪れたのが、上野の旧東京音楽学校奏楽堂でした。現在ハイビジョンで再放送中の朝ドラ『純情きらり』の舞台になった建物で、宮あおいちゃん演じる桜子がこの門を駆け込むシーンがあります。
音楽学校というのでもう少し大きな建物を想像していたのですが、明治期の建築って二階建てで小さいですね。明治期と昭和初期の建物を比べると急速に建物の規模が大きくなっていったことがわかります。


奏楽堂正面の大屋根には、西洋と東洋の調和を象徴とした「ハープ」と「笙(しょう)の笛」、そして中央には大太鼓が配されたバロック様式の切妻飾りがあります。

公式サイトの施設紹介によると、二階にある音楽ホールは、かつて滝廉太郎がピアノを弾き、山田耕筰が歌曲を歌い、三浦環が日本人による初のオペラ公演でデビューを飾った由緒ある舞台なんだそうです。
東京芸術大学音楽学部の学生による日曜コンサートが行われているということで、パイプオルガンの音色を堪能してきました。




音楽学校というのでもう少し大きな建物を想像していたのですが、明治期の建築って二階建てで小さいですね。明治期と昭和初期の建物を比べると急速に建物の規模が大きくなっていったことがわかります。


奏楽堂正面の大屋根には、西洋と東洋の調和を象徴とした「ハープ」と「笙(しょう)の笛」、そして中央には大太鼓が配されたバロック様式の切妻飾りがあります。

公式サイトの施設紹介によると、二階にある音楽ホールは、かつて滝廉太郎がピアノを弾き、山田耕筰が歌曲を歌い、三浦環が日本人による初のオペラ公演でデビューを飾った由緒ある舞台なんだそうです。
東京芸術大学音楽学部の学生による日曜コンサートが行われているということで、パイプオルガンの音色を堪能してきました。




2008.12.01
年賀状 デザイン イラスト
毎年この時期になると、義父母が家に年賀状を印刷しに来ます。
家の片付けも掃除も、そして肝心の年賀状のデザイン製作も前日にするという焦り具合だったのですが(笑)これがギリギリでも出来るから不思議(^^;)
前日にこの正月飾りを描いたのですが、

いくらなんでも1枚だけってのはなあ…と思ったのと、横書きより縦書きが好きな義母のことを思い、もう一種類描きました。(上のデザインだと横書きに配置できても縦書きが難しい)
義父母が来る当日に描いた絵がこれ↓。
「餅花しだれ」っていうこと、皆さんご存知でした?

で、結局1時間でちゃちゃっと描いた後者が採用になりました。
まあ、えてしてそんなもんでしょうね(笑)。
文字のバックにしくイメージで描いたので、50%濃度です。↓

レイアウトはこんな感じ。


気に入っていただける方はダウンロードしてお使いください。
使って下さった方がいらっしゃいましたら、コメント欄にて報告いただけると、大変嬉しいです♪
過去に描いた年賀状用イラストも再掲載しておきます。


家の片付けも掃除も、そして肝心の年賀状のデザイン製作も前日にするという焦り具合だったのですが(笑)これがギリギリでも出来るから不思議(^^;)
前日にこの正月飾りを描いたのですが、

いくらなんでも1枚だけってのはなあ…と思ったのと、横書きより縦書きが好きな義母のことを思い、もう一種類描きました。(上のデザインだと横書きに配置できても縦書きが難しい)
義父母が来る当日に描いた絵がこれ↓。
「餅花しだれ」っていうこと、皆さんご存知でした?

で、結局1時間でちゃちゃっと描いた後者が採用になりました。
まあ、えてしてそんなもんでしょうね(笑)。
文字のバックにしくイメージで描いたので、50%濃度です。↓

レイアウトはこんな感じ。


気に入っていただける方はダウンロードしてお使いください。
使って下さった方がいらっしゃいましたら、コメント欄にて報告いただけると、大変嬉しいです♪
過去に描いた年賀状用イラストも再掲載しておきます。


2008.12.01
ビルマニアカフェ2008回顧展
船場建築祭3で手にしたチラシを見て吹き出してしまったのですが、10月11日、12日に開催したビルマニアカフェ2008の回顧展をするそうです。



ご好評にお応えして、BMCオリジナルグッズも販売!
(もしくは在庫一掃セールとも言う・笑)
■メンバーお気に入りの螺旋階段を撮り下ろしたポストカード

■MBCオリジナルコースター

■ビルの素敵なパーツをモチーフにしたてぬぐい

■渋ビル「丹平」をモチーフにしたブックマッチ

ビルマニアカフェ2008回顧展--君はBMCを目撃したか--
ビルマニアカフェの熱気冷めやらぬ今日この頃。
あの伝説のBMCに参加できなかったことを悔やんでいるあなた、
そしてもっと見せて!というあなたのために、
ビルマニア回顧展を開催します。
日時 :2008年12月1日(月)~12日(金)
場所 :大阪名品喫茶大大阪
大阪市北区中之島3-6-32 ダイビル本館1F
コーヒーの香りが漂う喫茶店で、心ゆくまでビルを堪能していただけます。
喫茶大大阪のあるダイビルは、あと半年余りで解体予定の近代建築。
80才を越える歴史ある建物を鑑賞しつつ、
まだまだ現役の30~50才のビル達に思いを馳せる、
そんな粋なひとときを過ごしにどうぞいらしてください。
そして、今まで人には言えなかったけど実は自慢のビルがあるあなたや、
ビルマニアカフェ以降、ビルを見上げずには街を歩けなくなったあなたは、
『ビル自慢大会』に参加してください!
日時 :2008年12月2日(火)19:30~22:00
会場 :喫茶大大阪にて
参加費 :1ドリンク制1000円
※我こそは!と思う方、自慢したいビルの写真をCDRで持参してください。
※見るだけでももちろんOK。



ご好評にお応えして、BMCオリジナルグッズも販売!
(もしくは在庫一掃セールとも言う・笑)
■メンバーお気に入りの螺旋階段を撮り下ろしたポストカード

■MBCオリジナルコースター

■ビルの素敵なパーツをモチーフにしたてぬぐい

■渋ビル「丹平」をモチーフにしたブックマッチ

ビルマニアカフェ2008回顧展--君はBMCを目撃したか--
ビルマニアカフェの熱気冷めやらぬ今日この頃。
あの伝説のBMCに参加できなかったことを悔やんでいるあなた、
そしてもっと見せて!というあなたのために、
ビルマニア回顧展を開催します。
日時 :2008年12月1日(月)~12日(金)
場所 :大阪名品喫茶大大阪
大阪市北区中之島3-6-32 ダイビル本館1F
コーヒーの香りが漂う喫茶店で、心ゆくまでビルを堪能していただけます。
喫茶大大阪のあるダイビルは、あと半年余りで解体予定の近代建築。
80才を越える歴史ある建物を鑑賞しつつ、
まだまだ現役の30~50才のビル達に思いを馳せる、
そんな粋なひとときを過ごしにどうぞいらしてください。
そして、今まで人には言えなかったけど実は自慢のビルがあるあなたや、
ビルマニアカフェ以降、ビルを見上げずには街を歩けなくなったあなたは、
『ビル自慢大会』に参加してください!
日時 :2008年12月2日(火)19:30~22:00
会場 :喫茶大大阪にて
参加費 :1ドリンク制1000円
※我こそは!と思う方、自慢したいビルの写真をCDRで持参してください。
※見るだけでももちろんOK。
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