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ベルばら展京都国際マンガミュージアム1

ベルばら展京都国際マンガミュージアム2

京都国際マンガミュージアムで開催中の「池田理代子 ベルサイユのばら原画展」にあわせ、池田理代子先生のトークショーが3月27日に開催されました。会場はほぼ満席、約250人の聴衆で埋め尽くされていました。

池田理代子先生が「ベルサイユのばら」を執筆したのは24歳、構想を思いついたのはなんと17歳の時だったそうです。高校の夏休みの課題図書で、シュテファン・ツヴァイクの「マリーアントワネット」を読み、「いつか私のマリーアントワネットを書きたい。漫画か小説か映画か舞台か解らないけれど、私のマリーアントワネットを書こう。」と決心。その時に既に「ベルサイユのばら」というタイトルが決まっていたそうです。

池田理代子先生の漫画家デビューは21歳。4回の連載と増刊号への書き下ろしという破格の扱いで雑誌デビューした池田先生は、3年の間に「自分が書きたいものを書くにはどうしたらよいか」というノウハウを得て着実にアンケートでの人気を上げていきました。そして「長編を」との声がかかった際、「書きたいものがあるんです」と「ベルサイユのばら」の構想を編集部に持ちかけたそうです。「女子供に歴史ものは受けない」という声を押し切り「必ず当てますから」と宣言し、「ベルサイユのばら」がスタート。まさに「有言実行」ですね。

作品をヒットするために、池田先生はキャラクター設定からストーリー作りまでひたすら緻密に計算し尽くしたそうです。しかし、当時24歳の女性には、軍人が何を考えて生活しているかなんて想像がつかず、そこでリアリティを持たせたいと女性を主人公にし、オスカルが男装の麗人という設定になったそうです。オスカルのモデルは実は池田先生のお祖父さん。職業軍人の祖父の軍服姿の写真のポーズを参考にしながらオスカルを描いていったそうです。

毎週締切がある週刊誌の連載というのは、実に過酷な生活で、「女性のごく普通の幸せ」を全て犠牲にしなければ漫画家は到底続けられない生活だったと言います。その過酷な漫画家生活を支えたのは、若さと、そして当時の女性がおかれていた社会的状況だったそうです。「ベルばら」を連載していた1970年代は、女性が社会に出て仕事をすることを是とするかどうかを男性が議論していた時代であり、できれば女性は仕事を早く辞めて結婚し、子供を産んで育てることが理想とされていました。女性は男性の許可がなくても仕事をする、仕事をできる、そして、自分は仕事をしなければならない、という思いをオスカルに投影したそうです。

さらに女性漫画家の状況が過酷だったことは、自分の作品を描くことの苦労以外に「マンガ文化は活字文化よりも低俗である」という偏見とも戦わなければならなかった点でした。少女漫画というジャンルは、男性向けの漫画よりもさらに格下。だからこそ、10年経っても20年経っても読み継がれるものを描こうと、当時は作家も編集者も大変な熱意に燃えていて、マイナスをプラスに転じるモチベーションがあったと言います。

「ベルサイユのばら」では史実のキャラクターと架空のキャラクターが見事にシンクロしています。例えばロザリーは牢獄でマリーアントワネットの世話をした女中の名前から名づけられたそうですが、どのようにキャラクター作りをされたのか?との質問に、池田先生はこう答えられました。

キャラクター設定についてはひたすら論理的に考え、その人物を生かすためにまたそこに近い人物を決めていきました。キャラクターを際限なく増やしていくのは一番まずい事で、枝分かれしていったキャラクターをストーリーの流れの中で終息していく方向性が必要。「首飾り事件」を起こしたジャンヌは史実に基づいたキャラクターですが、ジャンヌを生かすためにロザリーと姉妹にしようといったキャラクター作りをされていったそうです。

会場からも質問があがりました。

Q.オスカルとアンドレは最初から結ばれることは決まっていたのですか?

A.オスカルが恋をする相手を決めてはいませんでしたが、アンドレは候補の一人でした。女性だったらやっぱり王子様タイプにいくだろうな~ということでフェルゼンを恋の相手にしたけれど、フェルゼンはマリーアントワネット一筋。だからもう一人くらい王子様タイプを出さなきゃとジェローデルを出したが、描いている途中で、どうしたって傍にいる人が強いよな~ということで、最終的にアンドレに集約していきました。アンドレが素敵になっていったのは、私がオスカルの相手はアンドレと決めてからですね(笑)。

Q.作品を描いている時「子供のために」という意識はありましたか?

A.ありました。出版社からくどいほど「これは商業誌で対象読者であるティーンエイジャーの少女にウケるものを」という意識を刷りこまれた。「好きなものを描きたいのなら同人誌をやっていなさい。これは商業誌であり一番の使命は売れる事です。だったら子供たちに訴えられるものを描きなさい。」と言われ続けました。

Q.その呪縛から解き放たれたのはいつですか?

A.「ベルサイユのばら」は私の代表作だけど、「オルフェウスの窓」は私のライフワークになるだろうという気持ちがありました。人生の不条理など、とことんの描きたいものを、という思いから、少女漫画という枠が窮屈に感じ、週刊誌から月刊誌に転向しました。

あっという間に1時間半のトークショーは終了。
本当に、薔薇のように気高く美しく、聡明な方だなぁ、と惚れ惚れしました。以前、別のトークイベントで池田先生が自分の夢について語っていらっしゃいましたが、昔は漫画家として第一線を走り続けてきて、45歳にして音楽大学に入り、現在はオペラ歌手として活躍。常に夢を追い続け、そして着実にその思いを実現し続ける生き方がかっこいい!

京都国際マンガミュージアムの「池田理代子 ベルサイユのばら原画展」は、前期と後期で展示替えを行うそうなので、ベルばらファンは是非2回行くことをお勧めします♪

余談:受付の女性がでアンドレのコスプレをしていました~!写真撮らせてもらえばよかったなー。


下記、一緒に行った金沢みやおさんのレポートです。





マンガ仲間と、京都国際マンガミュージアムにて、池田理代子先生の「ベルサイユのばら」トークショーを聞く。


トークショーは250名の定員がほぼ埋まる盛況で、熱心な中年女性ファンが8割方を占めた。

私は最近の池田先生について、あまりマンガを書かずにオペラなどに入れ込んで一途じゃないなあと思っていたのだが・・・見当はずれの浅い批判に過ぎなかった。

先生は、やりたいことが漫画にとどまらずたーくさんあって、その時その時に全精力を傾け、やりたいことの実現に邁進してきたのである。

わずか21歳でデビュー、まだ若手の24歳でスタートした「ベルサイユのばら」で社会現象とまで言われた代表作を描いてしまった。17歳の夏に読んだマリーアントワネットの評伝に強く感激し、いつの日か必ず「私のアントワネット」を書くだろう、と天啓にも近い確信にうたれたのがそもそものきっかけ(その時にすでに「ベルサイユのばら」というタイトルまで浮かんでいたと言う)。

デビュー以後、描きたいものを描かせない編集者や、女性の進出に理解の薄い社会の反発などを相手に、有無を言わせぬ結果を出し続けて連載枠をもぎ取り、歴史物は受けないとの大反対を「絶対にヒットさせます」と宣言して連載を開始し、ペン一本で勝ち得た成功だったと言う。

週刊誌連載の「ベルばら」の執筆は過酷で、心身をけずって描き続け、当時は「普通の女性の幸せは全て犠牲にする生活でした」と述懐された。(それは、ジェローデルがオスカルに言ったセリフに近いな)と思って聞いていた。剣をペンに持ち替えたオスカルが池田先生であったのだな。

明確な主張と目的意識があった。読者の少女達に「男の許しがなくったって、好きな仕事をするよ、できるよ」と示したかった。セクシャリティの違いは認めるけれど、ジェンダーに縛られる気は無い。大事なのは人としての個性だ」と信じてオスカルを描いていたそうだ。

恒例のラフスケッチをしながら思っていた。戦士オスカルは、御歳相応の堂々たる貫禄を備えられ、それはすでに、マリア・テレジア級だなと。

▼池田理代子先生(金沢みやおさん画)

池田理代子さん(金沢みやおさん画)

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船場アートカフェの高岡さんと三休橋筋愛好会の森山さんからお知らせいただきました!
北船場近代建築サミットがなんとなんと八木通商ビルで開催!!
もしかしたら八木通商ビル見学の機会はこれが最初で最後になるかも~。
万障お繰り合わせの上、ぜひご参加下さいませ!

北船場近代建築サミットin八木通商ビル1

北船場近代建築サミットin八木通商ビル2

北船場近代建築サミットin 旧・八木通商ビル

日時:2011年3月19日  14:00~16:00 開場13:30
会場:旧・八木通商ビル(大阪市中央区今橋3-2-1)
参加無料 定員100名 当日先着順

北船場は豊かな歴史とともに近代建築が多く残り、南北を通る三休橋筋でプロムナード整備が進むなど、他のエリアにはない特別な魅力を持っています。
その魅力をより広く知ってもらい、地域の連携、近代建築どうしのネットワークを広げていくことが、北船場のさらなる活性化につながると考えて、北船場近代建築サミットを開催します。会場は北船場にある近代建築のなかでもとりわけ優美な装飾を誇り、ガス灯が並ぶ三休橋筋に面して建つ旧・八木通商ビルです。現在、旧・八木通商ビルでは新しい計画が進められていますが、今回は関係者のご厚意により会場とすることができました。これまでほとんど内部公開されることのなかった近代建築です。見学会も開催いたしますので、是非ご参加ください。

主催:船場近代建築ネットワーク
共催:船場アートカフェ(大阪市立大学 都市研究プラザ)、船場地区HOPEゾーン協議会
協力:オリックス不動産(株)、(株)IAO竹田設計、三休橋筋愛好会

プログラム
1.船場近代建築ネットワークについて
川嵜 千代(船場近代建築ネットワーク事務局、千島土地(株))
2.パネルディスカッション
進行:岡 伸一(大阪市立大学 都市研究プラザ)
パネリスト:青山 正美(青山ビル)小山 壽一(北浜レトロ)生駒 伸夫(生駒ビルヂング)芝川 能一(芝川ビル)上村 田鶴子(伏見ビル)西 明子(大阪市まちづくり事業企画担当課長)

3.旧・八木通商ビルと三休橋筋について(館内見学あり)
森山 秀二(三休橋筋愛好会)

注意
会場にはトイレ設備がありません。ご了承下さい。
会場には空調設備がありません。室内が冷えることがありますので服装にご注意下さい。

■旧・八木通商ビル
旧称:大阪農工銀行
建築年:1918(大正7)年、改修1929(昭和4)年
設計:辰野片岡建築設計事務所、改修:國枝博
辰野金吾が設計した元・銀行建築。約10年後に國枝博が全面的な改修設計を施した。國枝博はアール・デコの繊細で華やかな装飾を得意とし、この建築もアラベスク文様のテラコッタで全体が覆われている。西側の外壁だけは当初のまま、辰野時代の赤レンガの外壁をみることができる。(3階は後年の増築)


八木通商ビル1

八木通商2

八木通商ビル3

八木通商ビル4
まだまだこの状況は続くと思いますが、ようやく私自身が精神的に落ち着いてきました。
皆さんもそうであることを願います。

被災しなかった皆さんはまず、心の安寧を取り戻しましょう。
日常を取り戻すよう努めましょう。
節電に努めましょう。
今日もご飯を食べれることに感謝しましょう。

ネットでの喧嘩はすぐにやめましょう。
自分が正論だと思っても今は叩くことをやめましょう。
ブログ、ミクシィ日記、コミュニティ、ツイッター、不特定多数が見る掲示板。
みんながイライラして不満や不安をいちいちネットに書き込んでいたら、ネットが炎上するだけです。
全然生産的じゃありあせん。
それぞれ皆、住んでいる地域や立場や意見が違い、今回の震災に対する温度差はどうしてもあります。
まだ、喧嘩や批判や不満がネットですんでるだけ、日本人はエライと思いますが、まず、本当に今それを書いてよいのか、読みなおして書き込みボタンを押す前に、1分、いや30秒考えてから書きましょう。
政府や電力会社を責めるのもやめましょう。
みんなイライラしていて、不安でたまらず、この辛い現実を誰かのせいにしたいけれど、そんなことをしても、何も被災者の救いになりません。
パソコンの前で喧嘩するくらいなら、パソコンとテレビを消して外に散歩しに行って平常心を取り戻しましょう。
外に行ってお金を落として日本の経済をまわしたほうがまだマシです。
その時間、節電できます。
そして、私たちが本当に今後これからできることを考えましょう。

で、被災しなかった私たちが今できることは前の日記で書いたとおり「祈り」「募金」「献血」「節電」くらいです。

その後にですが、今現在、東北地方への物資の輸送はストップしています。
ですが、いずれ必ず再開されます。
そして、その時に本当に必要なものが発表されるでしょう。
それまで落ち着いて情報を待ちましょう。

まだ発表されていはいませんが、衣類は必ず必要になってくると思います。

箪笥に眠っている使わないセーター、マフラー、ブランケット、コートなどはありませんか?
東北地方は寒くて着のみ着のまま逃げた方たちは暖もとれない状況です。
いずれ役に立つかもしれません。
すぐに発送できるように今から準備した上で情報を待ちましょう。

とりあえず、今、私が思いつくのはこれだけです。
また、思いついたら書きます。
私が見ている某コミュニティが震災関連のことで多少荒れています。
この程度ならまだマシなほうかもしれません。

こんな非常時に趣味の話!?不謹慎だって思う人。
被災した人はネットなんて見てる余裕ないんだから、下手な励ましなんてするな、感情を逆なでするな、と思う人。
何もできないことに焦って慌てて支援の書き込みをする人。
意識的に日常を取り戻そうとする人。

それぞれ気持ちは解りますが、ネットのコミュニティで匿名同士の喧嘩をしていても仕方がないのではないのでしょうか?
みんな、あまりにも辛い現実を目の前にして、不安でヒステリックになっています。
デマやチェーンメールや真偽を疑う情報も錯綜しています。
でも、それらはほとんどが善意から出たものです。
被災していない人がパニックに陥っては元も子もありません。

一度深呼吸しましょう。
テレビを見ているのが辛かったら、外に出かけましょう。

元気で無事でいることは決して悪いことではないんです。
そこに罪悪感を感じてしまってはいけません。
今はイベントの自粛や中止も続いていますが、これが続くと日本経済が止まってしまいます。
経済活動を止めたらダメなんです。
元気で無事でいる人は普通に日常生活を送りましょう。
今日もご飯が食べれることに感謝しましょう。

被災しなかった私たちが今できることは「祈ること」「義捐金」「献血」「節電」くらいです。

全国レベルの非常時ですが、いつか必ず日常が戻ってきますからそれを信じて、みんなが日常を取り戻していくように努めましょう。


というわけで、以後このブログも普通に更新しますね。
横浜から帰って一週間ずーっと夜の0時前後の帰宅が続いてた夫。
日曜日は昼の1時半にようやく起きて、「今日こそ横浜オフ会のレポート書いて!」と無理やりせがみ、書いてもらったのに操作ミスで書いたものが全部パーに(^^;)
すっかり書く気が失せて寝ようとする夫をまたパソコンの前までズルズル引っ張って「ねえねえ、どうしたら書いてくれる?」とおだてて、なだめて、すかして、ようやく書いてもらいました。
(我ら夫婦、手塚レポートに対する執念ありすぎだわ^^;)
というわけで、下記夫の日記より転載です。






横浜中華街における、リボンの騎士の、花粉症病理学的考察

先週の土日、嫁さんと横浜に行ってきた。
「横浜、黄昏、ホテルのぉ小部屋~、口付け、残り香、煙草のぉ煙ぃ~♪」であり、「街の灯りが、とても綺麗ね横浜、ブルーライトヨコォハマァ~♪」だ。
おっと、これもあったぜ、「アンタ、あの娘のなんなのさ?港のヨーコ、ヨコハマヨコスカ~♪」

何しに?
嫁さんが大ファンである劇作家・横内謙介氏の演劇『リボンの騎士~鷲尾高校演劇部奮闘記~』を観るためだ。

横内氏が主宰する劇団「扉座」の公演で、過去に六角精児主演の『アトムへの伝言』を観た事があるが、今回はキャストをすべてオーデションで決定。プロ・アマ入り乱れ、中には現役高校生もいた。
オーデションを勝ち抜いてきた人々を短期間でしごき、少額とはいえネーカーをお客さんから頂戴するところまでもっていく・・・そこに浦メは期待した。

舞台の内容はというと、鷲尾高校という架空の高校の演劇部が、文化祭で「リボンの騎士」を上演する事を決定してから次々ふりかかる艱難辛苦を乗り越え、見事上演まで漕ぎ着けるまでを、主人公であるヒロインの、少女から大人に成長していく様を絡めて描いた青春劇である。
「リボンの騎士」は、それ自体が主ではなく、そこにバニラエッセンスのように絡むというものだったが、ヒョウタンツギや、マンガそのもののジュラルミン大公やナイロン卿、サファイア姫にフランツ王子が登場し、手塚ニアンをも十分楽しませる劇であった。
しかしあくまで基本は、高校演劇部の青春を描いたものである。

オーデションで絞り込まれたとはいえ、プロとアマには確かに「差」があった(たとえば強烈な存在感を発揮した演劇部3年生のメガネ女子を演じた子。パンフの出演者プロフィールを見ると、「俳優」とあった)。
だが、それを補ってなお余りあるのが、「ひた向きな一所懸命さ」であった。演技の巧拙ではなく、若さから漲るパワーに浦メは圧倒された。カーテンコールにおける役者たちの「やり切った」表情に拍手を惜しまなかった。
その感動にさらに拍車をかけたのが、パンフにあった横内謙介氏の「ご挨拶」だ。
曰く、「この公演が終われば散り散りとなり、それぞれの道に向かう定めである。でも、(中略)その体験は、この若者たちがどのような道に進んで行くにせよ、一生の宝になることだと思う。」
う~ん、シビレルぜ。
中学時分に音楽の授業で初めて聴いて感動した「若者たち」を思い出したがな。
「空にぃ、ま~たぁ、陽がのぉぼるとぉきぃ~、若者はまぁた~、歩き~はじぃめるぅ~♪」だぜ。がんばれよ、若者諸君。

そういえば途中15分ほど休憩があったので、浦メはいつもの観劇やコンサートの感覚でルービーかスキウィでもひっかけようと館内の喫茶店を覗いたんだけど、入口のメニューにはジュースばかり。
そうやった、ここは神奈川県青少年センターやった。青少年のためのセンターにケーサーはねえよな。
舞台の晴れやかな青少年諸君よ、こないなオッサンになったらあきまへんえ。


この日は、夜に横浜中華街で、在関東の手塚ニアン諸兄姉と合流してのオフ会でもあった。集合したのは、浦メ夫妻・アレンさん夫妻・そのお友達のnozzさん・リボンの騎士ファンのrikansさん・嫁さんのツイッター友達のたらさん・化石人間ことT田翁・お髭ふさふさぬー坊さん・手塚ファン大会検討会からのん気NGさん・うっちーさん・K林さんの総勢12名。

マイミクの小納戸役さんから教えてもらった「茘香尊(らいしゃんそん)」の2階にて、さながら討ち入り前夜、蕎麦屋の2階に次々参集する義士よろしく「手塚プロと手塚ファンの明日」について密議を凝らした。
不肖浦メが長谷川一夫ばりに「各々方、お覚悟はよろしいか」と謦も重々しく第一声を発し・・・たワケはなく、大方の予想通り嫁さんが宮川花子か上沼恵美子かといわんばかりのマシンガントークを展開、検討会より手塚ファン大会にまつわるいろ~んな話が展開され、我らは次々饗せられるチャイニーズに舌鼓を打ち鳴らしながら、ただただ傾聴するばかりであった。


で、2時間ほど経過して漸く自己紹介タイム。
我ら夫婦は、今さら紹介するほどのもんじゃねえと言ったけど、のん気NGさんだかK林さんだかが、「ではお二人の馴れ初めを」なんて仰るもんだから、嫁さんが「えっと、あの、その、」と喋り出す。こっぱずかしいったらありゃしねえ。
だから浦メは厠へ逃亡してやった。厠へ逃げたのは、花粉にやられた鼻腔と眼を洗うためだけではなかったのだ。

そやそや、花粉症や!
話はいきなり飛ぶが、旅行の前日、高野山高校へ行ってきて、そこで許容量を遥かにオーバーするスギ花粉を大量に浴びてきたもんやさかい、一気にきた。
観劇中はそうでもなかったんやけど、夕刻からひどくなってきて、オフ会の時にはくしゃみの連続、何度も厠で目と鼻を洗う羽目に。
折角の美味しい中国料理だったのよ!折角の楽しくコアな手塚ニアンの集いだったのによ!
せやけどルービーと紹興酒はガバガバあけてしまったけどね、ヒヒヒヒ。
コアといえば、大人しくお茶を飲んでニコニコしてた嫁のツイッター友達のたらさん。おっちゃんおばちゃんのコアな手塚噺の連続に、引いてしもたんやないかい?堪忍え。

このお店は、嫁も、集いし手塚ニアン諸兄姉にも好評であった。味も、量も、豊富豊富。そしてお財布にも優しい。
小納戸役さん、よくぞ教えてくれにけり。多謝多謝。

楽しいひとときは瞬く間に過ぎ、もう22時だというので一旦、中〆。
一部の方は帰り、我らとアレンさん夫妻、ぬー坊さん、のん気NGさん、うっちーさん、K林さんは二次会とシャレこんだ。
のん気NGさんは、相当飲み歩き慣れてはるらしく、まるで獲物を狙う鷹の如く、すぐにBARを見つけはる。そこで一次会の続き、明日の手塚を放談しあった。

家に・・・じゃなかった、ホテルに戻ったのは0時前。
嫁さん曰く「酔っ払って脳がバカになった」浦メは自販機でカップラーメンを買い、ズルズル啜って序でに鼻も啜って、風呂にも入らずバタンQ。

いや~、おもろかったわぁ。





ところで、この日記のタイトルの元ネタ解る人いるんかな?
手塚ネタでもかなり高度すぎて解らなかったりして…(^^;)
というわけで、元ネタの答えはRead moreをクリック
横浜みなとみらい観覧車

横浜中華街

「リボンの騎士」観劇後、帆船日本丸を見て、その後は横浜・中華街へ。オフ会より1時間も早く着いてしまい、店の場所を確認してからちょっと中華街を散策しようとrikansさんと一緒にぶらぶら歩きました。そこで、「鉄腕アトム」と「ブラック・ジャック」の中国語版を発見。でも結局購入はせず。

アトム中国語版

ブラック・ジャック中国語版

6時半前にオフ会会場に指定したお店「 茘香尊本店~ライシャンソン~」へ。
中華街は何百もの店が立ち並びどこにすれば解らなかったので、最初はネットのランキングなどを見ていたのですが、夫の友人のクチコミでこのお店を教えてもらいました。
ぐるなびで見たところ美味しそうだし、円卓で3時間粘れる、しかもコース料理で飲み放題付きで4千円という安さで即決。
結果大正解でした。
最初は10人以下のオフ会予定だったのですが、直前に人数が増えて最終的には12人の手塚ファンオフ会になりました。

ほとんどが私繋がりでの参加なのですが、お互い初対面のメンバーがかなりありました。

去年のファン大会アフターなどは、アレンさんのグループが混ざって20人以上のオフ会をやったのですが、横に広がる形のテーブルだったので、それぞれの会話になってしまい、あまり交流が図れませんでした。
でも、今回は12人で円卓で、隣も1グループだけだった(隣の笑い声がちょっとうるさかったけど^^;)ので、かなり密で手塚度の濃いオフ会ができました。
年齢層も20代~70代と幅広く、これもまた手塚ファン同士ならではの醍醐味。

で、最初は自己紹介から入るハズが、検討会のメンバーが来られていたのでファン大会についての話に。

検討会が出来たのは2007年2回目の手塚ファン大会の後だったと記憶しています。
復活後の2006年、2007年の手塚ファン大会はかなり「手塚プロ色」が強い大会で、企業のプロモーションの場のイメージが強い大会でした。
結局手塚ファンが手塚プロに感じている違和感はそこであり、それではいけない。「手塚ファンの手塚ファンによる手塚ファンのための手塚ファン大会にしたい」と結成されたのが検討会です。
2007年のファン大会でアンケートが配布され「今後のファン大会の検討会に参加するか?」という欄に先ず○をつけました。後日、手塚プロからファン大会検討会メンバーになるかどうか?についての問い合わせが封書で届きました。
メンバーになる場合、月1回手塚プロ本社(高田馬場)に来社いただくことになります。交通費は原則として支給されません。といったことが書かれてきました。
アンケートの段階ではメーリングリストもできるようなことも匂わせていて、つまり意見やアイデアだけメールで送れるようなことも書いてあったように思いましたが、最終的には月1回高田馬場に行けなければ参加できない、この段階でまず私たち夫婦は参加を断念せざるを得ませんでした。月1回高田馬場になんて行っていたら破産しますよ(^^;)

Kさんが「田浦さん夫婦のような人にこそ検討会に入って欲しかったんですが」と嬉しいことを言って下さいました。
私には手塚公式に対する対抗意識があります。
「虫マップ」から始まり「親友が語る少年時代」をきっかけに始めた手塚イベント、ゆかりの地ツアーなどの活動を数々やってきましたが、どんなに頑張っても内容が良くてレベルも高くても、手塚プロにロイヤリティを払わない限り公認マークがもらえない、手塚プロには先ずビジネスという壁がある、そして手塚治虫記念館の行政の人は宝塚市のために働くという発想はあっても手塚ファンのためという発想自体がない。そのしがらみや壁を日々感じる中で、それでも手塚公認マークが欲しい、こんなに思いだけで動けるし、具体的な活動ができる手塚ファンなのに何で公式に関われないんだ、という思いがあります。
ファン大会で登壇するようなことは2009年の研究発表1回きりでいいけど、裏方としてちょっとでも関わりたいという思いはあるわけです。
このあたりの話ものん気NGさんにちょっと話しましたが、具体化するかどうかは解らないので、ここではあえて伏せておきます。

で、まあとにかくいろいろ突っ込んだ話をしまくって、一番若い、初対面のたらさんなどは、我々擦れた化石人間(←ここ手塚ギャグですよ^^;)の話に入り込めなくてひいていたかもしれないけど、とにかく面白くて仕方がなく、濃いテヅカニアンだからこそ手塚話を共有できる快感をひしひしと感じておりました。

で、2時間くらい経過してからようやく自己紹介タイム。
まず、一番若いたらさんから始まり、名前と住んでいる場所と手塚作品との出会いを皆がそれぞれ話しました。
「火の鳥」の話になったら復活編が72年。72年と73年の作品の世界観に違いがあるよね、73年になったらすごく振りきれた感じがする、というこれまた手塚ファンでないと解らない話に快感を感じ、自己紹介が一周12人が全員喋るのに1時間半かかって、結局最後のデザート・杏仁豆腐を食べ終わった頃に最後の私の番がまわってきました(笑)。

「みんな私繋がりでの参加だから私は自己紹介しなくていいでしょ~」と言ったら
「じゃあ、旦那さんとの馴れ初めを聞かせて下さい」ということになりました。

私が夫と出会うきっかけになったのは手塚治虫ファンクラブ会誌です。
94年の11月に「手塚ファンマガジンvol.107」で入会し、vol.109が初投稿。
今でも鮮明に覚えていますが、その初投稿は手塚治虫記念館で95年の1月1日から開催されていた「ブラック・ジャック」展についてでした。
「皆さまはじめまして!17歳の手塚ファンです!」なんて今見たら恥ずかしくて真っ赤になってしまうようなレポートを書いていましたが、「ブラック・ジャック」の部屋再現やピノコ鏡など感激した、といった内容のことを書いていました。
で、その隣に掲載されていたのが、夫の同じく「ブラック・ジャック」展のレポートでした。
夫は95年の1月1日に記念館に行き、私は95年の1月2日に行ったのです。

その後、知りあうきっかけになったのが最初の「虫マップ(宝塚版)」でした。宝塚の旧手塚邸や蛇神社など手塚治虫ゆかりの地を記したマップを製作しました。題して「虫マップ」!欲しい方はこちらまでご連絡ください。(住所氏名)というのが手塚ファンマガジンの告知版に載せていただいた内容でした。
この掲載後、30通くらいの手紙が来ました。
その30通の中の一人が今の夫・田浦誠治です。
今回のオフ会に参加されていたマイミクの化石人間さんもそのお一人でしたし、近年のファン大会で知り合った扇谷正敏さんなども最初の「虫マップ」に手紙を下さったお一人でした。石子順さんも入ってたかな。

で、それがきっかけで田浦誠治さん(フルネームでさん付すると恥ずかしいゾ^^;)と文通するようになり、初めて会ったのは98年2月に豊中市立野畑図書館で開催された中野晴行さんの講演会でした。手塚治虫生誕の地・豊中は私と夫の出会いの場でありその意味でも特別な地。そしてよく考えれば中野晴行さんが私たちの恋のキューピット(爆笑)なんですが、ご本人にその話をしたことはありません(^^;)
その後3月に手塚治虫記念館で「手塚ファンの集ひ♪」をやりました。今でいうオフ会で、以後1~2か月に1回ペースで私が中心に声をかけて手塚ファンの集まりをやるようになりました。で、その中に毎回入っていたメンバーが夫で今はもうその頃集まっていたメンバーはほとんど付き合っていないけれど、夫だけはずっと今の今まで毎日一緒にいる関係に発展したわけです。1年間友人として付き合い、2年恋愛をして、3年目に結婚しました。そして結婚して今年の4月で9年になります。

という我ら夫婦の馴れ初め話が終わった頃は10時半。
6時半に入店から4時間も喋り倒していたわけだ。
さすがにそこで店を出て、一旦駅まで行って帰るメンバーを見送り、さらに残ったメンバーで二次会へ。
前回のバー「ばるぼら」の時もそうだけど、のん気NGさん、店を見つける嗅覚がめっちゃ優れてますよ。
雰囲気のいい2階個室バーで一杯だけ(予算一人300円!)飲んで11時半まで粘りました。
12時過ぎにリッチモンドホテル横浜馬車道にチェックイン。
アルコールを飲んで脳がバカになっている夫がそこでまたカップラーメンを買ってすすっている(笑)。
私がお風呂に入って携帯からツイッターをしている頃にはそのままグーグー寝ていました。

そんなこんなで横浜旅行1日目が終了。
翌日は横浜観光。横浜開港記念館、横浜開港資料館、日本新聞博物館、氷川丸、ホテル・ニューグランドなど近代建築をいっぱい見学して「キンケン♪キンケン♪」(近代建築を略してキンケン)とスキップしながら堪能。ホテル・ニューグランドのカフェで晩ごはんを食べて新幹線に乗って11時過ぎに帰宅。

▼横浜開港記念館

横浜開港記念館2

横浜開港記念館1

横浜開港記念館3

横浜開港記念館4

横浜開港記念館5

横浜開港記念館6

▼日本新聞博物館

日本新聞博物館1

日本新聞博物館2

▼横浜県庁舎

横浜県庁舎

▼氷川丸

氷川丸1

氷川丸にとまる鳥1

氷川丸にとまる鳥2

氷川丸2

▼ホテルニューグランド

ホテルニューグランド

ホテルニューグランド2

いやはや、お金を使いまくってしまったけど、ホントに手塚充した旅行で最高に楽しかった!
この快感を味わえるならもう、旅行全部手塚目的でもいいや(笑)。
「手塚治虫のすべて」って本があるけど、私にとっては「手塚治虫がすべて」だもん!

横浜氷川丸
藤子・不二雄A先生が出演されるテレビ情報です。

NHK 100年インタビュー
http://www.nhk.or.jp/hyakunen-i/index.html

3月3日(木)午後8:00~9:29BShi

今回のゲストは、今年デビュー60年目を迎える漫画家・藤子不二雄Aさん。「忍者ハットリくん」「怪物くん」「笑ゥせぇるすまん」など数々の名作を生み出し、76歳の現在でも3本の連載を持つ現役であり、その軌跡はそのまま戦後の漫画史でもある。藤子さんは、富山県氷見市で生まれ。人見知りする内気な性格で空想にふけりながら絵を描くことが大好きだった藤子さんは、転校先の小学校で藤本氏(藤子 F不二
雄)と出会い、意気投合。合作で創作をスタートさせた。やがて上京し、手塚治虫、赤塚不二夫、石ノ森章太郎ら、多くの漫画家と支えあいながら日本の漫画の創生期を築いてきた。「漫画で人間の多面性を描きたい」という藤子は、心の闇も含めて日本人を見つめつつ数々のキャラクターを生み出てきた。番組では、戦後の漫画史を振り返っていただきながら、描いてきた時代の中の人物像とはどんなものか、世界で認められるようになった日本の漫画の可能性について伺う。聞き手は、石澤典夫アナウンサー。
再放送 : 3月10日(木)午後0:30~1:59BShi
3月12日(土)午前10:00~11:29BShi


あと、その翌週の3月10日は藤子・F・不二雄先生の特集のようです。
「藤子Fふしぎ大百科」となっていたので10日は以前の教育放送の再編集かと思います。
2月26日横浜に行ってきました。
目的は扉座の横内謙介氏脚本の舞台「リボンの騎士 ~鷲尾高校演劇部奮闘記~」を観に行くため。

扉座リボンの騎士1

扉座リボンの騎士2

この演劇は12年前の舞台の再演で、横内ファンの私はどうしても観たかった!
12年前の手塚ファンクラブ会誌で、知人の手塚ファンの感想鼎談が載っていて、これを読んで当時観に行けなかったのが悔しくてたまらず、今回なんとしても観に行こう!と決意し横浜行きを決定しました。

総勢53名のメンバーで演じる舞台で出演者は皆オーディションで選ばれたメンバー+扉座。
最初は、「これがリボンの騎士!?どうなるの!?」とかなりドキドキハラハラな部分もあったけれど、次第にストーリーに惹き込まれていき、フィナーレの盛り上げ方はホントに感動しました!うん、良かったよ!泣けたよ!
無名の役者が演じる不安なんて吹っ飛びました。
どうして、どうして、横内さんの舞台はここまで上手いものか。

この舞台は「リボンの騎士」はあくまで劇中劇という扱いで、ストーリーの大筋は鷲尾高校演劇部員の青春を描いたものでした。
主人公・池田まゆみの妄想の中で生きる「リボンの騎士」のキャラクターたちが、これまたベタなくらいな「コスプレ祭り」状態のそのまんまの手塚キャラで、サファイア、フランツ、ジェラルミン大公、ナイロン卿、そしてヒョウタンツギ(笑)。ジェラルミンとかナイロンなどは、見た目そのまんま!(笑)。そして、ヒョウタンツギがめっちゃいい役回りだよ~。「どうせヒョウタンツギは脇役だから」とかいじけたり(爆)、ヒョウタンツギがナレーションを言ったり、これも観ないと説明しても解らないところはあるけれど、とにかく手塚原作のもつ世界観の散りばめ方が絶妙に上手い!
ちなみに「リボンの騎士」のストーリー自体はかなりエッセンス程度の味付けで、決して台詞が原作どおりというわけではありません。
でも、手塚ファンが観て最後にちゃんと納得させてくれるのが横内脚本の素晴らしさ!


最後は演劇部員たちが「リボンの騎士」を成功させて抱き合って喜ぶシーンでフィナーレを迎えるのですが、その演劇の見せ方には目からウロコでした!
舞台は客席とは逆向きで、私たち観客が見るのは舞台の袖の中。

まゆみはサファイアを演じたかったけれど、美人で演技の上手い答子がサファイアを演じることになり、それでもその答子への友情からしっかり裏方を支えたまゆみ。
その裏方に徹したまゆみへの花向けとして、キラキラと紙吹雪が舞台裏にも降ってくる。


最後のカーテンコールで見せた出演者全員の「やりきった!」という心からの笑顔は、劇中劇の演劇を成功させた歓びと、本当のこの舞台を成功させた歓びがしっかり重なっていたように思いました。
淡い恋と青春、演劇に真剣に燃える若き高校生たち、ホントにベタな話なんだけど、ベタさを真剣にやっちゃっても全然浮かないのが横内ワールドなんですよね。
アレンさんも日記で書いてたけど、本当に横内謙介さんを手塚治虫ファン大会に呼んでほしい!と思いました。
検討会の方、検討をお願いします(笑)
もっとも、これも手塚演劇を次の年にやる絶妙なタイミングがあれば上手く宣伝にも繋がるんですけどねー。

下記、一緒に行った手塚ファンの友人の日記です。




▼アレンさんの日記


横内謙介作・演出のリボンの騎士をみてまいりました。
かなり前にイノッチと鈴木蘭々が演じた舞台の再演です。

【あらすじ】
鷲尾高校演劇部は女子が殆どの弱小演劇部。一念発起して、手塚治虫の漫画を部員自ら脚本化した『リボンの騎士』を上演することになったが、次々と困難が襲いかかる。ひたすら打ちのめされていく部員達・・・・。現実の厳しさを噛みしめつつも友情を結び合い、また淡い恋に揺れながら、少しずつ大人になっていく姿を描く青春ファンタジー。部員達を優しく見守る妖精的な存在として、『リボンの騎士』のキャラクターたちも登場!


あらすじを見て分かる通り、演劇部での人間模様をメインに置いており、「リボンの騎士」は飽くまで劇中劇の扱い。
今回演じるのは、アマチュアの俳優がメインで、扉座はあくまでわき役。
さて、どうなることやら、とちょっと不安にかられながらの観劇でした。
今回マイミクののりみさんの呼びかけで土曜13時からの会をみたのですが、なんかみんな前のほうに固まっていたようでw
2列目ど真ん中という超間近な席でみていました。

芝居は休憩挟んで2時間半とかなーり長い芝居でしたが、
40~50人がでてきて、それなりに皆が見せ場をつくることを意図していたと思うので、これはこれで致し方なしかな。
あ、でもダンス同好会のくだりって全然いらなかったけどね。
どうやらアイドリングの人が部長役をやっていたらしいので、その人を出すという意図だったと思うのだけれど、激しく浮いてました。あの芝居の世界の中ではちっともリアルじゃないし、ちょっとメアリースー的なものを感じる。もしかしたら再演するにあたって大人の事情で付け加えられたのかもしれないけれど、それ削れば20分は縮まったかもしれんw
あ、あと勝利の大拍手を1分くらいに縮めてくれたらよかった。いいシーンなんですがさすがに長いです。


主人公の熱意で「リボンの騎士」をはじめるものの、最初全くやる気のない部員達、家の事情で芝居を抜けてしまう演劇部の部員、演劇とは、友情とは一体なにかを自問自答する部員たち、そして最終日前日に起こった大ピンチ…。それはもうある意味ベッタベタな展開で演劇部の奮闘が描かれているんですが、そのベタさ故に素直に泣ける。このリーダー部長みたいなオチャラケて、行事にやたら燃えてて真っ直ぐな人っていたなあ高校時代。いやもう、ピュアだよ!ピュアすぎるよ皆!いいなあ若いって!
高校生のころ、文化祭とか体育祭とかこういう形の暑っ苦しい青春がそれはもう大嫌いなタチだったのですが、年くった今となっては嫌だろうが好きだろうがもう自分は体験できない、あの頃には戻れない…もうそんなこと考えて後半さらにダラ泣き。年くったことをもろに感じさせます(笑)


そして主人公を静かに見守り、ときに慰め、励ます「リボンの騎士」のキャラクター達。それは主人公のひたすら純粋な夢やあこがれの産物なのですが、それを象徴するのが、サファイアの「私たちはあなたが夢見ることで命を得ている」「まーくん(主人公)には新しい夢が必要なんだ」というセリフ。
まさに自分が「リボンの騎士」からもらったのが、純粋な見果てぬ夢だったと思うんですよね(キモイとかいうな)。そこを的確についてくれるあたりが横内演劇の真骨頂です。いやー、ファン大会よんでくれないかな横内さん。
ところで昔初演をやったときに「ベルばらでもいいじゃない」とファンクラブ会誌で突っ込まれていたけど(なんでこんなこと覚えてんだろうね)、これはちょっと違うと思う。確かに華麗な時代背景、愛をテーマにしているという点では似通ってはいるけれど、「ベルばら」はフランス革命やマリーアントワネットの処刑、つまり「バラは美しく散る=死」の要素がはずせないので(それがベルばらの良いところなんだけれども)、この「あなたが夢見ることで命を得ている」という少女の純粋な夢と、そこからの成長を100%は体現しきれない。やはりこれは「リボンの騎士」という題材でなければ成立しなかったと思います。

でまあ、内容はとてもよいのですが、これを役者が表現しなければならない。オーディションで選ばれた無名の役者が多いけど、大丈夫かな…と思っていたのですが、いやー、すごい、レベルみんな高い。お世辞抜きに上手い!これでチケ代2000円は安すぎる。
最後、バックステージから演劇をやっている様子がみえるという感じの演出だったのだけれど、そこでもステージ向こうの観客が見える。

唯一フランツの演技がちょっと拙くて、ターンもがんばりましょう的な感じだったけれど(その直後で大魔神役のひとがきれいなターンを見せてくれていたので余計に気になった)、所詮原作でもそんな扱いだから(オイ)まあそういうもんだと思ってみていたのでOKOK.
トウコ役のかたもなんかあまり殺陣ができない(まず納刀ができてない)感じがしたけれど、演出上うまくそこはカバーはできていたですね。
ああ、あとジュラルミンとナイロンはもっとアク強くてもよかったかなあ。外見のドギつさに負けていた気がしないでもでも。


でもまあ、全体的にすごくよい芝居でした。
これで2000円は安いです。(大事なことなので2度いいました)。
イノッチと蘭々版も観てみたい感じはしたけれど、最後のカーテンコールで見せてくれた役者たちの快心の笑顔、あたかも実際に文化祭で「リボンの騎士」を上演しおわったあとのようなすがすがしい「やりきったぜ!」という顔は、経験をかさねた役者にはもしかしたら出せないのかもわからないね。


で、芝居が終わってからは日本丸のみなと博物館にちょっと寄ったのですが、うっかりシルバニアファミリーを見つけてしまったばっかりに購入してしまうハメに。なんだよしおかぜウサギって。水兵さんの格好してるんじゃないよ、めっちゃかわいいじゃんかよー。
そして4時間あまりも中華料理店でだべり(のりみさんありがとうございました!おいしかったです)、バーでちょっとのみ、結局日付を過ぎたころにチェックイン。
普通こういうときってぐったりしているもんですが、芝居がよかったのと、手塚話をいろいろきけた(自分ほとんどしゃべってないので聞けたという表現でw)おかげで、なんか不思議と充実した気持ちで眠ることができました。たのしかったあ。


次の日は、鎌倉にいって「山下菊二 コラージュ展」を観覧。
日曜美術館のアートシーンでこの展示についてみて、めちゃくちゃインパクトをうけて、「絶対いかなきゃ!」と思って行ったのですが、いや、これもすごくよかった。狭山事件の暗黒ぶりをここまで表現できるのかと。容疑者の証言をそのまま絵に文字として起こして書いてあるのですが、この手法がすごく斬新です。つーかコラージュ自体、ちゃんと美術館で観たのってこれが始めてかも。
3月27日までやっているので近くにお住まいのかたは是非どうぞ。なんせ入館料250円。安い。おすすめ。

ろくに散策せず鎌倉はこれで帰ったのですが、また機会があれば、今度こそアトム河童をみにいくぞ…!




▼GAKUさんの日記

行ってきました
過去に、様々な手塚治虫作品を舞台化したモノを観てきましたが、アマチュア参加作品は初めてです。
しかも、リボンの騎士はおまけ。タイトル通り、演劇部の話。
昔、イノッチと鈴木蘭々がやった作品の再演らしい。
果てさてどーなるか?



客入れ時に、応援団が客席にいて『押忍!いらっしゃいませ!押忍!』と言っていて、オープニングにはエールから入る
こういう始まりは、面白いなと思った。

皆、凄い上手い。
技術レベルがもの凄く高い。
アマチュアとは思えないくらい。

が、フランツ役の彼。
セリフはそんな多くないが、だからこそ動きのミスが目立つ。

全体的に、王子的オーラが無い。そして、優しさが無い。サファイヤが好きになるというのが、表面的でしかないと言うふうに見えてしまう

最初に奈落なら登場する場面。
目線がキョドり過ぎ。
メチャメチャ泳いでた。

フランツが主人公の女の子の手を取り肩を抱き寄せる場面
力まかせに[ぐいっ]と引き寄せている様に見えた


話の節々に、ダンス同好会のダンスが有るんだが…いるか?それ。
話には全く関係ないし。


後半、応援団のエールが有るけど、動き所作に力強さが無い
手の動きや脚の踏み込み等
後、長くて飽きる
一番のみでいい気がする


予告編をやろうって事になって、キスシーンを入れようって事になってやる訳だが…リアルに考えると、高校生が芝居とはいえ、キスをしても良いのだろうか?クレームとか来るんじゃないの?

後、演出的に、焼却炉横広場でキスをさせたのは間違いでしょ??
だって、本来キスシーンって、それなりに盛り上がる所だよね?
それをあんな所で出したら、イカンでしょ

俺なら、キスしようとした所で突風が吹いてセットが壊れる。
で、キスシーンは本番に…って感じかな


とまぁ、ダメ出しをしたが、全体的に観たら良い作品。
アトムミュージカルより良かったと思うよ

今、俺が少しやる気の無い(様に見える)大学生に芝居を教えてるが、関係性が似てる場面が有って共感出来た
奴らにも、見せてやりたい。そんな舞台でした




▼nozzさんの日記

こちら、見てまいりました。

オーディションで選ばれた、明日を夢みる47人の精鋭メンバーが出演、横内自らの演出によって情熱溢れるみずみずしい舞台として甦ります。

あらすじ
鷲尾高校演劇部は女子が殆どの弱小演劇部。一念発起して、手塚治虫の漫画を部員自ら脚本化した『リボンの騎士』を上演することになったが、次々と困難が襲いかかる。ひたすら打ちのめされていく部員達・・・・。現実の厳しさを噛みしめつつも友情を結び合い、また淡い恋に揺れながら、少しずつ大人になっていく姿を描く青春ファンタジー。部員達を優しく見守る妖精的な存在として、『リボンの騎士』のキャラクターたちも登場!

まあ、二日間だけの公演なのですでに終了しているのですが。
リボンの騎士は狂言回しというくらい。まったくリボンの騎士について知らなくても楽しめるのでないかな。
しかし、今このタイトルで検索してみたら昔の公演を見た人が「私の回りでもリボンの騎士知らないひとばっかりだよ?」と書いておられたので、もしかすると手塚治虫ファンじゃないと、主人公のリボンの騎士への思い入れがピンとこないこともあるのかもしれないです。

恋愛要素は非常に淡く、高校時代のテンションが高くてちょっとイライラしやすかったり深い話はしなくて表面上だけ浮かれた感じをそのまま写し取っています。
主人公はちょっと地味で、リボンの騎士に子供のころからふれて育って自分とサファイヤを重ねています。
主人公を見守る存在としてのリボンの騎士たちは人に夢みられることで存在できる「物語」として、主人公を愛しますがしかし自分たちから卒業して大人になるために背中を押していきます。
もう泣けるね!青春とかモラトリアムの終了とか、現実になれない夢をあきらめて現実に踏み出すとか、そういう系統がツボの私としては途中途中にぽろぽろぽろぽろしていました。だいたいでてる人も泣いてるもの!中の人も演じながら泣いちゃってるもの!
しかも私二列目だもの!目線が一緒だもの!今も思い出してウルウル来てるもの!
昔は鈴木蘭々と井ノ原快彦がやっていたそうなのですが、今回の普通の子がやってるときのほうがよいような気がしました。本人たちのノリがよかったです。

話変わりますが扉座、もう一本「百鬼丸」をみていますが扉座はいいね。手塚関係ないのも見に行こうかなあ。なにしろ山中崇史さんと六角精児さん(ともに「相棒」出演者)がいるしね♪