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6月末まで大阪大学総合学術博物館で「阪大生・手塚治虫―医師か?マンガ家か?―」が開催されています。4月30日に行われた斎藤彰先生のミュージアムレクチャーのレポートを、手塚治虫公式サイトの「虫ん坊」6月号でご紹介いただきました。展覧会の様子も含めてご覧下さい。





阪大生・手塚治虫 ―医師か?マンガ家か?―

田浦紀子

 
大阪大学総合学術博物館で開催中の企画展「阪大生・手塚治虫 ―医師か?マンガ家か?―」を見に行ってきました。手塚先生の阪大時代や阪神間モダニズムが、手塚作品にどう影響を与えたかに焦点を当てた展覧会です。

『アドルフに告ぐ』『陽だまりの樹』『どついたれ』『スリル博士』など阪神間が舞台となった手塚作品の生原稿が多数展示されていています。

豊中市教育センターが所有する手塚先生が採集した昆虫標本もありました。これは、北野中学時代の同級生・今中宏さんが生前豊中市に寄贈されたもので、「O.TEZUKA」と書かれた手塚先生の直筆ラベルが貼られています。

手塚先生が少年時代に電気科学館で夢中になったツァイスⅡ型プラネタリウムに関する展示もあり、1937年の映画「大大阪観光」も上映されていました。

 
企画展にあわせて、4月30日に開催されたミュージアムレクチャー「二人以上の手塚治虫 〜現役科学者から見た手塚の不思議」を聞いて参りました。講師は大阪大学工学部准教授の斎藤彰先生。今回の企画展は、当初「二人の手塚治虫」というタイトルだったそうですが、「手塚治虫の多面性はそれだけではない」と斎藤先生。本講演では、顕微鏡観察・古典文学・光学・昆蟲学・解剖学・脳科学など広い分野の話題が取り上げられました。

●顕微鏡観察

1961年、手塚先生が奈良県立医科大学で医学博士号を取得した論文「異型精子細胞における膜構造の電子顕微鏡的研究」は、ある意味レアな「手塚作品」。この研究は、タニシの異型精子の先端を拡大し、各パーツがどう働いているかを顕微鏡で観察したものです。手塚先生が描かれた図は圧巻!驚異の観察力でありSF的。ちなみに、奈良県立医科大学で当時の指導教授だった安澄権八郎氏は『がちゃぼい一代記』に登場する教授のモデルだそうです。企画展では、阪大医専のアルバムより、安澄権八郎氏の写真も展示されていました。

「マンガ評論家の定説として、悪書追放運動激しいさなかで手塚は漫画の地位向上のために医学博士号を取得したのではないかと言われるが私はそうは思わない。手塚治虫は電子顕微鏡のなかの世界を見つめること自体に興味を持ったのではないか。」と斎藤先生。

●光学で見る手塚治虫の驚異

戦前の物理学者・寺田寅彦は「透明人間は、必然的に視覚を失う」という皮肉な説を発表しています。ガラスは透明だが目に見える。それは光の屈折により目に映るからであり、本当に目に見えない透明人間を作ろうとしたら、空気と光学的密度を同じにしなければ完全な透明にはならない。ところが、そうすると透明人間は目が見えなくなってしまう、というのが寺田原理。でも、創作の世界に物理の論理を持ち込んではロマンもへったくりもないではありませんか。

しかし、その寺田原理を留意していたことを伺える手塚作品が『アラバスター』だ、と斎藤先生は言います。『アラバスター』において、悲しき透明人間・亜美は、しばしば眼だけで表現されています。亜美の「眼だけはどうして透き通っていないのよー」という台詞は、手塚先生が寺田原理を意識したからこそ書けたのではないか、と斎藤先生。

こういった手塚先生の「視覚と光学」に対する鋭さが表れた手塚作品が『白い幻影』と『ブラック・ジャック』の「春一番」です。『白い幻影』は、海難事故で恋人を失った女性が、白いものを見る度に恋人の幻覚につきまとわれる、というストーリー。「春一番」は、
B・Jが手術した少女が、術後「見知らぬ男性が目の前に見える」と訴える。その幻覚は実は角膜提供者を殺した殺人犯だった、というストーリー。どちらも目がカメラのような役割をする原理を応用したことが窺えます。

◇参考文献
『手塚治虫MLショートアラベスククvol.1』P.69「寺田寅彦と『アラバスター』」斎藤彰 氏


●昆蟲学で見る手塚治虫の驚異

手塚先生といえば無類の昆虫好きとして知られますが、蟲の描写はとにかく余人を寄せつけない程、とんでもないものが多い!『びいこちゃん』(斎藤先生曰く恐怖の児童絵本・笑)は、子供向きの美しいカラー絵本で、描かれている昆虫はかわいいキャラクターに擬人化されています。にも関わらず、「蟲屋」の斎藤先生から見ると、登場する昆虫の種類が全て同定できてしまう!しかも、虫の止まり方まで、絵本でありながら正確に描かれているそうです。

さて、手塚作品で蟲といえば『ミクロイドS』。「蟲屋」の感性としては人類の滅亡こそが究極の自然保護であり、手塚先生のそんな「蟲屋」としての気持ちの表れから、昆虫による人類への復讐を描いた作品となったのでは、と斎藤先生は言います。昆虫の大群による攻撃からどんどん人類が死滅していく中、主人公・マナブは、虫たちの攻撃を受けなかった3人のルンペン(ヒゲオヤジ、ノンキメガネら)に出会い、これが人類を救う鍵となるのですが、ここはある意味手塚先生が「自然へのバランス感覚」を描きたかった部分ではないかと。人類が救われて良かったという完全なハッピーエンドにもならないし、アンハッピーエンドにもならない。突き放しつつも人類への愛情が描かれた作品こそが『ミクロイドS』だったのではないでしょうか。

あとがきを読むと、『ミクロイドS』は人気が出ず、『アラバスター』同様、手塚先生の自己評価はとても悪い作品なのですが、「手塚先生、そんなことはないです。これ凄いです。」と斎藤先生(笑)。

手塚作品に登場する昆虫についての詳細は、小林準治さんの著書『手塚治虫昆虫図鑑』や『手塚治虫の昆虫博覧会』などを参照に。

●この世相にどう生きるか

2時間におよぶ斎藤先生の講演の終盤は、やはり手塚作品の永遠のテーマである「生と死」でした。「生老病死」は『火の鳥』や『ブッダ』でも描かれるテーマですが、斎藤先生が特に力を入れて紹介された作品は『料理する女』のこの台詞でした。
「ああ!いやだいやだ。百歳以上の年寄りがウジャウジャ世間にいるなんて!老いぼれて何の役にも立たない年寄りなんてまっぴらだわ」
「あなたもいずれそうなるんだ!!」
生まれる苦しみを超えても、いずれ人は必ず死ぬ。このコマにこそ「生老病死」が凝縮されており、『ブッダ』よりも『ブッダ』な作品が『料理する女』だ、と斎藤先生。それでも「生老病死」を背負いつつ希望をもって生きていくことこそ、手塚漫画から学んだものだった、と締めくくられました。
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6月11日、12日と東京に行ってきました~。
今回も夫の日記より転載です。




江戸漫遊 其の1~ハンバーグと仏像と手塚な宴会


相変わらずキーワードを並べただけのワケわからん日記タイトルや。

この土日、嫁さんとまたまた江戸へ行ってきた。
土曜日は東京国立博物館にて「手塚治虫のブッダ展」を鑑賞するため、
日曜日は藤城清治自宅スタジオ展を鑑賞するためだ。

実はその前日、浦メは鳥取で仕事したんだけど、大阪に戻る頃(22時)にケーサーの師匠であり兄貴分でもある次長からTEL。
次長も丹後半島で仕事してきて大阪に戻ってきはったところで、
「どや、ちょっと飲まへんか」
次長に誘われて、ケーサーに関しては体育会系の浦メが断るわけがねえ。

なもんだから、阪急高架下を中津の方向に歩いたところの「まぐろ亭」→DDハウス2階のショットバー→浦メの隠れ家「BAR THE TIME 天神」→「四天王ラーメン」と飲み歩き食べ歩き、帰宅して床に就いたのは午前3時。
いやはやお陰で、土曜日は起き辛かったのなんの。

東京駅から山手線で上野へ。
ホームに降り立ったら、やけにホームが暗いがな。あ、「節電」か!
震災・原発事故の余波をまざまざと実感したぜ。

上野の駅ビルにて在中部・関東のテヅカニアン諸兄姉と合流し、有名な「つばめグリル」でランチ。
1930年開業のこの洋食屋は、浦メも名前だけは知っていた。混み合ってたんで、嫁さんは女子チームでテーブル席に、浦メはマイミクでもあるぬー坊さん&ヘリトンボさんとカウンター席に着座。
ハンブルグ(ハンバーグ)ステーキにスープとライスがつくコースセットとグラスビール。昼飯にしてはちょいとばかりイクスペンシブやったけど、まあええか。ビールは、前の晩の「迎え酒」や。

つばめグリル

やがて運ばれてきた大皿には、なんや風船みてえに膨らんだアルミホイールとジャガバタが盛られていた。
アルミホイールをナイフとフォークで裂くと、デミグラスソースがグツグツいってるハンバーグが「コンチワ♪」と挨拶してくれた。
そこにナイフを刺すと、肉汁がジュジュ~と溢れ出てくれて、こりゃ美味そうだ!
実際、さすがは名店、美味かった♪
けど、やっぱり浦メは京都の「ハンバーグラボ」やな。
ジャガバタもなかなかナイスだったけど、だいぶ前に神田・神保町は古書センタービルに鎮座まします喫茶「ボンディ」で、名物のカレーを食った時についてきたジャガバタの方が・・・
やっぱり同じ料理の場合、「初食いの衝撃」が優ってしまうのか。
せやけど、つばめグリルの名誉のために言っておくと、ハンバーグもジャガバタも、ごっつう美味かったんだよ、念のため。

手塚治虫のブッダ展1

食後はみんなで連れもって上野公園へ。雨も止み、新緑が目に眩しいがな。
本館の特別5室にて開催の「手塚治虫のブッダ展」へGO!
マンガと仏像のコラボ展ってえのは、本邦初だそうな。以前、冗談半分に、「記念館の企画展で『ブッダ』に登場するキャラクターで現在、仏像仏画で残っているのがいたら、写真でいいから原画と一緒に並べたらオモロイ」なんて事を言った事があるが、まさか東京国立博物館がそれに似た事をやってくれるとはな。

手塚治虫のブッダ展3

手塚治虫のブッダ展2

展示は、ブッダの前世からスタートして、誕生、青年期、結婚、出家、苦行、悟り、説法、涅槃までその生涯を辿る形で、各シーンに合致した国内の諸仏像や、パキスタン・ペシャワール地方等の仏像彫刻と、マンガ原画が交互に並べられていた。
休日という事もあってか結構な人出や。嬉しくなるぜ。
せやけど、全体にはこじんまりまとまった印象やったな。
まあ、博物館まで持ってこれる仏像に限りがあったんやろう。例えば釈迦涅槃の像で有名なのは、法隆寺五重塔内の「釈迦入滅像」であるが、さすがにあの大作を江戸まで運ぶのは無理や。ブッダの周りで泣き叫ぶ弟子たちの姿なんざ、ホンマに圧巻なんやけどな。
でも、そもそもこういう企画を国立の博物館でやってくれた、その事だけで浦メは大満足であった。
しかし、もしも可能だったら、確か興福寺やったかな、あそこに釈迦十大弟子像があったと思うが、アナンダ(阿難)・サーリプッタ(舎利弗)・モッガラーナ(目健蓮)・アヌルッダ(阿那律)・ラーフラ(羅怙羅)といったマンガにも登場した人々を持って来て、それぞれの真横にマンガのキャラクターを並べて欲しかったぜ。
ブラフマンかて、梵天像はどっかの寺にあったハズ。・・・やっぱりムチャか。

物販コーナーでは、コミックスや映画「ブッダ」のグッズは勿論の事、般若心経の入った扇子やお線香まで売っていた。
これやがな、これやがな。記念館も「ブッダ展」やるんやったらこれぐらいやりなはれ。国立博物館ででけるんやから、記念館でお香を売っても政教分離の原則には違反せえへんやろう。のうなってもうた京都手塚ワールドの残りもんを売り捌いてる場合とちゃう。

博物館を辞して、今宵の宴会場がある渋谷へ。鳥の蒸篭蒸しが売りの「蒸しや清郎」や。
東京生息テヅカニアンの親分であるO谷さん始め、T田長老、デキャンターの論客K田さん、動く手塚データ・あっきーさん等々が既に来られていた。
やがてファン大会検討会の、のん気NGさんやうっち~さん、K林さんも到着され、あとはいつもの如くワイワイガヤガヤ、大テーブル二手に分かれて映画「ブッダ」がいかに残念だったか、とかスットーダナ王のアテレコはアレやったら俺でも出来る!とか博物館展示の感想とか、手塚プロの行く末は?とか、etcについて、大いに放談した。

面白かったけど、浦メは前日のケーサーと、昼に食ったハンバーグで結構胸一杯やったもんやさかい、そないにケーサーも飲めず、それが少々無念であった。

21時頃に中〆、O谷親分を筆頭とする左党の諸氏はそのまま残留。浦メは嫁さんに連行され、ぬー坊さん・K田さんともども渋谷は文化村近くの映画館ユーロスペースまで「アトムの足音が聞こえる」というドキュメンタリー映画を観に行った。
周りは連れ込み宿ばかりや。あ、今どき連れ込み宿なんて言わへんのか。当節はラブホとも言わず、ファッションホテルと称するそうや。
なかなかの環境にあるがな。ぬー坊さんとK田さんがおられなんだら、勘違いされとったで。

映画は、鉄腕アトムの効果音を担当した伝説の音響デザイナー・大野松雄を描いたものだが、いかんせん始まって早々に爆睡してしまった。なにしに行ったんや!
それにしても、少ない座席数なのに満席で立ち見もいた。21時10分スタートという時間にも関わらず。
しかも、御老体から若いカップルまで老若男女幅広く、一体どういう客層なんだろうと不思議極まりなかったぜ。
小屋(映画館)自体も、如何にもアングラって感じだっただけに、アレはもっとちゃんと観ておけば良かったわい。DVD化されてTSUTAYAに置かれるなんて先ずあり得へんやろしな。
しかし眠かったもんはしゃあない。

23時を過ぎて、手塚関係で上京した時の定宿・麹町の「東京グリーンパレス」にイン。
風呂も入らずベットに、それこそ昼間観た「釈迦涅槃像」の如くノビてしまった。
夫の日記より。原文ママでお送りします。
ファンクラブ会誌に投稿する時はもうちょっとまるくしま~す(汗)。





映画「手塚治虫のブッダ~赤い砂漠よ!美しく~」を観てきた。
嫁さん経由ではツィッター上は好評価が多いと聞き、かたや浦メのマイミクさんの日記では辛口だったりで、果たしてどうなのか興味深々であった。

なにせ浦メが知る範囲では、釈迦如来を真っ向から映画で描いたのは、三隅研次監督の大映映画「釈迦」以来やからな。
北大路欣也が演ったのは、あれは空海か。中村錦之助が演ったのは、あれは日蓮か。

で、観終わった感想をたった一言で言うと、
「原作が、如何にひとコマひとコマ濃密な情報が詰め込まれた大傑作であったかが改めて証明された」

やっぱりなんだな、多感な時期にリアルで原作を読んじゃったもんだから、先ずキャラクターの絵柄からして浦メとしてはNGであった。
せいぜいオヤジさんのスッドーダナ王(浄飯王)とタッタぐらいか、面影を残していたのは。

ストーリー展開は、ほぼ原作通り。
ただ、原作初期の主人公であるチャプラと、原作ではやっと3巻目から本格始動するシッダルタ王子を同時代人にした点が、異なっていた。
それはそれでいいのだが、その割にはタッタがいつまで経ってもガキのまんまで、まあそれは敷島博士に成長抑制剤を注射されたからだと言えば納得できるんだが(出来るかっ!)、この時間軸と肉体的成長の歪みは、東京五輪をリアルで見てきたにも関わらず未だに幼児のまんまの磯野タラちゃん&千里万博をリアルで見てきたにも関わらず未だに乳幼児のまんまの波野イクラにも似て、この映画では日曜ドラマ「JIN」で言うところの「歴史の修正力」は機能しないんだな、と妙に感心してしまった。

さあ、ハナっから訳のわからん文章になってきたぞ、イヒヒヒヒ。
なんせ手塚先生の「ブッダ」やさかいな、言いたい事がイナゴの大群並みにあるぜ。

オープニングでアシタ仙人の師匠・ゴシャラ様が悟りを開くに至ったエピソードが登場したが、浦メはゴシャラ様が、自らを焚き火に身を投じた兎を頭上高く掲げたシーンで、不敬にもこんなセリフを思い起した。即ち、
「う~ん、ここはやっぱりレアよりミディアムやな」
「これって、保険はおりんやろなぁ・・・」
相変わらずバカです、ハイ。

スッドーダナ王の声を演ったのは観世流二十六世宗家・観世清和だったんだけど、そのキャスティングを知った時は、なんで?と思ったぜ。
尤も、観世栄夫も勅使河原宏監督の安部公房映画にちょくちょく出演してたわな。能楽者が声優やったらアカンなんて条例はねえ。大阪では高校の先生が君が代歌わんと罰せられる条例がでけたけど。
関係ないやろう!

それはともかくこのスッドーダナ王、セリフが棒読みなんだよな。
公開前のCMを去年の手塚ファン大会で観た時も、「王様にしては声に重みがないな」と思ったんやけど、軽い+棒読みってのが聴いてて辛かった。
一緒に観賞されたマイミクのMさんが、チョイ役だったらまだしもと仰ってたが、浦メも同感である。
例えば手塚先生の「千夜一夜物語」なんかでは、その他大勢の役で北杜夫や佐賀潜を起用していた。それと同じで良かったんではないか?

チャプラのオカン兼ナレーションは、吉永小百合でもええんやけど、手塚ファンとしては、竹下“火の鳥”景子や。

チャプラの堺正章・・・違った堺雅人とシッダールタの吉岡秀隆は、まあ違和感はなかった。

せやけどスッドーダナ王だけは、もうちょっと重みのある声を聞きたかったぜ。

あと気になったのは、モッブシーンの人物の顔もそうやし、主要キャストにしても、遠景になると顔が点点と線だけの、まるで吉田戦車のキャラみたいになってしまってた事。
最近はアニメなんてトンとご無沙汰やけど、そんなもんなんやろか?浦メには「手抜き」と映ったけどな。
そういえば、浦メが大学生の頃やったか、深夜のバラエテー番組で讃岐うどんならぬ手抜きうどんなんてぇのが紹介されてたな。
だから、ただでさえ長ったらしい日記になってんだから、余計な事を書くなってんだ!

アカンのぉ・・・手塚先生の「ブッダ」なもんやさかい、ついつい年甲斐もなく興奮してもうて。

あとはアイツや!「謎の老人」や!
原作ではシッダールタを導くブラフマン(梵天)だが、映画ではただ単に弦楽器を弾いてるだけのジイチャンや。
しかも、弦は1本だけやのに、なんであんなハーモニーが奏でられるんじゃい???
理由は神様だから?それってドラえもんの最終回=夢落ち説並みに強引やの。

あともうひとつ。テロップにいちいち平仮名ルビを振るのはどうなんだ?
これは最近の大河ドラマでもそうやが、日本人の識字率をバカにしてんのか?
小さい子供でもわかるようにか?
ターゲットにしてんのはどの層じゃい!

タッタの動物への憑依能力も、原作を読んでるファンにはスーッと入るけど、初見のお客さんにはちょっと説明不足だったんじゃないかい?
誰でも読める漢字にルビ振るぐらいなら、その気遣いをそっちの説明に使うてくれ。

チャプラが戦場でシッダールタ王子に挑みかかるシーンは、まるで昭和44年の大河ドラマ「天と地と」の川中島だぜ。
チャプラが石坂兵ちゃんなら、さしずめシッダールタ王子は高橋幸治か。だったら軍配でチャプラの剣を跳ね返してほしかったな。

アシタ仙人が、出来たてほやほやのシッダールタと相まみえる「ご対面シーン」もあっさりしてたな。あそこは原作通りにいくべきじゃなかったんか?
赤ちゃんを抱いて涙するアシタ仙人。それを見て「なにかこの子に不吉な未来でも?」と不安に駆られるスットーダナ王。アシタ仙人曰く「この子は偉大な世界の王たる人になるが、その頃には自分は死んでしまっていて見る事ができない。だからそれが悲しいのだ」
だが映画では、「この子が大きくなる頃には儂はもうおらんじゃろう」の一言だけ。
あたりまえやがな!今でさえ十分なジイチャンなのに、大きくなる頃まだおったら泉重千代さんやがな。金さん銀さんやがな。

んで、ラストのシッダルタ出家シーン。
これこそ次の第二部(作られるんかどうかは知らんけど)へ観客を惹きつける、重要なくだりのハズ。なのにこのアッサリ感は一体なんだ!?
ここで濃厚豚骨ラーメンにせずに透明塩ラーメンにしてどないすんねん!

大ラスの、荒野というか岩山を歩くシッダールタも、浦メにはなんだかトレッキングしてはるようにしか見えなんだわい。
もっと浪花節全開で大盛り上がりに盛り上げてくれ!
そして作らはるんかどうかしらんけど(しつこい)、第二部までお客さんを繋ぎ止めてくれ!

とまあ、書けばザクザクと出てくるけど、やっぱあれだけの重厚長大な物語を、前半だけとはいえ120分で纏めるってぇのは、自ずと限界があるって事よな。

この映画、アドバイザーはひろさちや氏であった。
みうらじゅんではアカンかったのか?
あ、あの人は仏教は仏教でも「教え」ではなく「仏像」の方か。
瀬戸内寂聴、玄侑宋久ではギャラが高かったか?
ま、織田無道でなくて良かったけど。

推薦は全日本仏教会。
協力は全日本冠婚葬祭互助会、曹洞宗、延暦寺、東寺、日蓮宗、立正佼成会etc .
宣伝協力は仏壇のはせがわ、浅草寺etc.
おや、連載誌が潮出版やったのに、日本最大勢力の仏教系宗教団体が入ってへんがな。
チケットを買うのが上記諸団体なら、最大勢力仏教系宗教団体は動員面での協力か?選挙みてえに。
その割には今日の客の入りは、キャパの半分にも満たなかったような気が・・・。

最後にもう一言。
作中でも、あとで買ったパンフにも、遂に「赤い砂漠」についてなんの言及も説明もなかったぜ、予想通り。

映画を観て頂いた方には、赤い砂漠の意味が自ずと理解頂けたハズ・・・なんて制作サイドが考えているとしたならば、残念ながら浦メにはさっぱりわからんかったよ。

まさか第三部で、漸くその意味するところが明かされるんじゃあるめえな?