森晴路さん1新座手塚プロ
森晴路さん(手塚プロダクション新座スタジオにて。2014年7月21日)

4月14日、手塚プロダクション資料室長の森晴路さんの訃報を受けました。森晴路さんに初めてお会いしたのは19年前。高校の卒業旅行と称して、ファンクラブの代表の和久千賀さんを頼り、手塚プロダクション新座スタジオを訪問しました。当時のファンクラブ事務局は資料室と同室で、その時に森さんに挨拶したのが最初でした。

2006年、復活第1回の手塚治虫ファン大会で再会し、以後、10人くらいの手塚ファン仲間で年に2、3回、東京で集まり、めずらしい手塚先生の未収録漫画や手塚イベントについて、毎回3時間は手塚談義に華を咲かす飲み仲間でした。

昨年、2015年2月に治虫忌に因んだイベント、ナカノシマ大学「街から読み解く手塚治虫」を開催した時、「びっくりさせようと思った」と言って、埼玉から大阪まで4時間半かけて来て下さったのが忘れがたい思い出です。この時、森さんが録画テープを提供して下さったのが、1985年3月21日に読売テレビで放送された「11PM 手塚治虫NANIWAグラフィティ」。手塚先生が電気科学館のプラネタリウムを自ら操作する貴重な映像を、後継施設の大阪市立科学館で30年ぶりに上映できる、という奇跡のようなイベントを実現できたのも、森さんのおかげでした。

手塚治虫ファン大会では、マニアックな質問に森さんが答えるという「森さんに聞け」コーナーが、ここ数年の恒例で、欠かせない存在でした。そして、昨年の12月の手塚ファン大会でお会いしたのが最後となりました。

新座駅 アトム

突然の森さんの訃報に眠れないまま新幹線に乗り、私は新座に向かいました。

森晴路さんご葬儀2

会場には「創作ノート」「手塚治虫原画の秘密」「図説 鉄腕アトム」など、森さんが手がけた本が飾られていました。ご葬儀は「ジャングル大帝」のBGMと共にしめやかに行われました。松谷社長の弔辞は「まさか僕があなたを送ることになるとはね。だいたい、あなたは写真だってちゃんとしたのを用意してないじゃないですか。この写真、探すの大変だったんだよ。」と、森さんに語り掛けるような言葉でした。
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森晴路さんご葬儀3


ご葬儀会場で、手塚先生の元アシスタントで「手塚治虫物語」の作者である伴俊男さんと、90年代にファンクラブ事務局を務めて下さっていた和久千賀さんに再会できて嬉しかったです。そして、和久さんに現在の「手塚ファンマガジン」会誌編集の和田収さんを紹介できました。森さんがファンクラブ草創期を築いた1971年の「虫のしらせ」から脈々と受け継がれている、手塚治虫ファンクラブの輪を感じました。まさしく森さんが引き合わせて下さった縁だと思いました。

ここ数年、感じていることですが、「手塚治虫が歴史になってしまう」ことを危惧しています。手塚先生と縁のあった方の訃報を聞くたびに、自身の無力感と同時に「手塚治虫はまだ歴史ではない」「手塚治虫を歴史にしてはいけない」との思いを常々持っています。
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森晴路さんは今年の正月にサンテレビで放送された「少年・手塚治虫の宝塚」の冒頭でこう言っていました。
「先生って天才だとよく言われるんですけど僕は努力の人だと思うんです。」
その手塚先生の努力を支えたのは森さんの地道な努力。手塚先生亡き後の手塚漫画を守り続けたのは森さんだったと思います。

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森晴路さんご葬儀1
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