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2016.10.11
虫プロ見学会&手塚番トークショー&懇親会
虫プロ見学会&手塚番トークショー&懇親会
8月28日、手塚治虫ファンクラブのイベントとして「虫プロ見学会&手塚番トークショー&懇親会」が開催されました。会長の武田聖二朗さんの呼びかけで、総勢50人参加の夏のイベントとなりました。

午後2時に富士見台駅に集合。虫プロダクションは一度に10人程度しか入れないということで、30分の時間差で4チームに分けての見学。私たち夫婦は3班になり、元・手塚番の橋本一郎さんの案内で、虫プロダクションまで向かいました。

手塚プロが最初に事務所を借りた石田ビル。「一階が洋服屋さん、二階がオーロラという喫茶店で、打ち合わせはよくここでした」と橋本さん。

次に手塚プロの事務所となったのがエチゴヤビルで、1970年~1976年まで、肉屋の二階三階を手塚プロダクションが借用していたそうです。『ブラック・ジャック』はまさにここで生まれたわけです。エチゴヤのシャッターには1973年に展覧会に出展されたキャラクター画が再現されています。

中華料理「純華」。『ブラック・ジャック』第39話「純華飯店」モデルの店で、当時、手塚先生やスタッフがよく行ったそうです。小林準治さんは、自分の新人歓迎会をこの「純華」でやってもらったとのこと。
虫プロダクションに到着し、3班の皆で記念撮影。

有名な虫のロゴマークに古びたポスト。そして、ガラスブロックに50年前のモダン建築の面影を感じます。

ここからは、虫プロダクション版権事業課の芝田達矢さんに社内を案内していただきました。

「鉄腕アトム」の影が描かれた扉を開けると、古い撮影台と、壁二面にずらっとフィルムが並んでいました。撮影台はマルチプレーンカメラと呼ばれるもので、この機械は2台目。アニメの奥行きを表現するために、マルチ機能のある撮影台が必要になり導入したとのこと。最初の1台目は手塚先生が個人的に持っていたもので、それをカウントせず、この機械を「1号台」と呼んでいるそうです。虫プロ時代はこのような撮影台が最高で7~8台はあったそうです。

当時、試写室だった3階の屋根裏部屋や、現在でもアニメ制作が行われている部屋などを案内していただいた後、4班と交代でビデオを視聴。「鉄腕アトム」や「バンパイヤ」に虫プロが登場する回を見ました。手塚先生がドラマで演技しているのを見ると、なぜか笑えます。


虫プロ見学の後は、懇親会会場のエチゴヤへ。食事の前に、3人の元手塚番による鼎談が開催されました。「週刊少年キング」で『アポロの歌』などを担当された橋本一郎さん、「週刊少年キング」で『紙の砦』などを担当された黒川拓二さん、「週刊少年チャンピオン」で『ブラック・ジャック』を担当された岡本三司さん。中でも私が印象的だったのは『紙の砦』(昭和49年9月30日号「週刊少年キング」掲載)の担当編集者だった黒川拓二さんのお話でした。『紙の砦』は、手塚先生の漫画家生活30周年と、8月の終戦記念日にあわせた企画として、手塚先生のほうから提案があったそうです。「タイトル『紙の砦』はどう?」と手塚先生と言われた時、「うわー!決まった」と黒川さんは編集部に飛んで帰ったそうです。続編の『すきっ腹のブルース』と共に「この二編は本当に担当のし甲斐があった」とのこと。原稿をもらった時は震えるほど感動したそうです。


三人の手塚番のお話を聞いた後、「鉄腕アトム」の声優・清水マリさんの音頭で乾杯。総勢50名の大懇親会が始まりました。お通しの筑前煮、ポテトサラダ、お肉屋さん期待のステーキの後、しゃぶしゃぶ、最後になんとカレーライス、〆にアイスチョコバーという、フルコース料理をたっぷりいただきました。
懇親会には、虫プロ関係者では、現社長の伊藤叡さん、版権事業課の芝田達矢さん、OBの柴山達雄さん、下崎闊さん、小林準治さん、OGの渡辺佳子さんなども参加されました。また著名な方では、漫画家のみなもと太郎さん、元ハードロックバンドVOWWOWの人見元基さん、ミュージシャンでSF作家の難波弘之さんや、元NHKアナウンサーで「描きかえられた『鉄腕アトム』」著者の小野卓司さんも参加され、大いに場が盛り上がりました。
エチゴヤのシャッターに描かれたキャラクター画の原画。

エチゴヤのご主人の高橋さん親子によって、この絵の由来が語られました。
虫プロと手塚プロ両方のスタッフを務めた下崎闊さんから、当時の裏話もいろいろ伺いました。
難波弘之さんと。

小野卓司さんと。

小林準治さん、清水マリさんと記念撮影。
最後に、当日イベントの運営にあたって下さった、ファン大会実行委員会の武田聖二朗さん、
砂口景子さん、小林晃さん、原かおりさん、早川和美さん、北原隆司さん、風呂田邦郎さん、中村鮎子さんの、手塚愛とご尽力に深く感謝申し上げます。
8月28日、手塚治虫ファンクラブのイベントとして「虫プロ見学会&手塚番トークショー&懇親会」が開催されました。会長の武田聖二朗さんの呼びかけで、総勢50人参加の夏のイベントとなりました。

午後2時に富士見台駅に集合。虫プロダクションは一度に10人程度しか入れないということで、30分の時間差で4チームに分けての見学。私たち夫婦は3班になり、元・手塚番の橋本一郎さんの案内で、虫プロダクションまで向かいました。

手塚プロが最初に事務所を借りた石田ビル。「一階が洋服屋さん、二階がオーロラという喫茶店で、打ち合わせはよくここでした」と橋本さん。


次に手塚プロの事務所となったのがエチゴヤビルで、1970年~1976年まで、肉屋の二階三階を手塚プロダクションが借用していたそうです。『ブラック・ジャック』はまさにここで生まれたわけです。エチゴヤのシャッターには1973年に展覧会に出展されたキャラクター画が再現されています。

中華料理「純華」。『ブラック・ジャック』第39話「純華飯店」モデルの店で、当時、手塚先生やスタッフがよく行ったそうです。小林準治さんは、自分の新人歓迎会をこの「純華」でやってもらったとのこと。

虫プロダクションに到着し、3班の皆で記念撮影。

有名な虫のロゴマークに古びたポスト。そして、ガラスブロックに50年前のモダン建築の面影を感じます。

ここからは、虫プロダクション版権事業課の芝田達矢さんに社内を案内していただきました。


「鉄腕アトム」の影が描かれた扉を開けると、古い撮影台と、壁二面にずらっとフィルムが並んでいました。撮影台はマルチプレーンカメラと呼ばれるもので、この機械は2台目。アニメの奥行きを表現するために、マルチ機能のある撮影台が必要になり導入したとのこと。最初の1台目は手塚先生が個人的に持っていたもので、それをカウントせず、この機械を「1号台」と呼んでいるそうです。虫プロ時代はこのような撮影台が最高で7~8台はあったそうです。


当時、試写室だった3階の屋根裏部屋や、現在でもアニメ制作が行われている部屋などを案内していただいた後、4班と交代でビデオを視聴。「鉄腕アトム」や「バンパイヤ」に虫プロが登場する回を見ました。手塚先生がドラマで演技しているのを見ると、なぜか笑えます。


虫プロ見学の後は、懇親会会場のエチゴヤへ。食事の前に、3人の元手塚番による鼎談が開催されました。「週刊少年キング」で『アポロの歌』などを担当された橋本一郎さん、「週刊少年キング」で『紙の砦』などを担当された黒川拓二さん、「週刊少年チャンピオン」で『ブラック・ジャック』を担当された岡本三司さん。中でも私が印象的だったのは『紙の砦』(昭和49年9月30日号「週刊少年キング」掲載)の担当編集者だった黒川拓二さんのお話でした。『紙の砦』は、手塚先生の漫画家生活30周年と、8月の終戦記念日にあわせた企画として、手塚先生のほうから提案があったそうです。「タイトル『紙の砦』はどう?」と手塚先生と言われた時、「うわー!決まった」と黒川さんは編集部に飛んで帰ったそうです。続編の『すきっ腹のブルース』と共に「この二編は本当に担当のし甲斐があった」とのこと。原稿をもらった時は震えるほど感動したそうです。


三人の手塚番のお話を聞いた後、「鉄腕アトム」の声優・清水マリさんの音頭で乾杯。総勢50名の大懇親会が始まりました。お通しの筑前煮、ポテトサラダ、お肉屋さん期待のステーキの後、しゃぶしゃぶ、最後になんとカレーライス、〆にアイスチョコバーという、フルコース料理をたっぷりいただきました。
懇親会には、虫プロ関係者では、現社長の伊藤叡さん、版権事業課の芝田達矢さん、OBの柴山達雄さん、下崎闊さん、小林準治さん、OGの渡辺佳子さんなども参加されました。また著名な方では、漫画家のみなもと太郎さん、元ハードロックバンドVOWWOWの人見元基さん、ミュージシャンでSF作家の難波弘之さんや、元NHKアナウンサーで「描きかえられた『鉄腕アトム』」著者の小野卓司さんも参加され、大いに場が盛り上がりました。

エチゴヤのシャッターに描かれたキャラクター画の原画。


エチゴヤのご主人の高橋さん親子によって、この絵の由来が語られました。

虫プロと手塚プロ両方のスタッフを務めた下崎闊さんから、当時の裏話もいろいろ伺いました。

難波弘之さんと。

小野卓司さんと。

小林準治さん、清水マリさんと記念撮影。
最後に、当日イベントの運営にあたって下さった、ファン大会実行委員会の武田聖二朗さん、
砂口景子さん、小林晃さん、原かおりさん、早川和美さん、北原隆司さん、風呂田邦郎さん、中村鮎子さんの、手塚愛とご尽力に深く感謝申し上げます。
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