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2017.04.11
再訪、手塚の里・上田へ―手塚治虫のルーツを訪ねて―
「鉄腕アトム」の誕生日に因んだイベントが、長野県上田市で4月8日に開催されました。『火の鳥 乱世編』に登場する手塚太郎金刺光盛(手塚治虫の先祖)と上田との関わりを研究されている上原榮治さんからお誘いを受け、私たち夫婦は上田市を再訪。翌4月9日、上原さんに上田市の手塚地区界隈をご案内いただきました。
前回、須川の手塚家の墓所へ行った際のレポートはこちら。
手塚の里・上田へ―手塚治虫のルーツを訪ねて―

上原榮治さんの著書『手塚太郎金刺光盛―手塚一族の後裔はどこへ?―』
そもそものきっかけは、2016年2月12日放送のNHK「ファミリーヒストリー」でした。番組によると、長野県上田市には、「手塚」という集落があり、その地名から「手塚氏」と言われるようになったとのこと。1184年の粟津の戦いで木曽義仲敗死後、源頼朝に田畑家屋敷を没収され、手塚光盛の一族は手塚地区から須川地区に落ち延びました。上原さんは母方の実家が須川手塚家にあたります。


上田市~塩田平周辺地図
『手塚太郎金刺光盛―手塚一族の後裔はどこへ?―』より
上田駅で手塚ファンの松原光昭さん待ち合わせ。途中で上原さんと合流し、4人で手塚地区へ。約800年前の手塚家のゆかりの地を訪ねました。

西塩田・別所温泉案内のマップ

手塚地区を拡大すると、手塚光盛ゆかりの地が点在しています。

上田バスのバス停「手塚」!

バス停「手塚」の近くにあった「猿田彦大神」の碑。手塚キャラの猿田彦と関連があるのかは不明です(笑)。

手塚太郎金刺光盛の居館跡(推定)
門は江戸時代から代々続く庄屋のもの。

手塚光盛の居館跡で金刺手塚家の系図について説明する上原さん。

上原さんは2冊目の本を執筆中だそうで、手塚光盛以前の系譜についても教えていただきました。手塚家は代々長男を「太郎」と名付けていたようです。

草むらの向こうに見える土塁が、手塚光盛の居館があった名残だそうです。

上田市塩田の里交流館「とっこ館」前にある手塚史跡遺産「手塚の太郎 駒の足形橋」

木曽義仲の四天王といわれる手塚太郎光盛が、戦の軍神に祈願をこめた時、乗る騎馬の蹄の跡が石橋に残ったという伝承に基づくそうです。

手塚太郎光盛を祀る五輪塔

塩野神社。手塚氏によって創建されたと思われる古社で、境内には流鏑馬の出発点があります。戦国時代には真田昌幸・信之が信仰をよせたそうです。

八木沢天満宮

八木沢天満宮にある木曽義仲の古碑の碑文。手塚氏の子孫・手塚次郎左衛門が江戸時代に建立。

八木沢天満宮・木曽義仲の古碑のひとつに手塚家の家紋「三つ盛亀甲紋」が刻まれた祠。ちなみに、総禅寺の手塚家の墓にも同じ文様が刻まれています。

祠の裏には手塚光盛と刻まれています。

上原さんに中善寺のご住職を紹介していただきました。

中善寺薬師堂(国指定重要文化財)

中善寺薬師堂の中の薬師如来像を特別に拝観させていただきました。

薬師如来像の台座の天板に描かれた墨絵。流鏑馬に興じる手塚光盛を描いたものと思われます。
前回、須川の手塚家の墓所へ行った際のレポートはこちら。
手塚の里・上田へ―手塚治虫のルーツを訪ねて―

上原榮治さんの著書『手塚太郎金刺光盛―手塚一族の後裔はどこへ?―』
そもそものきっかけは、2016年2月12日放送のNHK「ファミリーヒストリー」でした。番組によると、長野県上田市には、「手塚」という集落があり、その地名から「手塚氏」と言われるようになったとのこと。1184年の粟津の戦いで木曽義仲敗死後、源頼朝に田畑家屋敷を没収され、手塚光盛の一族は手塚地区から須川地区に落ち延びました。上原さんは母方の実家が須川手塚家にあたります。


上田市~塩田平周辺地図
『手塚太郎金刺光盛―手塚一族の後裔はどこへ?―』より
上田駅で手塚ファンの松原光昭さん待ち合わせ。途中で上原さんと合流し、4人で手塚地区へ。約800年前の手塚家のゆかりの地を訪ねました。

西塩田・別所温泉案内のマップ

手塚地区を拡大すると、手塚光盛ゆかりの地が点在しています。

上田バスのバス停「手塚」!

バス停「手塚」の近くにあった「猿田彦大神」の碑。手塚キャラの猿田彦と関連があるのかは不明です(笑)。

手塚太郎金刺光盛の居館跡(推定)
門は江戸時代から代々続く庄屋のもの。

手塚光盛の居館跡で金刺手塚家の系図について説明する上原さん。

上原さんは2冊目の本を執筆中だそうで、手塚光盛以前の系譜についても教えていただきました。手塚家は代々長男を「太郎」と名付けていたようです。

草むらの向こうに見える土塁が、手塚光盛の居館があった名残だそうです。

上田市塩田の里交流館「とっこ館」前にある手塚史跡遺産「手塚の太郎 駒の足形橋」

木曽義仲の四天王といわれる手塚太郎光盛が、戦の軍神に祈願をこめた時、乗る騎馬の蹄の跡が石橋に残ったという伝承に基づくそうです。

手塚太郎光盛を祀る五輪塔

塩野神社。手塚氏によって創建されたと思われる古社で、境内には流鏑馬の出発点があります。戦国時代には真田昌幸・信之が信仰をよせたそうです。

八木沢天満宮

八木沢天満宮にある木曽義仲の古碑の碑文。手塚氏の子孫・手塚次郎左衛門が江戸時代に建立。

八木沢天満宮・木曽義仲の古碑のひとつに手塚家の家紋「三つ盛亀甲紋」が刻まれた祠。ちなみに、総禅寺の手塚家の墓にも同じ文様が刻まれています。

祠の裏には手塚光盛と刻まれています。

上原さんに中善寺のご住職を紹介していただきました。

中善寺薬師堂(国指定重要文化財)

中善寺薬師堂の中の薬師如来像を特別に拝観させていただきました。

薬師如来像の台座の天板に描かれた墨絵。流鏑馬に興じる手塚光盛を描いたものと思われます。
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