池田文庫旧玄関

午後3時前。手塚先生が通った池田師範附属小学校跡地へ。昨年4月にここの桜を撮影して以来です。
当時、池附の木造校舎があったのは、現在、阪急学園池田文庫が建っている場所。ここ新阪急ホテル池田寮に残る池田文庫旧玄関はその面影です。
詳しい説明は以前書きましたので、そちらを参照に。

池田師範附属小学校の面影【その1】
池田師範附属小学校の面影【その2】
「新・虫マップ」池田
「虫マップ ―手塚治虫ゆかりの地を訪ねて―」第20回 池田附属小学校
池田附属小学校跡地

実は心配だったのが、池田文庫の休館日が月曜日だったのと阪急の私有地であるがゆえに10人もぞろぞろ入って大丈夫なのか、ということ。池田寮のスタッフらしき人が怪訝そうにこちらを見ていたのですが、「池田文庫旧玄関を見たいんですが」というとあっさり入らせていただけました。というわけで、この石段と石垣を前にガイド。用意したのは手塚先生を含む西組のクラスメイト48名が写った写真4枚。これらは手塚先生の同級生の大森先生に戴いたもので、石垣や石段、当時の木造校舎などが写っています。手塚先生は3年生まではガチャボイ頭(笑)。4年以降は丸刈りになっています。
池田附属小学校跡地
池田附属小学校跡地

もうひとつ、資料として持参したのがこれも手塚先生の同級生・泉谷迪氏が書かれた『手塚治虫少年の実像』。この本に池田附属小学校の木造校舎の写真が載っているからです。さすがに同級生だけあり、その当時の情景描写が大変詳しく書かれてあります。以下はそのページの引用。

学校は池田という地名の由来にもなった十四世紀の前半に築かれた、池田氏の居城の一部分に造られたもので、左右に高い石の柱が立った校門を入ると何層にも積まれた古びた石垣が目に入り、その石垣の間を縫うように、くの字形に、感覚が広くて低い石段のような、ゆるやかな坂道が上の運動場に続いていた。その坂道を登りきると、目の前に大きなポプラの木がそびえ、運動場の左に目を移すと、一段高くなった敷地に、古びた木造の校舎が見えるのだが、年代を重ねた石垣の重厚な趣と、風雨にさえぎられた簡素な木造の校舎が、しっくりと調和していて、落ち着いた良い雰囲気だったという印象が残っている。
(泉谷迪氏著『手塚治虫少年の実像』より)


この箇所を再読して、はっとしました。「池田師範附属小学校は池田氏の居城の一部分に造られた」…ということはあの石垣も石段も池田城があった14世紀からのものでは…!?そもそも城というのは敵の攻撃から守るため、高いところに建てられ何層もの石垣で囲って造られるものです。これより北側に池田城跡公園があることを考えると、今、目の前にあるのは100年どころか600年も前からのものなのでは!?そう考えるとちょっとすごいじゃありませんか!

こちらは石段手前にある松の木の切り株。手塚先生が映っている集合写真にはその松の幹が写っていいます。
池田附属小学校跡地

というわけでお約束。手塚先生が写っている写真と同じ構図で記念撮影。
池田附属小学校跡地

池田文庫裏の小道
池附時代、手塚先生は同級生と一緒にこの道をよく通っていたそうです。
池田文庫裏小道

その小道にあった謎の石碑
謎の石碑
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