未完の手塚作品第2弾です。
手塚ファンマガジン202号「未完の作品特集」のための投稿原稿を書いていたらもう201号が手元に届きました。今回は投稿が少なかったのか、未完の作品特集宛のイラストが早々と載っていましたね♪いくらなんでも、言いだしっぺの私が投稿しないわけにいかんでしょ(^^;)てなわけでようやくファンクラブに送信。以下、その原稿です。


未完の手塚作品『ルードウィヒ・B』

                                         田浦紀子

 私が初めて読んだ未完の作品は絶筆三部作のひとつ『ルードウィヒ・B』でした。『陽だまりの樹』や『アドルフに告ぐ』で大成した実在の人物とフィクションを巧みに織り交ぜる手法で描かれたルードウィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの半生。宿敵フランツが今後どのように絡んでいくのか。恐らく貴族出身のフランツと共和主義者であるルードウィヒとの対峙が重要な鍵となったことでしょう。

 『ルードウィヒ・B』はベートーヴェンの「半生」という言葉に相応しく、56年間の人生の、ちょうど折り返し点まで描かれた作品です。2巻のラストで描かれたピアノソナタ「月光」は1801年、ベートーヴェン30歳の時に作曲されました。ところがこの後ベートーヴェンは苦難の道を歩むことになります。自ら命を絶つことを決意し、弟に宛てて「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いたのはすぐ翌年1802年10月のことだったのです。この年の5月に初恋の人・エレオノーレ・フォン・ブロイニングが親友である医師・ヴェゲラーと結婚。遺書まで書いたベートーヴェンの心境はこのことと決して無関係ではなかったことでしょう。そして何よりも音楽家として致命的な耳の病。しかし、自殺寸前まで追い詰められたベートーヴェンが再びウィーンの社交界に返り咲いたのはやはり音楽があったからでした。その再生への道を手塚先生は生きていらしたらどのように描いたのか。

 描かれることのなかった物語のもうひとつの重要な伏線。それはルードウィヒがシラーの詩を口ずさむシーンです。
「ぼくはいつかきっとこの『歓喜の歌』を全部作曲してやる。そうだ、ぼくの最高傑作にしてやるぞ。」
「第九交響曲(合唱)」は事実、世の人誰もが知る最高傑作となりました。第九交響曲の初演のタクトを握った時、ベートーヴェンは53歳。完全に聴力を失った中での指揮だったといいます。しかし、その曲は聴く人誰もの心を揺り動かす喜びにみちた歌。もし『ルードウィヒ・B』が最後まで描かれていたなら、このシーンがクライマックスになっていたに違いありません。そして、「歓喜の歌」がルードウィヒを憎み続けたフランツの心を解かしていたことでしょう。

 まるで弾き続けたピアノ曲が突然プツリと途切れるが如く未完になった『ルードウィヒ・B』。でも、手塚先生の作品には他にも数え切れないくらい未完の作品があります。
「アイデアだけはバーゲンセールするほどあるんだ」との名言からもわかるように、ほどばしるアイデアを次から次へと描かずにはいられない。未完の作品が多く存在するのは、編集側の理由というより、手塚先生自身の性格や執筆姿勢によるものでしょう。描いても描いても手塚先生は、自分の作品にいつまでも満足ができなかったのではないでしょうか。だから、手塚先生は永久に未完の作家だとも思うのです。



原稿が遅れた言い訳をすると、実は『ルードウィヒ・B』について書くためにベートーヴェンの伝記を読んだり、ネットであれこれ調べたりしていたのです。『ルードウィヒ・B』と伝記を読むと、エレオノーレやワルトシュタインやヴェゲラーやモーツアルトなどの登場人物も手塚キャラとして重ね合わせてしまいます。

あと何よりベートーヴェンの曲を知らないことには!と思ったワケです。中でも「悲愴」第二楽章、「月光」第二楽章、「第九交響曲」が大好きで原稿を書きながら、MID音楽を何十回も聴きました。特に「悲愴」第二楽章はアニメ「火の鳥」のオープニングテーマとして使われたこともあり、この曲を聴くたびに「これが手塚先生が好きだったベートーヴェンだ!」と思います。それにしても『ルードウィヒ・B』はつくづく未完が惜しまれる作品ですね。

【参照MID音楽】
ピアノ・ソナタ第14番「月光」第二楽章
ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」第二楽章

「敬愛なるベートーヴェン」(トップページに「第九交響曲」使用)
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