9月15日、大阪府立国際児童文学館で行われた「丸山昭さんと読む『講談社の絵本』の子ども漫画」を聴講しました。丸山昭さんは、手塚治虫、石森章太郎、うしおそうじ、ちばてつや、水野英子、赤塚不二夫、松本零士、牧美也子などたくさんの著名な漫画家を育てた編集者として有名で、手塚関連では少女クラブ版『リボンの騎士』を担当されたことで知られています。現在、竹内オサムさんが発行する研究誌『ビランジ』に漫画家たちとのエピソードを連載していて、私は丸山さんの連載を何より楽しみにしているのです。会場には『ビランジ』を編集されている竹内オサムさんも来られていました。

はじめに丸山さんは、『少年倶楽部』や『漫画少年』を編集し、“手塚治虫を育てた人”として有名な名編集長・加藤謙一氏との貴重な写真を披露されました。

講演の前半は、昭和11年に創刊され、毎月1冊短編ストーリーマンガ集が発行されていた「講談社の絵本」について。宮本大人さんご自身のブログで詳細にレポートされていますので、そちらを参照に。マンガの発展過程について、いろいろお話が聴けました。手塚治虫以前のマンガについては、ほとんど知識なく来たのですが、宮本さんのトークが流暢でとてもわかりやすかったです。

で、手塚ファンである私にとって何より興味深かったのは『少女クラブ』に連載された『リボンの騎士』について。全編ほとんどオールカラーで描かれた手塚先生の『リボンの騎士』は、当時、非常に画期的だったでしょうが、今みても色鮮やかで華やかな作品です。その『少女クラブ』の担当をされていたのが丸山昭さん。少年誌から突然『少女クラブ』に異動になった丸山さんは当時のことを「寝ている間に性転換手術をうけたみたいですごく調子が悪かった」と言って会場を笑わせていました。当時の手塚先生の編集者泣かせのエピソードや講談社別館などにカンヅメにされて原稿を描いていた話は有名ですが、本講演で興味深かったのは、宮本さんの分析する少女クラブ版『リボンの騎士』。
「第1回から非常にラディカルな作品というのがよく表れている。」と宮本さん。
神様が、男の子には男の子の魂を、女の子には女の子の魂を飲ませるはずだったのが、サファイアは、チンクのいたずらによって両方の魂を飲んでしまう。このページが宮本さんの指摘によると、男の子の魂が赤、女の子の魂が緑で描かれている!普通は逆に描かれるところだが、作品一環してその色で描かれているのをみると、表現の細部に決まりきったジェンダーのイメージをずらしにかかっている。「先生これ、おかしいんじゃないですか?」と編集者もとめてはいない。と。

「いや、とめるほど時間がないんですよ」と丸山さん。

場内爆笑!

「そうですね~。手塚先生ていつも原稿ギリギリですからねー。」
手塚先生に関するエピソードで、もうひとつ丸山さんが語られたのは昭和30年にあった悪書追放運動について。「これはもう魔女狩りだった」と丸山さん。当時、漫画を載せてる雑誌は悪書といわれ、校庭に漫画雑誌を積み上げて燃やしたという焚書騒ぎまでありました。識者や父兄、児童文学者による漫画家のつるし上げがおこなわれ、その矢面に立たされたのが手塚先生でした。「もし、ひとつの伝えたいメッセージがある場合、漫画の場合は文字と絵で伝えられるからストレートに伝えられる媒体」と主張したが、とてもじゃないが耳を傾ける人は一人もいなかった。手塚先生はどんな状況でも漫画が描ける人だったが、あの時だけはとても描けないくらい落ち込んでいたそうです。


ところで、『少女クラブ』誌上で異色だったのが石森章太郎さんの実験的SFマンガ『幽霊少女』(1956)。

「石森さんは女の子が描けないんですよー。」

当時の原稿を見ると暗いことこのうえなく、しかも毎回絵柄が違う(笑)。「どんどん影を描いても、ここでとめる、というとめどころが、当時の石森さんはわからなかった。さすがにこれは読者うけはしなかったですね。」と丸山さん。
なんだか今、私たちが目にする石森作品の少女キャラの綺麗な目のイメージからは非常に意外な気がしました。
 
宮本さんは、この後『少女クラブ』連載された石森作品『虹の子』や、主人公が幸せとは何かを延々自問自答する『江美子STORY』(1962年『少女クラブ』廃刊の年に連載)などを例にあげ、石森氏の画面の作り方、王道少女マンガのパターンとは違う、登場人物の深層心理をついた作品について論じられました。丸山さんは「手塚治虫のあとを継げるのは石森章太郎しかいないんじゃないかと思った」と言い切るほど石森氏の才能を認められていましたが、それほどの天才・石森章太郎を育てたのはやはり当時の『少女クラブ』だったわけです。作家が確信犯的に描きたいものを描いて、編集者がその気持ちをうけとめ、自由に描かせる場を与えた。その幸福な出会いが『少女クラブ』にあった。『COM』や『ガロ』より以前にそのような先駆的な雑誌があったことを、当時を知る丸山昭さんから直接うかがうことが出来た講演会でした。


講演終了後、なんと国際児童文学館の書庫を見せていただけるというので大喜び!国際児童文学館は、私が学生だった頃はかなり通いつめていた時期がありました。というのもマンガも広い意味で児童向けの本ということで、マンガ雑誌が国会図書館並みに揃っているからです。なかでも『ガラスの仮面』の未収録箇所の連載誌をチェックして約2000ページをコピーしに通った(約3万円つぎ込んだ・笑)のは懐かしい思い出です。他に『なかよし』版『リボンの騎士』や『エンゼルの丘』の扉絵・描き直し前の原稿、『どろろ』『バンパイヤ』などもチェックしに行ったことがあります。地下倉庫には明治期の絵本から最近の少年少女向けのマンガ雑誌がずらりと年代順に並んでいて、参加者は皆興味津々!そもそもこの場に来ている人は丸山昭さんがお目当てで来ている=相当マンガ史について知識を兼ね備えた人たち(オタクともマニアとも研究者ともいう・笑)が来ているわけで、皆、目を輝かせていました。書庫ツアーの間じゅうすごい濃いマンガの空気を感じました(笑)。
 
書庫の見学が終わり、入り口付近で丸山さん、宮本さんと合流。お二人に挨拶。丸山昭さんとは、私は初対面ではないのです。実は京都精華大学で2004年に行われた公開座談会「証言・黎明期の少女まんが作品と作家たち」でお会いしたことがあり、その時に「虫マップ」を謹呈しました。挨拶したところ、丸山さんはちゃんと私のことも本のことも憶えていてくださって、「あの後お礼状書こうかと思ったんですよ」とまで言ってくださったのです!もうそれだけで私は光栄の至り。児童文学館からモノレールの駅に辿り着くまでずっと丸山さんとお話することができ、とても幸せな時間でした。私は『ビランジ』18号に掲載された講談社第一別館(旧三井邸)を解体前に漫画家仲間と訪れたエピソードにいたく感銘をおぼえたことを伝えました。「あのときは5人くらいで見に行ったんですよ。水野英子さんと夏目房之介さんも来られてたなー。夏目さんがパシャパシャ写真を撮ってましたよ。」と思い出を語ってくださいました。
 
講談社第一別館解体については、近代建築ファンの間では有名ですが、ここで手塚先生ややちばてつやさんなどたくさんの漫画家が名作を生み出していたエピソードについては、インターネットを検索してみてもほとんど出てこず、詳しく触れられていたのは丸山昭さんのエッセイのみだったのです。前に書いた記事と重複しますが、このエピソードについては丸山昭さんが『ビランジ』18号で書かれていますので、是非読んでみてください。それにしても講談社別館は、知っていたら本当に解体前に行ったのに、と今でも悔やまれてなりません。
 
梅田へ移動し6時より懇親会。同行していた金沢みやおさん、牧人さん、それから久々にお会いした竹内オサムさんと同席しマンガ談義で一時間盛り上がりました。はっと気づいて時計をみたら午後7時。午後7時から船場アートカフェで大バン定例会(橋爪紳也先生を応援する会)があるもので、バタバタと慌てて懇親会場を後にしました。退出間際、宮本さんから「ブログに書かれてましたよね」と言われたときは驚きました。やっぱり見てる人は見てるんだ~。というか、初対面なのにブログの記事と私本人がよく結びつきましたね~!というわけで、この記事も宮本さんがご覧になること前提で書きました。丸山さん、宮本さん、本当に貴重なお話を楽しませていただきました。ありがとうございました。10月14日の丸山さんのトークは必ず行かせていただきます。宮本さんもまた是非いつかの機会にお目にかかりましょう。


■宮本大人のミヤモメモ
丸山昭さんとの講演会
いい展示ができました!
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