虫プロ

最後の目的地は練馬区富士見台の虫プロダクション
一年で陽が一番短い12月ですから夕方5時をまわるともう真っ暗で、虫プロに到着する頃にはすっかり夜になっていました。さすがに日曜日の夜…会社ですから当然閉まっていました。公式サイトにあるとおり、現在虫プロは一般見学ができません。

虫プロは、今では手塚先生と関連が薄くなっているため、私にはさすがに人脈がなく見学する機会が今までありませんでした。手塚関連のテレビ番組でもよく取り上げられるのは新座スタジオの手塚先生の部屋ですしね。でも最近(といってももう一昨年)、2006年8月に辻真先さんの特集番組BSアニメ夜話・番外編「アニメの時間よ永遠に」で虫プロの様子が放映されました。虫プロダクションを久々に訪ねる辻さん。辻さんが懐かしさのあまり涙しているのを見て、なんだか、私は虫プロに行ったことないのに私もテレビの前で涙してしたものでした。(過去記事参照)

(ちなみに手塚プロと虫プロの違いについては公式Q&Aを参照に。)
虫プロロゴ

小林準治さんと一緒ということで出発前は「もしかしたら入れるかも」と淡い期待をしていたのですが、小林さん自身も虫プロを巣立って30年以上になるので、知り合いも少なくなっているそうです。
虫プロロゴ

さすがに暗くて写真撮影にはつらかったのですが、有名な「虫」ロゴを撮影。そして、虫プロのまわりをぐるっと一周。小林さんが説明するには、1960年代当時の虫プロは現在の何倍も広かったそうです。以前虫プロの敷地だった場所には8軒の家が建っているそうです。
虫プロ

ここでおしまい、と思いきや、小林さんが車でさらに連れて行ってくださったところがここ「越後屋」。えっ!?何?そんなところ知らないよ!この肉屋さん「越後屋」の2階に1970年、最初に設立された手塚プロダクションがあったそうです。なんと手塚プロは高田馬場の前に富士見台にあったというのです。
エチゴヤ

しかもその「越後屋」のシャッターには手塚キャラたちが…!思わぬところでさらなる手塚ゆかりの地を訪問することができました。
エチゴヤ手塚プロシャッター

【説明】
1970年当ビル完成時より1876年まで当ビル2・3階を株式会社手塚プロダクションが借用され、漫画家手塚治虫氏が製作室として使用されました。左の絵は1873年頃、手塚治虫氏の展覧会に出展されたキャラクター集の一部です。手塚氏直筆のオリジナルパネルで、手塚氏より当ビルオーナーに寄贈されたものを再現しています。

エチゴヤ手塚プロシャッター(説明)

私が越後屋の前でそのシャッターを撮影しまくっていると、妙齢の女性が私に話しかけてきました。

「私はこの近くで昔、パーマ屋さんをやっていたの。たくさんの社員さんが毎朝出勤されてくるのを見てましたよ。」

ええっ!なんと当時を知る人にバッタリ出会えるとは!
「今では手塚プロは高田馬場に移っちゃったし、手塚治虫記念館は宝塚にあるから、ここ富士見台に手塚さんがおられたことは忘れられていく一方で寂しい」という旨のことをおっしゃっていました。
エチゴヤ手塚プロシャッター

エチゴヤ手塚プロシャッター

エチゴヤ手塚プロシャッター

▼この2階がかつて手塚プロがあった場所。現在はビーフギャラリー・エチゴヤというレストランになっているようです。
エチゴヤ

その日のうちに2回も偶然の嬉しい出会いをし、手塚先生ゆかりの地を堪能したのでした。4人でファミレスに入り軽食を食べながらしばし歓談。

車で送っていただき、高田馬場に到着。
高田馬場で、もう既に馴染んだアトムのメロディーを聞いて電車に乗り込みました。

「高田馬場~高田馬場~」
という車掌さんの声を聞くと
「科学省前~」と続けたくなります(笑)。

東京メトロ アトム

最後の写真は電車の中で目にしたPLUTOの広告と突如どこかの駅かで見かけて慌ててシャッターを押したアトムの広告。最後の最後まで手塚な二日間でした。ホントにいろいろご親切にしていただいた小林準治さんに感謝、感謝です。
プルートー

というわけで、ここでスローペースで続けてきた手塚な二日間のレポートはやっと完結ですが、小林準治さんが月刊『広場』にゆかりの地案内記を書いてくださいました。次回はそれを転載させていただきます。


【参照】
虫ん坊2002年9月号 ゆかりの地見て歩き 虫プロダクション


【東京・ゆかりの地めぐりバックナンバー】
手塚先生のお墓参りへ
並木ハウス
トキワ荘跡
講談社旧本館
 
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://norimi.blog45.fc2.com/tb.php/254-191a6c0a