池田文庫 旧玄関

先日久々に池田を訪れました。目的は阪急学園池田文庫の桜を撮影するため。「五月山の桜」ではなくて、「池田文庫の桜」ってところがちょっとひねくれ者の私(笑)。なんで池田文庫かというと、ここはかつて大阪府立池田師範附属小学校(現、大阪教育大学附属池田小学校)があった場所なのです。
「新・虫マップ」池田の頁を参照)
訪れてみるとやはり桜は満開。この桜は池田附属小学校時代からあったんですよ。手塚治虫先生は毎日ここを通りながら小学校に通っていたことになります。
旧池田師範附属小学校石段

その池附時代の歴史を記すものが池田文庫の裏にひっそりと残されています。
池田文庫 旧玄関

池田文庫 旧玄関について
 池田文庫・新阪急ホテル池田寮のあるこの辺一帯は、かつて旧池田師範附属小学校のあったところです。
 昭和十五年、同校移転により、(財)阪急学園が譲りうけ、池田商業専修学校を開校しましたが、戦後、学制改革などにより廃校とし、あと地には、小林一三翁の発案により、図書館池田文庫、茶室古彩庵を建設、昭和二十四年開館しました。
 物資を大切に、という翁の意向によって、すべて校舎の廃材を活用して建てました。現在でも古彩庵(古材に因んで翁が命名した)は、この上に残っております。旧池田文庫の玄関部分は、池田師範附属小学校当時の姿のままに採り入れておりましたが、昭和五十七年老朽化のため改築するに当たり、この由緒ある明治期の小学校校舎を偲ぶよすがとして、ここに復元し、永く保存することにいたしました。
昭和五十八年十月 財団法人阪急学園 池田文庫
(キャプションより)▼

池田文庫 旧玄関 キャプション

つまり、このキャプションをきっちり読み解くと、明治42年開校された池田附属小学校玄関部の姿を今ここで見ることができる、というわけなんですよ♪この年季の入った木の色!ガラス戸!すばらしいではありませんか。う~ん、朝日新聞の「勝手に世界遺産」に登録したいくらいです、これは。
池田文庫 旧玄関

こんなに素晴らしい歴史建築であるにもかかわらず、Googleで検索かけてみたらこの旧玄関について書いているページは私のサイトしか出てきませんでした♪それもそのハズ。ここって「新阪急ホテル池田寮」の敷地内なんですよ(^^;)そういうわけで、観光地でもなければ一般に公開されている場所でも無いんです。だから初めて訪れる方には非常に見つけにくい場所であります。(と同時に多数の人が今の附属池田小学校の位置に昔の学校があったと思い込んでいるでしょうね。)

旧池田師範附属小学校石段

その旧玄関からどんどん進んでいくと石段があります。この石段はかつて池田附属小学校の運動場に続く石段でした。手塚先生が駆けていた往時をしのび、私も石段をのぼりました。
旧池田師範附属小学校石段

美しい桜をフレームにいれながらシャッターをきりまくる。石段を上りきると、何やら工事をしている様子…と、すぐに池田文庫のスタッフがとんできて「すみませ~ん、そこ一般の方は立ち入り禁止です」。あははっ、やっぱり見つかっちゃった(^^ゞバツが悪くなってすぐに引き返した私だったのでした。後で電話で弟に話したら「ねーちゃん、そういう時は『あ~すみません、桜が綺麗だったもので』って言うねん」ってノウハウを教えてくれました(笑)。

▼左の立派な一本松もいうまでもなく当時からのもの。
旧池田師範附属小学校石段

ちなみにこの場所を先に見つけたのは私ではなく弟です。「虫マップ」は鉄っちゃん(鉄道ファン)な弟の知識が無ければなしえなかった本なのです。(まず昔の地図を読み解き分析する能力が必要なので。)

ところで、『モンモン山が泣いてるよ』で小学校の校庭で「ポプラ相撲」を繰り広げる話がありますよね。この話も実話です。当時、池田附属小学校の校庭の西側には本当にポプラ並木があったそうです。しかし、今それが残っているかを確かめるのはちょっと無理でしょう。一般人は立ち入り禁止区域ですから…。でも折り入って池田文庫の(知識のありそうな)スタッフに聞いてみたらわかるかもしれませんね。いつかリベンジ!

(次回へ続く)
■追記:池田文庫敷地にあった池田附属小学校の校舎は建石町にあったということで「建石校舎」といいます。

▼この石垣は当時からのもの
旧池田師範附属小学校石垣


▼石段のふもとあたりに大木の切り株があります。
旧池田師範附属小学校の大木跡


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