古彩庵

さて、池田師範附属小学校のお話はまだまだ続きます。キャプションの後半部「古彩庵」ですが、こちらは今でも現役。その「古彩庵」の説明はこうあります。

古彩庵(こさいあん)・・・昭和24年に廃校となった池田商業専修学校の跡地にその古材を利用して建設されました。逸翁自ら指揮監督をし、古材にちなんで「古彩庵」と名付けられたのがこの茶室です。茶華道等のお稽古講座の場として、また貸茶室としても親しまれています。
古彩庵

▼古材100%で作られた「古彩庵」
古彩庵

ここで、ちょっと疑問に思うのが池田商業専修学校の跡地…あれ?池田附属小学校やったんとちゃうん?と思うでしょう。私も最初これを読んで混乱したのですが、よくキャプションを読み直してください、ちゃんと書いてあります。池田商業専修学校とは、池田附属小学校が昭和14年8月に引越した後、建物をそのまま使用する形で開校された学校なのです。しかし終戦とともに閉校されその短い歴史を終えました。で、池田附属小学校がどこに移ったかというと、現在池田市民病院が建っている場所です。こちらは「城南校舎」と呼ばれていました。(城南町にあるから城南校舎。城の南とはいうまでもなく池田城のことを指します)手塚先生が5年生の2、3学期と6年生の間過ごしたのがこの場所です。手塚先生の同級生大森俊祐先生いわく、夏休みの間に皆、それぞれの机を持って30分の道のりをぞろぞろ歩いて引越し作業をしたそうです。昔の小学校の机って知っています?パタパタと板部分が開くんですよ。ドラマなんかでたま~に見るんですがこれを読んでイメージがうかぶかしら…。とにかくそういう机を児童全員が持って引越ししていったという話をしてくださいました。
池田市民病院は、往時を偲ぶようなものはほとんど残されていません。私が3年前訪れたとき、わずかに入り口の階段が当時のものでしたが、既に工事を始めていたので、今ではすっかり無くなっているでしょう。こちらにも足を運びたかったのですが…一度訪れたくせに今回現地で迷子になってしまい(汗)(虫マップ作者のくせに結構方向オンチ^^;)今回はパス。というわけで、次の目的地、逸翁美術館へ向かったのでありました。

余談になりますが、古彩庵の写真を熱心に撮っていると、池田文庫のスタッフらしき妙齢の女性が「石灯篭のパンレットが受付にありますよ」と声をかけてくださいました。ここの石灯篭も由緒正しきものらしいのですが、私は石灯篭より古彩庵のほうに興味があったので、最初遠慮していました。が、よくよく考えるとやはり資料は欲しい。それで受付まで行ったのですが、受付にいた人はよくわからなかったようで(^^;)結局引き返してその方に話すとわざわざ資料を取ってきてくださいました。それでこの人なら、と思い切って話しました。「実は私、手塚治虫先生のファンでここが池田附属小学校の跡だということで歴史を知りたいのです」と。すると池田附属小学校から池田商業専修学校に引き継がれた歴史まできっちり教えてくださいました。やはり聞いてみるもんですね。

(次回に続く)

▼池田文庫の桜も満開。こちらの桜ももちろん当時からのもの。
池田文庫

▼玄関のこの装飾がちょっと素敵。
池田文庫

▼池田文庫裏の小道。ここも池附時代からあったもの。昼休みによくここを通っていたそうです。(大森俊祐先生談)
池田文庫裏小道


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