4月15日、手塚先生の母校・北野高校でおこなわれた岩倉哲也先生の講演「手塚治虫は六陵人!?無視できない手塚治虫史のウソ」に参加して参りました。北野高校を訪れるのは昨年の岡原進さん(手塚先生の同級生)の講演以来一年ぶり。手塚関連の講演会は今年で3回目ですが、毎年きっちり開催されているのは、やはり北野高校ならではでしょう。私がこの講演会の懇親会に参加するとまず聞かれるのが「何期ですか?」これは、本当に六稜同窓会ならではのファミリー意識の高さであり、それが伝統なんだろうな~と思います。(でも私は残念ながら北野卒ではないのです^^;)
六稜トークリレー

午後2時前。受付でレジュメを受け取り中へ。席につき、客席をみわたすと、なんと緑色のベレー帽をかぶった岡原進さんの姿が…。まさか今日お会いできるとは思わなかったので嬉しかったです。
六稜アトム

レジュメと一緒に配布されたのがこのイラスト入りカード。アトムが北野の校章(六稜の星)入りの旗をかついでいます。ここがポイント。本来は「六稜」が正しいのです。ところが手塚先生はどの文献でもことごとく「六陵」と書いている!北野中学時代に結成した「六陵昆蟲研究会」も「六陵」。わざとそう書いたのか単なる間違いなのか、今でも真相は藪の中なのですが…このような「間違い」が実は手塚治虫史にはたくさん隠されている、その様々な間違いを検証しながら、もう一度手塚治虫像を見つめなおそうというのが今回の講演のテーマだったのでした。

 手塚治虫史に間違いや誤解が多い理由のひとつは、手塚先生の話にはリップサービスが多いこと。手塚先生は相手を喜ばせるために話をおもしろおかしく語ります。そのフィクションの積み重ねがいわゆる「手塚伝説」を形成している事実は否めません。 手塚治虫史に間違いや誤解が多い理由のひとつは、手塚先生の話にはリップサービスが多いこと。手塚先生は相手を喜ばせるために話をおもしろおかしく語ります。そのフィクションの積み重ねがいわゆる「手塚伝説」を形成している事実は否めません。有名なところでは「本当はいじめられっ子ではなかった」があげられます。また、その目的は不明ですが「生前年齢を2歳偽っていた」というのもあります。

もうひとつは、その作品の膨大さゆえに検証がなかなか追いつかないこと。つまり一冊の研究書の中の小さなミスが検証されないまま、定説にすらなってしまう可能性があるわけです。その例として今回取り上げられたのが『ブラック・ジャック』の開始時期について。『ブラック・ジャック』のスタートは手塚史では1973年11月号になっています。この時期はちょうど虫プロの倒産期と重なります。手塚先生はそのどん底の中から這い上がって不死鳥のごとく復活していったというのが定説。ところが実は雑誌の発行は標記の月よりひと月早いのです。だから実際に『ブラック・ジャック』が始まったのは10月19日。決してどん底の時期に始まったのが『ブラック・ジャック』ではないし、手塚先生自身が「これが最後の作品」とは思っていなかっただろうと…。ちなみに連載開始の10日前の10月9日、手塚先生は北野高校創立百周年記念講演に出席されています。

今回の講演ではいろんな「ウソ」がとび出しました。なかでも目から鱗だったのは、『鉄腕アトム』の誕生につて。アトムが誕生したのは2003年4月7日が定説となっているのですが、これがサンコミックス版の「ミーバの巻」ではなんと2013年!さらに、モノクロ版アニメでは天馬博士がアトムをサーカスに売り飛ばすにあたって切った領収書の日付が2001年。カラー版アニメでは誕生が2030年になっている…いやいや、北野にはすごいファンの方がいらっしゃるんですね。

六稜トークリレー

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岩倉先生はこうもおっしゃっていました。「私が子供の頃はいつか手塚漫画を全部読めると思っていました。ところが全部読むことがなんと難しいことか」そう!手塚漫画は本当に全部読むことが難しいのです。これはファンの皆さん、手塚漫画を読めば読むほど、手塚道をきわめればきわめるほど感じることでしょうね。そして、そのあくなき追及が今も生きき続けている手塚漫画の魅力なんだろうな、と思った講演だったのでした。

▼北野高校では手塚先生のデッサンがなんと「図書館利用の手引き」の表紙になっています。
ファンには垂涎もの♪
図書館利用の手引き


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