併設展を見学した後、岡原進さんに頼んでメモリアル・ウォールに案内していただきました。これは昭和校舎の弾痕壁を移築保存したもの。肉眼で確認する限りでも20個以上の弾痕跡が確認できました。
メモリアル・ウォール(弾痕壁)

北野中学では1945年6月15日に米軍機の襲来を受け、中学生2人が死亡する事件が起きておきています。『カノン』はこの事件をもとに描かれた作品ではないでしょうか。
メモリアル・ウォール(弾痕壁)

殉難の碑
殉難の碑

弾痕壁キャプション

弾痕壁キャプション


このメメリアル・ウォールはまさに戦争の生き証人。

手塚先生が過ごした北野中学時代は戦争とともにあり、死を身近に感じながらの学校生活だったわけです。戦争の愚かしさ、平和の大切さ、命の尊さ…当たり前の、そしてありきたりな言葉にしかなりませんが、やはりそれが手塚先生が最もマンガで伝えたかったことのように思います。初期から晩年にいたるまで、手塚先生は常に「戦争」というテーマを描き続けてこられた。おそらくそこにはとてもひと言では語りつくせない想いがあったのでしょう。

【関連ページ】
デジカメ散歩日記 大阪大空襲
昭和校舎の面影は、メモリアル・ウォール以外にもいくつか残されています。

北中記念碑
北中記念碑

正面玄関の煉瓦造りのモニュメントは昭和校舎の屋上飾り壁を移設したもの。
北中記念碑

新校舎には昭和校舎の時計盤が移設され、今も時を刻んでいます。
北野高校の時計

北野高校の時計


【参照】
昭和校舎の時計盤復活

それにしてもこの歴史ある昭和校舎の現役の姿を見られなかったことを私は後悔するばかり。でも六稜WEBでは昭和校舎の写真をスライドショーで見ることができます。
六稜WEB】→【われらが母校】→【校内の風景】→【昭和校舎編
ちょっと手塚先生が過ごした時代にタイムスリップしたような気分♪

余談ですが、メモリアル・ウォールについて検索してみたところなんと、北野高校近くの淀川新北野郵便局では、メモリアル・ウォールと六稜会館、そして淀川花火大会をデザインした風景印を押してもらえるというではありませんか!?欲しい!ぜひ欲しい!(私は手塚ファン+六稜ファン+切手ファンなので^^ゞ)

と、卒業生でもないのにあれこれ北野高校を紹介しちゃいましたが(笑)、最後にこの本のことを書いておきましょう。
『われら六稜人2001』
この本の冒頭ページに手塚治虫先生の特集ページがあります。
「北野百周年記念講演」の全内容を掲載、その上今回の併設展で展示されていた絵などの図版も多数掲載されています。裏表紙は手塚先生の少年時代の写真も!
また、この内容はWEBでもご覧になれます♪
「がちゃぼいマンガ道」

というわけで、長文にわたる六稜レポートはひとまず終了。

こんなにもあれこれ書いているもので、六稜同窓会のウェブマスター・谷卓司さんに言われちゃいましたよ~。
「のりみさんて六稜人以上に六稜ファンじゃないですか(笑)」って(^^ゞ

と…これで終わるつもりだったのでまだ書くことあった!最近mixiにハマっているのですが、mixiの社長さんは北野高校の卒業生だそうです。最近六稜WEBを見て初めて知りました。そして、その足で「北野高校」コミュニティに参加しちゃっている私(笑)。やっぱりすっかり六稜ファン(^^ゞ

【関連エントリー】
北野高校昭和校舎の記念タイル
六稜トークリレー
「手塚治虫は六陵人!?無視できない手塚治虫史のウソ」に参加して

六稜トークリレー併設展
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