トキワ荘のヒーローたち展のスタンプラリーの記事の続きがまだ書けていませんが、先にこちらを掲載します。いつものごとく、筆の早い夫の日記より転載です。




いきなり冷え込みやがって、今日みたいな日は、布団の中でモゾモゾしながらスキウィでもチビチビとやりたいな~、なんて誘惑に駆られてしまったが、嫁さんに「サッサと起きんかい」とひっぱたかれて、心をデビルにして、一路池田まで出かけた。

何しに?
熱烈な手塚ファンであり、手塚治虫先生の生誕地・豊中に「水木ロード」ならぬ「手塚ロード」を作る事に情熱を傾けている古本屋社長・木村さんの主催による、「池田・豊中手塚治虫記念碑ツアー」に参加するためである。

手塚ゆかりの地といえば、ウチの嫁さんが「虫マップ」として主に宝塚から大阪を中心に纏めているし、江戸表では黒沢さんという方が関東のゆかりの地を纏めておられる。

で、意外にも手塚先生がお生まれになった豊中界隈は、知られているようで実はまだまだ人口に膾炙されていないのだ。
因みに北杜夫と手塚先生の対談を収録した『マンボウパジャマ対談』では、手塚先生のプロフィールは「兵庫生まれ」と記載されている。明らかに“育った”宝塚と混同されているのだ。

だから木村さんは、なんとか町興しの意味も兼ねて、手塚治虫生誕地としての豊中を世に知らしめたいのだ。

今日、その趣旨に賛同して参加したのは総勢17名。
阪急池田駅改札に集合し、みんなでブラブラとNHK「西日本の旅」よろしく大阪教育大学附属池田小学校までそぞろ歩き。

池田銀行

ところが、先導を切る木村さんが道を間違えはって、池田小学校の北側にまわってしまい、慰霊碑の前へ出た。全く予定外であったが、折角だからとみんなで黙祷を捧げた。この時、あまりにも非科学的だったので浦メは敢えて言わなかったんだが、あの事件で全くもって不本意に亡くなった8人の児童たちに導かれたのか、それとも手塚先生に「これを忘れては駄目ですよ」と導かれたか、とフト思ってしまった。

附属池田小学校

あの時の子らは今、ご存命ならば15~16歳である。まさに青春謳歌や。それが、あんな屑野郎一匹のテメエ勝手な屁理屈で・・・なんとも言えない怒りが静かに湧いた。

そっから大教大附属池田小学校の正門に赴き、見事な銀杏並木の下を一路、先ほどの池田小学校の表玄関へ向かった。一番目のスポット・アトムの像だ。

池田小アトム記念碑5

池田小アトム記念碑4

池田小アトム記念碑3

瞳を閉じたアトムが、地球を抱きかかえているもの。御影石であった。碑文には、「地球とそに棲むすべての生き物を愛します。」とあった。正に手塚イズムや。

池田小アトム記念碑2

池田小アトム記念碑

みんなで記念撮影して、続いては豊中へ。

手塚記念碑ツアー旗

福祉関係施設である「豊中市すこやかプラザ」に、手塚先生が晩年に豊中市立第三中学校で講演された際に描かれた、手塚キャラのイラストを銅板レリーフに起こしたものが安置されているのだ。ニュースで知っていたが、実物を見るのは今日が初めてだ。

すこやかプラザ 手塚キャラ銅板

さて、そろそろ腹が減ってきたな。木村さんが予約されていたお寿司屋さん「魚治」でランチ。

魚治3

実はここも手塚ゆかりの地である。店内には、B・Jとサファイアの色紙が!

魚治1

魚治2

ご主人に語ってもらったところによると、今から30年ぐらい前に、手塚先生が近所の会館で講演された際に道に迷われ、ウロウロされてたのをご主人が見かけ、もしかして手塚さんかな~と思って声かけると本人で、事情を聞いたんで仕出しの軽トラに先生を乗せて会館まで連れていったとか。

あとで(お礼に)食べに行きます、という手塚先生の謝辞に「たぶんリップサービスやろなぁ」と思いつつも色紙を買って待ってると、ホンマにスタッフを連れて来てくれて、サラサラッと色紙を描いてくれた由。

浦メが特に感心したのは、ご主人がレオをリクエストされた時に、先生は「お宅は食べ物商売だから動物はマズイでしょう」とアトム、B・J、サファイアを描かれたという事だ。
こういう所に気を遣える人って、浦メもそうだが今は少なくなってるんじゃないだろうか。

でも、アトムの色紙が見当たらんぞ。
実は手塚ファンであるお知り合いが亡くなられた時に、お棺に一緒に入れてあげたんだそうな。
ファンからすれば「勿体ない~」だが、ええ話やわぁ。ご主人の、今頃は天国で、先生と色紙を見せて喋ってはりまっしゃろにはクククッと泣けたぜ。泣けたのは、寿司のワサビのためじゃないのだ。

岡町商店街

本日のラストは、木村さんのお店の2階、手塚治虫資料展だ。
以前は近くのスーパーの2階の1区間を借りてやってはったのだが、今は経営されてる古本屋の2階に移されてるのだ。

マイブックスアトム

店の中は、当たり前だが古漫画だらけ。2階に上がる階段にも古漫画が山積み状態で、なんというか、壁紙が漫画の背表紙なんだな。みんなこれに感嘆の声が。

資料展では、手塚先生が黒田知事の応援演説をされた時の写真やら、お知り合い各氏から寄贈された手塚色紙、そして6年前に浦メも関わった同級生・大森先生の講演の模様、なんかが展示されていた。
ここでもY嬢やみやおさんと手塚談義に花を咲かせた。

展示品の中に、かなり昔のものと思しきアトムの色紙があった。下部には「虫プロ」と書かれていた。額の下には「暖簾亭 寄贈」とあった。

虫プロとある以上は、そしてアトムが描かれている以上は、1963年以降のものであろう。
これは如何に?と木村さんに問うと、すぐ、これの寄贈主である「暖簾亭」に連れて行ってくれた。蕎麦処&飲み処である。

暖簾庵

店のご主人は、食事するでもなく、ただ単に色紙を見せてくれという迷惑な要望にも快く応じて下された。ありがたや。

件の色紙は、ご主人の奥様が手塚先生の妹さん・美奈子さんと学友で、その縁で正にその当時、美奈子さんに頼んで手塚先生に描いてもらったものだという。う、羨ましい。

暖簾庵1

その隣には、手塚先生が虫プロを結成された当時のスタッフがこの岡町に住んでいて、5年ほど前に描かれたヒゲオヤジの色紙が。その人の名は?と問うも、ご主人も失念されていた。残念!誰やろう。

暖簾庵2

さらにその隣には、藤本義一の色紙が。その書かれた文句は「女より仕事」
そうだ、浦メも「酒より仕事」だぞ。

暖簾庵3

こんな奥まった下町(失礼)に、こんなディープなお宝が眠っていたとわ。うぅむ、凄い。
で、さらに感動したのは、アトム色紙たちの反対側の角っこに、なにやらバタ臭い色気ある男のイラストとサインが入った色紙があるのを見つけた事。
もしや、と思ったが、やはり浦メの大好きな仲代達矢の色紙であった。

仲代達矢

なぜ、ここに?
ご主人曰く、梅田に店を出しておられた時にご本人が来店され、サラサラッと自分の似顔絵とサインを描かれたとの由。うぎゃ~、ますます羨ましいぜぇ!

岡町も奥が深いわ。こりゃ本腰入れて探せば、日本全国アチコチに手塚遺跡が眠っておるであろうのぅ。

大満足のうちに解散。始まりがあれば終わりがあるのだ。
Yちゃんと御母堂様、いかぼんさんはここで帰られた。浦メと嫁さん、みやおさん、Y嬢、K田さんの5人は、木村さんに教えてもらった喫茶店「かたすみ」にて休憩。そこでさらに手塚談義に花を咲かせたのであった。

オカマチブレンド

いや~、今日は随分歩いて、体脂肪も燃焼させ、思わぬお宝にも多数お目にかかれ、実に有意義な休日であったわい。

しかし、寒かったな。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://norimi.blog45.fc2.com/tb.php/467-d6419f54