御殿山散策記の続きです。
旧手塚邸→皇太神社→瓢箪池(下の池)→蛇神社→猫神社(千吉稲荷)。
通常ならこの5ポイントで終わりなのですが、今回はもう一箇所新たな発見がありました。

宝塚住宅案内図

宝塚住宅表示案内図の前で立ち止まり、小西さんが「ここに池があるっぽいんですよね~」
こことはどこかというと、旧手塚邸と千吉稲荷の中間の地点。

擂鉢池図解

「昆虫手帳」では「擂鉢池」と書かれていて、実は私もそれについては未確認だったのです。
未確認だった理由は、どっからどう見てもマンションの敷地内で柵を越えて行かなければ見れない様子だったので、まあ最初から確認することそのものを諦めていたのです。

でも小西さんが「前に来たとき近所の人に聞いてみたんだけど、あの先に池があるらしいよ。なんか池があるような雰囲気なの。」
未確認なのに池があるのがわかるとはどういうことだろう?と思ったのでしたが、まもなくその意味がわかったのでした。

「とりあえず、行けるとこまで行って見ましょうか?」
結局真っ先に走り出していたのは私だったり(笑)。

が、坂道を登ったものの石垣という行き止まりに。その下の溝には…なんとヒキガエルの死骸が!!!おもいっきりマンガみたいな悲鳴をあげる私。でも悲鳴をあげつつも冷静に、カエルがいるということは上に池があるということだ、なんて思ったりもしましたが、この時点で私一人だったら確実に引き返していました。

▼この下の溝にヒキガエルの死骸があった。
池を見るにはこの石垣をよじのぼらねばならなかった。
のりみの大冒険

しかし、小西さんがカエルの死骸をヒョイと跳び越えて石垣をよじ登りだすものだから、突撃リポーターのりみとしては行かざるをえない。にしても、あんな1メートル以上もある石垣をよじのぼり、藪をかきわけ、落ち葉を踏みしめ、泥だらけになりながらの冒険になると…。おしゃれ着なんて着てくるんじゃなかった(笑)!
まわりに「のりみさん、危ない、危ない」と心配されながら、カメラと荷物を持ってもらって幅30cmくらいの石垣の上をつたい歩いていると、先を行く小西さんが「あ~!なんか池があるよ!」
池へ向かう小西さん

池があると言われちゃここで引き返すわけにもいかず。
そして、冒険の果てに辿り着いたのがこの池だったのでした。
擂鉢池

完全にマンションの裏側。めったに人が入らないのか(当たり前だ)いつ倒れたのかわからないくらい古そうな流木が。3、4人が先に辿り着いて手招きしたので、結局メンバー全員が池まであがってきてしまいました。
擂鉢池


ここがかの「擂鉢池」…と私はこの時点で断定してしまったんですが…
すみません、ごめんなさい、ちょっとどうも間違いみたいです、コレ(^^;)

なぜ間違いかというとですね。帰ってから手持ちの「昆虫手帳」のコピー(注:「昆虫手帳」は復刻されていません。)と現在の地図(YAHOO!マップ、Googleマップなど)を照らし合わせて検証してみたんですが、どうも50mくらい場所に若干のずれが生じるのです。「昆虫手帳」は復刻されていませんが、御殿山の採集地を描いた図が朝日新聞社発行の『治蟲大奮発号』(手塚治虫過去と未来のイメージ展の図録)P.67に載っています。お手持ちの方はご覧下さい。

そして、少なくとも10年以上前からあったこの宝塚住宅地図にはこのように2つ池が描いてあるんですね。ただ、どうみても今現在残っているのはひとつだけのようなのです。
擂鉢池図解

で、「擂鉢池」の本名は「古宮池」。ということは我々が辿り着いた池は擂鉢池ではなくて、その北側にあった小さい池のようなんです。で、本当の擂鉢池はというと、現在の地図上からは抹消されていることを見ても、やはり市営川面住宅を建てるときに完全に埋め立てられたようです。

だからといって、この池の発見に価値がないわけじゃないですよ!少なくともこの池は半世紀前からあったわけですから…。でも名無しのゴンベイじゃこの池が可哀想だなあ(^^;)何か名前が無いものかしら?

ところろで、この検証作業のためにあれこれ調べていると、鉄っちゃん(鉄道マニア)の弟が国土交通省のページに航空写真閲覧サービスというものがあることを教えてくれました。これ、見つけるのってそれはそれはすご~く大変だったでしょう。(本当に趣味でないと見つけられない)

むちゃくちゃ重いですから、興味がない人は見なくていいです(^^;)
この検証作業に興味がある方だけご覧下さい。

CKK-79-2
撮影年度 昭和54年度
地区名 大阪
撮影縮尺 1/10000
地形図番号 NI-53-14-12
5万分の1地形図名 大阪西北部
撮影コース C2
写真番号 5
緯度 34°48′55″
経度 135°20′57″

CKK-74-8
撮影年度 昭和49年度
地区名 大阪
撮影縮尺 1/8000
地形図番号 NI-53-14-12
5万分の1地形図名 大阪西北部
撮影コース C3
写真番号 4
緯度 34°48′46″
経度 135°20′39″

このふたつの航空写真の画像をうんと拡大して解析してみたところ、我々が辿り着いた池も、その南側にある擂鉢池(古宮池)も、そして瓢箪池(下の池)も上の池もきっちり映っているんですよ~!

ちなみに航空写真には戦後すぐに米軍機が撮影したモノクロ写真てのもありましたが、解像度が粗すぎてとても御殿山周辺はほとんど判読できず。かろうじて瓢箪池が確認できる程度。これの解像度が高いやつがあればいいんやけどな~(^^;)

戦後の御殿山周辺航空写真
作業名:USA40kKK, 地区:京都及大阪, コース:M540, 番号:56
撮影機関:米軍, 撮影日:1947/10/8, 形式:白黒, 撮影高度:6,705m, 撮影縮尺:1/43,960

と、ここまで書いてふと思ったんですが、戦前は二つの池が繋がっていた…てことはありうるんじゃないでしょうか!?うん、ちょっと調査してみよう。やっぱり国土地理院に行くしかないな~(^^;)



■5月22日追記
結局気になってしまい、谷町四丁目の国土地理院まで行ってきました。

2万5千分の1地形図は一番古いもので昭和7年。そこから新しいものを順を追って見ていったところ、やはり手塚先生が過ごした昭和ひとけた~20年代は擂鉢池(古宮池)はひとつしか記されていませんでした。ところが昭和42年以降の地形図には池が二つ。以降昭和49年まで池は二つ存在し、52年以降の地図からは南側の池が埋め立てられ消滅しています。ということは、もともと大きかった擂鉢池(古宮池)は昭和31年~42年の間に途中で二つに割れて、以後片一方が埋め立てられて市営住宅が建った。我々が辿り着いたのはその擂鉢池の片鱗ではないかと思うのですがいかがでしょう。それと、二つに池が割れたときに北側に割れた池が若干北に移動した…てことはありえますかねええ(^^;)川なら蛇行して位置が変わることあるでしょうが池って場所が移動するなんてあるかしら。

ちょっと気になるのが、昭和49年昭和54年の航空写真を見比べてみるとですね。この二つの池の間の土地が54年の写真だと木が生えてるっぽいんですが、49年のは肌色っぽい=地面色なんです。つまりこの時期は木が生えていなかった。それこそが昔、ここが池だった証拠になるんじゃないかと思うんです。

ももともと二つだったとしても、最初二つの池の間は10メートルも離れていなかったでしょう。だんだんそれぞれの池が狭まって片一方が消滅したってのが正しい見方でしょうね。でもやっぱり昔は大きなひとつの池だったと思うんですよね~。だって二つ池があったなら手塚先生は二つ池を描いただろうし。ひとつしか描かなかったってことはやっぱりその時代はひとつだったのではないかと…。ただし、几帳面な性格の手塚先生にしては、「昆虫手帳」は地図としては大雑把なものです。池の形は実際と全然違います。それはたぶん目的が「昆虫」であって「地図作成」ではないからでしょう。池や道は採集記録のための目安であって、本来の目的ではないので、そこらへんは簡略化して描いたようです。

どうでもいいことですが、地図って「見る」ものじゃなくて「読む」ものだと実感。決して地図は眺めるものでも鑑賞するものでもない。つまり、地図を読んでいるとき働いているのは左脳のほうですよね。私は決して理系ではないし、数学や化学なんて最も苦手な教科だったんですが、こういうことにだけ左脳が活発に働くようです(笑)。



かくして我々の冒険はここで終了。当初私は「御殿山めぐりは30分ですみますよ~」なんて言っていたのに、なんと2時間もかけて(!)宝塚駅まで戻ってきました。花の道セルカで昼ごはんを食べて、午後2時半すぎに手塚治虫記念館へ。

(次回へ続く)

【関連エントリー】
手塚治虫メーリングリストのオフ会【その1】
手塚治虫メーリングリストのオフ会【その2】
手塚治虫メーリングリストのオフ会【その3】
手塚治虫メーリングリストのオフ会【その4】
手塚治虫メーリングリストのオフ会【その6】
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