大バンの高岡さんに声をかけていただき、2月20日(土)、「大阪市担い手育成講座」第2回で北船場近代建築のガイドを務めました。2グループに分かれて、私と高岡さんが北船場を案内し、その後、芝川ビルで高岡さんからの話題提供、各班に分かれて船場の近代建築を活用して何ができるかをディスカッションする、というワークショップが行われました。この講座で高岡さんがお話しされたのが「大オオサカまち基盤」の活動についてでした。

私が「大オオサカまち基盤」に出会ったのは2006年に行われた「船場建築祭」でした。シンポジウムの後行われた大バンによる「船場建築ぶらりツアー」に参加し、以後、大バンの毎月の定例会に出席するようになりました。2005年の旧阪急梅田駅コンコースの解体をきっかけに急速に近代建築に目覚め、その一年後に出会った大オオサカまち基盤のメンバーにものすごくシンパシーを感じ、いつのまにか自分も大バンのメンバーを名乗るようになっていました。それは、単に「消えゆく近代建築に異議申し立て」という大バンのキャッチコピーだけでなく、何よりも「近代建築を楽しむこと」をモットーにし、次々にイベントをしたりまち歩きを展開するその機動力に惹かれたのだと思います。明確な組織ではない緩やかな繋がりである大バンですが、私にとって近代建築の世界に惹きこまれたムーブメントがまさに大バンであり、大バンとの出会いなくしては今の私はないと思っています。だから、今回の高岡さんの話は共感することばかりで、本当に感動して随所で「そうそう、そうなんだよ!」と何度も頷きながら最後まで聞かせていただきました。

今、現在、「大オオサカまち基盤」は組織としての活動は休止している状態です。直接的なきっかけは、大バンのコアメンバーがビルマニアカフェ(BMC)の活動へ移行し、その興味の対象や活動の舞台が近代建築から戦後建築に移って、そこで新たなグループを結成したことでした。しかし、それで大バンのメンバー間の近代建築をめぐるやりとりが途絶えたわけではもちろんなく、何かきっかけさえあれば顔を合わせる機会は多々あります。
高岡さんが話されたように、大バンメンバー個人がそれぞれの興味に向かって、発展的に活動している結果、今、このグループとしての活動としては停まっている状況です。大バンが「発展的解消」(いい言葉ですね!)しながらも、そのスピリットを私自身近代建築のガイドをする中で受け継いでいるつもりでおります。そんな大オオサカまち基盤のスピリットを今一度記しておこうと思い、この記事を書きます。

下記は高岡伸一さんの講演です。



大オオサカまち基盤(O-ban)Since 2004
市民による近代建築の楽しみ方


話題提供:高岡伸一氏


大オオサカまち基盤の活動

皆様お疲れ様でした。まち歩きが終わったところですが、これから30分お時間をいただいて、私や田浦さんが参加している「大オオサカまち基盤」の活動についてご紹介したいと思います。

大オオサカまち基盤

「大オオサカまち基盤」というグループがあります。我々は略して「大バン(オオバン)」と呼んでいます。グループが結成されたのは2004年です。今日見て来ていただいたように、船場地区には近代建築が多く残っています。しかし、随分無くなってしまいました。船場に三井住友銀行船場支店という銀行建築がありましたが、ある日突然解体が始まりました。私は設計を仕事にしておりますし、グループの中にも建築関係の人間が何人もいるんですが、我々専門家でも全く知らないまま、こういう近代建築がパタパタ無くなっていく。これはまずいだろうと思い立った人が仲間たちに声をかけて、「自分たちで何かできへんやろうか」というところからスタートしたのがこの集りです。

旧三井住友銀行船場支店の解体

→ 大オオサカまち基盤 大大阪の近代建築の再活用から街づくりを

「大オオサカまち基盤」は、2004年に結成された市民グループです。法人でもないしNPOでもありません。市民グループという言い方もちょっと違う気がします。大人のサークルのような集まりだと思っていただいたほうがいいかもしれません。

大大阪時代、1920年代、30年代は、大阪が都市として栄えた時代でした。東京よりも人口が多くなった時があり、産業、経済、文化ともに日本をリードする都市だった時代があります。その当時の大阪の人たちが誇りをもって「大大阪」と呼んでいたんですが、その大大阪の時代の遺産を活用して今のまちの基盤にしていこうよ、とつけた名前が「大オオサカまち基盤」です。ちょっと大層な名前ですが、「大バン」という名前がいいよね、というのが先にあり、これを使うために後追いでつけたところもあります。

先ほど申し上げたように、次々に解体される近代建築を目の当たりにし、何かできないかと危機感をもった人たちが集まったんですが、集まったのは建築関係の人間ばかりではありません。半数以上は建築とは関係のない人たちでした。30代の人たちが中心で、10~15人で活動をしていました。建築、ライター、編集者、映像作家、パティシエ、一般の事務職員や学生もいました。いろんな人たちが集まってきました。もうひとつ特徴的なのは、明確な組織ではなかったことです。どこまでがグループというのは全然なく、やりたい時にやりたい人が入ってくる、出たければ出ればいい。非常にゆるやかな集まりだったのが結果として良かったと思います。設立した当初は月1回くらい週末に集まり、何ができるかなということを話していました。どういうことを目指したかというと、社会的な責任感はあまり考えておらず、自分たちが興味をもっている近代建築を楽しむことがモットーで、自分たちが面白いと思うことをやる。もちろんそれぞれ仕事を持っている人が中心でしたから、週末のオフタイムを使って自分たちができることやっています。いろんなイベントをやってきたんですね。今日は特にその中でも大きな二つのイベントをご紹介したいと思います。


大大阪サロン2005in印度ビル

印度ビル1

印度ビルは、北浜の小西家住宅よりもう少し東側にあった近代建築です。あったというのは、残念ながら今は無くなって更地になってしまいました。我々最初の頃は皆、近代建築に詳しくなかったんですね。気になる、好きやけどようわからへん、というのがスタートで、最初の頃は皆で街中を歩いていたんですね。近代建築を見てみて、これはどういう建物でどういうところがいいよね、と言いながら歩くことをしていました。そんなことをしているうちに、本にも載っていない近代建築を見つけたんです。それが「印度ビル」という建物でした。

印度ビル2

見つけた時はほぼ廃屋でした。1階に喫茶店が入っていましたが、2階、3階は全く使われている形跡がない、そういう近代建築を見つけたんです。中はこんなことになっていました。ホンマは入ったらダメなんですが、入れたので入っちゃったら、中はこんな荒れ方でした。ホームレスの人が一時期住みついていた生活の跡が残っていたり、屋上の小屋もボロボロで雑草も生え放題だし、部屋のペンキもボロボロ。これはどういうことかというと、ある不動産屋さんが持っていたんですが、建物を使おうという気は全くなくて、ひと区画まるまる買収できたら大きな敷地にして再開発しようと、そういう不動産の価値としてだけ持っていたんです。だから建物はどう荒れていようと全然構わない。ほったらかしだったんですね。で、使ってないんやったら「僕らここで何かできるんとちゃうか」と思ったのが最初です。印度ビルを所有している不動産屋さんを見つけ出して、お願いに行ったところ「使ってないので別にかまへんよ」と割と簡単にOKが取れたので、二日間だけ借りたんです。

印度ビル大掃除イベント

それで、ここで何かイベントをしようとしたんですが、こんな状態なので、掃除しないとどうしようもないということで掃除をしました。掃除なんて誰もやりたくないですよね。でも、それを避けては何もできない。メンバーだけでは人が足りないので、大掃除イベントにしたんです。「近代建築を掃除できるなんてめったにないよ」という声のかけ方をしたら、割とたくさんの人が集まってくれました。30人くらい集まってくれて、みんな素人の集まりですから、できる範囲は限られているんですが、学校の大掃除のような感じでやったら、割と綺麗になったんです。

大大阪サロンin印度ビル

2005年3月に二日間イベントをやり、その中で簡単なシンポジウムをやりました。橋爪紳也さん、アート&クラフトの中谷ノボルさん、大阪歴史博物館の酒井一光さん、古い建物の活用を考えている人たちに来てもらって、こういう大阪の古い建物をどう使っていったらいいのかというシンポジウムをやってもらいました。また、屋上の小屋を綺麗にしました。不動産屋さんは壊すだけの建物なので、何をやってくれてもかまへんよ、ということだったので、勝手にペンキを塗って白くしました。メンバーにパティシエがいるので、お菓子を持ってきてもらって屋上カフェをしました。それから、なぜか散髪屋さんが現れて、「俺、屋上で散髪やりたいわ」と言いだしたので、屋上散髪屋さんをやったりしました。

印度ビルの昔の写真

あと、非常に嬉しかったのは、たまたま我々の試みを新聞社の人が見つけてくれて、取材をしてくれて記事になったんです。その記事をこの建物を建てた人のお孫さんが偶然見てくれて、コンタクトを取ってきてくれたんです。この写真の着物を着てらっしゃる方がお孫さんなんですが、その方がイベントにも来て下さいました。その出会いがすごく面白くて、昔の写真を見せて下さいました。この写真が建った当時の印度ビルの姿です。その当時は「印度ビル」という名前でなくて、「新良貴商店」という薬を扱うお店だったということがわかったんです。この写真の軍服を着ている人がコンタクトを取ってきてくれた方のお祖父さんです。戦前は薬屋さんだったんですが、戦後、インド人の手に渡って、「印度ビルと名前が変わりました。印度ビルに名前が変わってインド人がここで商売していた頃に、住み込みで働いていた夫婦のお孫さんという人が現れたんです。その人も新聞をみてコンタクトを取って来てくれたんですが、その人もやはりお祖母ちゃんから写真を預かっていて、それを見せてもらいました。インド人の人と日本人が一緒に働いている写真、それからこれは印度ビルの屋上です。バックに映っているのは三越百貨店です。今は無くなってしまい、タワーマンションが建っていますが、三越百貨店をバックにカップルが写っている写真があったりしました。このように印度ビルをめぐる歴史が、我々がイベントを打つことによって掘り返されてきたんですね。手前味噌ですが、これをやらなければ、こういう写真は外に絶対出てこなかったと思います。近代建築は建ってから80年、90年経っていますから、建物をめぐる歴史や記憶はたくさんあるわけです。建物は無くなってしまうとそういう歴史が表に出て来なくなってしまいます。そういうことを我々はこのイベントで知りました。

印度ビル本

で、せっかくやったので、編集の人間もいるので、最終的には冊子を作って売ったりしました。

→ 大オオサカまち基盤 大大阪サロン2005in印度ビル


大大阪サロン2005in芝川ビル

大大坂サロンin芝川ビル

これに勢いづいて2005年にもうひとつ大きなイベントをやりました。印度ビルのイベントの時に芝川ビルのオーナーさんがシンポジウムを聴きに来てくれていたんです。そこで出会いがあって、ここを使ってくれてもいいよと言ってもらい、「じゃあやります」とやったのがこのイベントです。ちょうど皆さんがいらっしゃる部屋でやったんですが、「近代建築オーナーサミット」というイベントをやりました。芝川ビル、伏見ビル、生駒ビル、北浜レトロ、児玉ビルこの5つの近代建築のオーナーさんに並んでいただいて、オーナーさんの話を聞こうというイベントをやりました。近代建築について、えらい建築家の先生や、学校の先生が建築の歴史的な価値や建物の魅力について語るセミナーは割とやっているんですが、オーナーさんの話を聞くのはなかなか無いよねというところから出てきたイベントです。こういう建物が残っているのは何よりもオーナーさんが維持しているからだろう、それぞれ苦労や思いもあるだろうがなかなか表に出てこない、それを聞こうというイベントをやり、この会場がいっぱいになりました。新聞の一面を飾りました。「ビル、レトロ、五棟を語ろう」という駄洒落がついていますが、新聞に載ったこともあって、本当にたくさんの方が来てくれました。近代建築のオーナーさんは船場という狭いエリアに集まっているんですが、それまで横のつながりがほとんどなかったんですね。それぞれが、それぞれに苦労しながら、建物を守って来たんですが、これがきっかけに横の繋がりができて、それ以降は苦労話を話し合ったり、情報交換をしたり、街歩きなどでも横の連携をとって協力的に参加してくれたり、といった繋がりができました。

→ 大オオサカまち基盤 大大阪サロン2005in芝川ビル

ここにも歴史があるんですね。ここはもともと花嫁学校でした。その当時の写真もたくさん残っていて、このイベントの時も歴史を展示しました。これは当時の写真ですが、ミシンやお花を習っていたり、今、地下のベトナム料理店になっているところが、調理実習室でした。戦前に和風だけでなく洋風の料理が習うことができたのは非常に珍しかったそうで、関西圏のお嬢さんたちがここに料理を習ってきていたという写真です。


大バングッズ

大バングッズ

我々も半分面白がってやっているので、いろんなグッズを作って売ったりしていました。例えば、我々が勉強したことを、知らせようと簡単なフリーペーパーを作ったり(O-ban Perss)、なぜかイベントには付き物の手ぬぐい。今、簡単に作れるということもあって近代建築をモチーフにした手ぬぐいを作ったり、大大阪時代は絵はがきが非常にたくさん作られたんですね。大阪名所を紹介する絵はがき、これに近代建築がたくさん出てくるので、それを復刻して販売しました。それから近代建築のペーパークラフト。あと、大オオサカまち基盤のマークの焼印を押したお饅頭を鶴屋八幡に作ってもらってサミットに来てもらったお客さんに1個ずつ配りました。ここまでくると悪乗りなんですが、基本的には楽しむというのがベースなので、思い付きであろうが、余計であろうが、やりたいと思ったらやる、そのあたりが長く続いた秘訣かなと思います。


大正クルーズ

この時にあわせて大正クルーズというのをやりました。芝川ビルを所有している千島土地株式会社は、かつて大正区の土地開発で財をなしました。最初は唐物貿易で儲けたのですが、その後不動産に転じて、大正区のかなり広い範囲をここが開発しています。このエリアに非常にたくさん土地を持っています。そういうことも、ここのオーナーさんと出会って初めて知ったのですが、それじゃあ大正区をまわってみようということで、船を借りきってクルーズをしました。大正区は地図を見ていただければ解るとおり島なんです。川に囲まれているからぐるっと一周できるんでまわってみました。

→ 大オオサカまち基盤 大正クルーズ


印度ビルマニア

印度ビルマニア

それから、この時はまだ印度ビルが残っていたので、もう一度貸してもらい、芝川ビルと印度ビルと二か所同時開催で行ったのが「印度ビルマニア」というイベントです。近代建築まるまる一棟フリーマーケットにしたようなイベントです。メンバーの知り合いに声をかけ、二日間フリーマーケットをやるからお店出さへん?ということで、いろんな人に集まってもらって、服や雑貨を売ったりカフェをやったりしました。

→ 大オオサカまち基盤 印度ビルマニア

大オオサカまち基盤の現在

大オオサカまち基盤の現在

今日ご紹介した二つが一番大きなイベントだったんですが、それ以外でも小さめのイベントはこれまでいくつもやってきました。2004年から始まり、もう6年経つんですが、現在は活動としてはほぼ休止状態です。ただ、「ああ面白かったな」で終わったわけではなく、いろんな形で波及をしています。ひとつはこの芝川ビルが顕著なんですが、僕たちがイベントをやった時、この屋上テラスはなかったんです。もともとテラスがあった上に鉄骨でプレハブを建てて、部屋の中にしてしまってテナントさんに貸していたんです。テナントビルなので、少しでも床面積を増やして儲けないといけませんから、建て増しして小屋の中も貸していました。でも、僕たちがイベントをやったことがひとつのきっかけになって、オーナーさんの気持ちが変わって、オリジナルに戻そうという決断をされ、現在このような形になりました。これは我々、大オオサカまち基盤の活動がひとつのきっかけになった、とオーナーさんが言って下さっています。

それから去年の冬、御堂筋のライトアップの関連イベントで周辺の近代建築のライトアップがありました。その時参加された近代建築のオーナーさんというのは、オーナーサミットに出席して下さったメンバーが中心です。この時の横の繋がりが今に繋がって一緒にやる形になっています。

また、こういう活動がきっかけになって、大阪の近代建築のガイドブックを出したり(『大大阪モダン建築』)、田浦さんも参加している「OSAKA旅めがね」で、一番人気の高い北船場のまちあるきツアーのガイドに、大バンのメンバーが何人か参加していたりします。

▼大バンメンバーが出版に関わった本



それから、私は建築の設計を仕事にしているので、こういう活動の繋がりで生駒ビルの内装設計を少し手掛けたりしました。その際もこれまでの蓄積があるので、中を綺麗にするだけでなく「ビルにあったデザインならこういう形ですよね」という話をしながら話しを進めました。このようにいろんな波及効果が現在にも続いています。

これが先ほどお話した近代建築ライトアップです。芝川ビル、生駒ビル、青山ビル、伏見ビル、北浜レトロ。北浜レトロの前にねぶた祭りのねぶたをもってきてライトアップを行いました。

芝川ビルライトアップ11

生駒ビルライトアップ19

北浜レトロライトアップ6

それから私は大阪市立大学で講師をやっているんですが、船場の近代建築でいろんな試みをしています。綿業会館の最上階でアジア音楽のライブをしたり、町家を借りて現代作家の個展をしたり、伏見ビルの中で現代作家にインスタレーションをやってもらったり、芝川ビルの階段や廊下をステージに見立てて、そこでアーティストにパフォーマンスをしてもらう、というイベントをやったり、写真家の本城直季さんに来てもらって、大阪の近代建築を撮ってもらったりしました。この一連の動きが「大坂アートカレードスコープ」という現代アートのイベントの展示に繋がったりしました。

大阪府庁本館


大オオサカまち基盤とは?

ということで、大オオサカまち基盤というひとつの市民グループの動きが、後々いろんな波及効果を生んで、今の船場の近代建築をめぐる関心の高まりに、ある一定以上の影響を与えているわけです。今、振り返ってみると「大オオサカまち基盤」は何だったのか。30代の大坂市内に住んでいる人が中心だったんですが、そんな人たちとよく言うのは、「都市の遊びって何か物を買うしかないのか」ということがあったんです。お店に行って買ったり、レストランで美味しいご飯を食べたり、そういうのももちろん楽しいんだけど、消費するだけが都市の遊びじゃないだろうというのがあったんです。その中で見つけたのが近代建築です。近代建築を使って僕たちなりの新しい遊びが何か見つけられるんじゃないかというのが、たぶんモチベーションとしてあったのだろうと思います。

さらに、これは偶然なんですが、集まった人間が、建築をはじめ、ライターや編集、映像関係、パティシエなど、何らかのスキルを持った人が偶然集まっていたので、何でも大抵のことはやれる素地があったんです。年齢的にも30代ですから、ある程度のことは解っているし、動かせる。だから時間さえ作ればなんとでもなる。もうひとつは、がんじがらめになった組織でなく、やりたい人がやりたい時に来て、やりたいようにやる。で、やりたくない人は別に参加しなくてもいいし、それに引け目を感じる必要は全くない、という非常にルーズな集まりだったので、今動いてないというところはあるんですが、しかしそういう繋がりが非常によかったと思います。それぞれ仕事をもっているので、やれる時もあるし、やれない時もある。それぞれが補い合いながら、結果的に何かが生まれていく、そういう関係性がとても良かったのではないかと思います。そういうことで、各自興味の赴くままにやってきたので、今は「大オオサカまち基盤」という組織ではなく、個人、個人がそれぞれの興味に向かって発展的に活動している結果、今、このグループとしての活動としては停まっている状況です。ですから発展的解消という形になって、それはそれで良かったのではないかと思います。その結果のひとつとして、私はこうして皆さんの前でお話していますし、田浦さんも今、こういう形でガイドをしています。ですから非常に大きな意義があったのではないかと思います。

これを実例として、皆さんなりに議論を深めていただければと思います。
どうもありがとうございました。
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