3月16日、大阪市立科学館で、電気科学館開館75周年記念特別企画 スペシャルナイト「"わが町"の天象儀(プラネタリウム)」が開催されました。かつて電気科学館で活躍し、大阪市登録有形文化財として展示保存されているカール・ツァイスⅡ型プラネタリウムに灯をともし、一夜かぎりの復活に挑むというもの。

ツァイスⅡ型プラネタリウム

コンピューター制御で銀河まで再現できる今のプラネタリウムとは違い、穴の開いたレンズのフィルターに光を通して光の点で星だけを現す仕組みになっています。学芸員の嘉数次人さんによる解説で星空が科学館の天井に映し出されると、まわりからは歓声が。今のプラネタリウムとは全然違うものの、ロマンティックなぼんやりした光のシャワーに酔いしれました。

天象館案内(表)

天象館案内(裏)

電気科学館の天象館案内
(昭和15年頃の見学者配布用リーフレット)

事前に発売されたチケットは完売。科学館ロビーでは一日限りの特別販売で、ツァイスⅡ型プラネタリウムのデザインがあしらわれた科学館オリジナルのネクタイピンが販売されていました。

わが町の天象儀チケット

ネクタイピン


このイベントにあわせて、長年プラネタリウムに携わられた大阪市立科学館館長・加藤賢一さんの講演と、ラストシーンに電気科学館のプラネタリウムが登場する川島雄三監督の「わが町」の特別上映が行われました。

電気科学館パネル

手塚治虫講演パネル

1937年、四ツ橋に大阪市立電気科学館が開館。その目玉となったのが日本初のカール・ツァイスⅡ型プラネタリウムです。少年時代、電気科学館に何度も通い詰めた手塚先生は、のちに同機を『漫画天文学』の中で描いています。また、プラネラリウムを真似て石鹸箱に穴を開けた自家製プラネタリウムを作り、自宅の押入れで友人達に披露したというエピソードも残っています。

手塚先生は、電気科学館の会報誌「月刊うちゅう」にこれらのエピソードを綴ったエッセイ『懐かしのプラネタリウム』を発表。そして1987年4月4日、電気科学館50周年を機に講演を行いました。これらは、その際に描かれたサインです。加藤さんの傍らで手塚先生は数十秒でアトムをサラサラと描かれたそうです。

アトム、ヒゲオヤジサイン 科学館所有

漫画天文学1

その2年後の1989年5月に電気科学館は閉館し、その事業は中之島の大阪市立科学館に引き継がれました。手塚先生が亡くなられたのは同年2月9日。電気科学館の歴史はまさに手塚先生の人生とともにあったように思います。
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