3京都国際マンガミュージアムイベント2
このたび、和泉書院より『親友が語る手塚治虫の少年時代』を上梓いたしました。本書は、2003年~2007年に開催した、手塚先生の弟妹さんや同級生の方たちの講演録です。手塚プロの小林準治さんにもコラムを寄稿いただき、元アシスタントの伴俊男さんのインタビューを加えて構成した本です。手塚先生の同級生の方たちも米寿を超え、本当にギリギリのタイミング。20年前に「虫マップ」を初めて発表した頃から、一緒に研究活動を行っている私の弟の高坂史章と共編著での出版です。

1京都国際マンガミュージアム外観

その拙著の刊行記念イベント「思い出のなかの手塚少年をたずねて ―『親友が語る手塚治虫の少年時代』著者トークショー」を、6月11日(日曜日)、京都国際マンガミュージアムで開催していただきました。昨年4月に手塚プロの森晴路さんが急逝したことがきっかけで出版を決意したこと、同級生の方たちへの取材の裏話、手塚治虫の自伝漫画『紙の砦』の舞台となった大阪石綿のことなどを語り、濃密な2時間となりました。

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▲京都国際マンガミュージアム・雑賀忠宏さんが司会進行。

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本書の中で特筆すべきは、ヒョウタンツギ、スパイダー、ママー、ブクツギキュなど、手塚漫画に登場する怪生物が、手塚兄弟の遊びの中から生まれたことです。「ヒョウタンツギ」と「ブクツギキュ」は、妹の美奈子さんが発端となったことは有名ですが、『七色いんこ』に登場する「ママー」は、咳止め薬の缶を、自宅の箪笥の中から弟の浩さんが見つけたことがきっかけとのこと。咳止め薬「ママー」は当時の大木合名会社(現・大木製薬)が製造しており、その商標の梟の形にヒントを得て漫画に描き始めました。ここにひとつ目や手足をつけたのはもちろん手塚治虫のアイデア。その戦前のブリキ缶の空容器を入手したので、本イベントで披露いたしました。

6ママー缶
▲手塚キャラ「ママー」のモデルとなった咳止め薬「ママー」のブリキ缶。

前半で池田附属小学校時代について語り、後半は、北野中学時代のエピソードについて語りました。林久男さんと結成した六稜昆虫研究会での活動のこと。戦争の影響によって憧れの学生服と白ゲートルから国民服とスパッツに変わっていったことなど、北野の制服変遷についても語りました。

8北野の制服の変遷1
9北野の制服の変遷2

本書・第3章講演の、北野中学時代の同級生・岡原進さんもお越しくださいました。岡原さんは、手塚治虫とクラスは違うものの美術班で一緒で、恩師・岡島吉郎先生についてのエピソードを語られました。戦後は優しい先生と言われたけれど、在学当時は厳しい先生だったこと。1981年に出版された『画業五十年記念 岡島吉郎画集』も見せてくださいました。奥付を見るとその画集の編纂委員会の中に手塚治虫も名を連ねていました。

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12北野中学在学当時の美術部の日誌から
▲北野中学在学当時の美術班の日誌から。
「昭和十六年入班者名」の中に、「手塚」「岡原」の名前がある。

13岡島吉郎先生

岡原進さんは、1966年に大阪市教育委員会の雑誌『教育大阪』の取材で、虫プロダクションを訪問されています。拙著『親友が語る手塚治虫の少年時代』の表紙は、岡原さんがその時に撮影した若き手塚先生が原稿を描いている写真です。『教育大阪』の取材で手塚先生は、岡原さんにこう語ったそうです。
「僕は耕されていない荒れ地を歩くのが好きなんだ」
動かない漫画をなんとか動かしたい、アニメーションに挑戦したい、という手塚先生の思いを、その時、岡原さんはひしひしと感じたそうです。

14「教育大阪」1966年9月号「わが家の教育アルバム」
▲『教育大阪』1966年9月号より、岡原進さんが取材・執筆した「わが家の教育アルバム」。当時の手塚家の応接間で撮影された親子の写真が掲載されている。

15親友が語る手塚治虫の少年時代 書影(帯アリ)
『親友が語る手塚治虫の少年時代』書影。
岡原進さんが1966年に虫プロダクションを訪問した際に撮影した手塚治虫の写真と、岡原さんのインタビューに応じた手塚のコメント「僕は耕されていない荒れ地を歩くのが好きなんだ」を帯のコピーに使用した。

第4章は、手塚治虫の自伝漫画『紙の砦』についての検証。北野中学同級生・金津博直さんが、大阪石綿への通年動員のことを語った講演会を軸に、『紙の砦』のエピソードはどこまでが実話でどこからフィクションなのか。大阪石綿工業大阪工場は、中津のどこにあったのか。建物の配置図面から手塚の逸話の場所を特定するといった研究成果を発表しました。

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▲2007年4月14日に金津博直さんが登壇した六稜トークリレーのポスター。大阪石綿での通年動員中に、手塚治虫が金津さんに贈った肖像画がデザインされている。

17金津題字三種
▲拙著のために金津さんが書いて下さった題字三種類。金津さんは賞状書士の資格を持っている。

18北野中学4年1組集合写真
▲北野中学4年1組の集合写真。担任の太田秀雄先生の隣にいるのが手塚治虫。最上段右から5番目が金津博直。クラスの4分の3は大阪石綿工場への勤労動員となった。

19大阪石綿工業の尾坂工場の建物図面説明
▲大阪石綿工業大阪工場の建物図面に、手塚の逸話を加えたもの。『紙の砦』に描かれた、便所に漫画を貼り出したエピソードは実話である。

20大阪石綿工業大阪工場の場所を示す地図1
▲『昭和前期日本商工地図集成 第2期』(刊行1987・柏書房)より。昭和3(1928) 年から昭和11(1936)年にかけて作成された大縮尺地図。中津浜通三丁目に「大阪石綿工業会社大阪工場」の記載がある。

21「浅野スレート(株)大阪工場」を示す地図1
▲大阪市精密住宅地図 吉田地図1970 大淀区
「浅野スレート(株)大阪工場」として操業していた時期のもの。

22谷さん、岡原さんと記念撮影
▲講演終了後、田浦紀子、高坂史章、谷卓司さん、岡原進さんとで記念撮影。

本書は、我々姉弟が二人三脚で作ったというよりも、各々の得意分野を合わせた作品といえます。今回、パートナーを組んだデザイナーで六稜同窓会委員長の谷卓司さんも撮影係を兼ねて来てくださいました。谷さんは、六稜トークリレーの講演DVDの貸し出し、本書の装幀・デザインにとどまらず、池田附属小学校の同級生・石原実さんへの取材、六稜同窓会への働きかけ等、仕事以上の仕事をして下さいました。本書を出版するにあたって、版元探しをしていた折、和泉書院を紹介して下さったのも谷さんでした。

「後世に残る記録」を作るという目的を果たすための手段として、書籍の出版を選びました。本書が「手塚治虫の少年時代」を知るための一次資料となることを、願ってやみません。
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