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新井滋さんの瓢箪


今日10月16日は、手塚ファンの友人・新井滋さんの命日だ。埼玉県日高市の手塚ファンで、私との交流は「新・虫マップ2003」の頃から始まった。「手塚ファンマガジン」の常連投稿者でmixiでは「如月堂」のペンネームを名乗っていた。「将来の夢は古本屋」でその屋号が「如月堂」だというのだ。「ブラック・ジャック」の永遠の恋人・如月恵も関係があるのだろうか。
その新井滋さんと初めて会ったのは2006年の復活第1回の手塚治虫ファン大会だったのか、もう少し前からだったのか記憶は定かではない。とにかく私にラブラブなおじさんで、手紙やメールにも「紀子さん」と書いきて、私のファンを公言していた。少し近すぎる距離感に私は多少じゃけんにしつつ、年に数回ある手塚ファンの懇親会では毎回必ず会い、それより少し前に一緒に手塚ショップをめぐったりもしていた。

一度だけ、池袋でデートした思い出がある。当時、近代建築ファンになりつつある私がフランク・ロイド・ライトの名建築「自由学園明日館を見たい」と言ったのに付き合ってくれた。2008年4月のことだからもうかれこれ10年近く前になる。

自由学園明日館(全景1)

自由学園明日館(ドア)

自由学園明日館(窓1)

自由学園明日館(お茶)

自由学園明日館(食堂1)

自由学園明日館(ドア2)

2010年9月25日の手塚ファン懇親会。それが新井滋さんと会った最後だった。大腸癌でその後一年あまりで亡くなってしまったのだった。

10/9/25 11:53 お返事遅れてごめんなさい。トキワ荘通りで立ち話をしていました。冊子15部ゲットしました。お腹がすいたので松葉で軽~く食べておきますね。あしからず。てはまた。
10/9/25 23:51 きょうは一日ありがとう。地元の駅に着きました。いっぱい話せてうれしかったけど、ほんとはもっと話したかった。明日もどうぞ良い日でありますように。旦那様にもどうぞよろしく。お気をつけて。おやすみなさい。
10/10/21 10:18 いつもお世話になります。19日検査で通院したら即日入院となりました。大腸の腫瘍とか。しばらくご無沙汰します。「如月堂旅行中MIXIご容赦」とでもつぶやいておいてください。どうぞご心配なきよう。ファン大会で会いましょう。
10/11/24 6:38 心温まるお便りありがとうございます。いまはオペ前の検査以外は読書とうたた寝の毎日です。骨休めの時間ですかね、どうぞご心配なく。手近にPCがないのが淋しいですね。ファン大会は何としても参加したいのでドクター&ナースのいうことをしっかり守ろうと思います。それではご夫妻もお体たいせつにね(とくにダンナ!)。ではまた。
10/11/24 20:58 メイルありがとう。やはり大阪のオバチャンの買物には、凄いものがあるんやろね。おっと失言。 初めての入院は、初めてのことばかりなので、今は辛抱できるけど、そのうち飽きるだろうな。大塚英志「映画式まんが家入門」(アスキー新書)という本が面白かったです。とんだところで手塚漫画の勉強ができました。あとの楽しみは、日に一度の妻の訪問かな。苦労をかけるなあと、反省することしきりです。夫婦仲良くね! ではでは。
10/11/27 13:12 お元気ですか。私は元気です(そうでもないか)。きょう、ようやく手術の日程が決まりました。29日(月)午後、病名は大腸ガンだそうです。幸い転移はしていないようで、切れば直るとのこと。ブラック・ジャック先生に身を任せるほかありませんね。取り急ぎご報告まで。ご心配なく。おいら、頑張るぜ。ではでは。
10/11/29 6:33 おはようございます。ゆうべは催眠剤でうつらうつらしていたので、お返事遅れてごめんなさい。温かい励ましのお便りをありがとね。いよいよ本日午後と相なりました。おいら、頑張るぜ。って、こればっかり。川口でイベントとは珍しいですね。野口文雄さんがらみでしょうか? なんとか体調を整えて参加したいものです。ではでは。
10/12/7 12:16 心配ばかりおかけして申し訳ないのですが、実は産後の肥立ち、じゃなくて、術後の経過が芳しくなくて予定が未定の状態です。せっかくのお楽しみに水を差すようで相すみませんが、年内の上京は叶わないかもしれません。皆様方にどうぞよろしくね。のりみさんのメイルは百人力です。ではでは。


それきりメールは途絶えた。何度も何度もメールしたが、それきり返信は無かった。

2011年10月16日の事を私は一生忘れないだろう。心配で不安でたまらない気持ちで2011年を過ごし、唐突に鳴った携帯の着信画面を見て私は瞬時にその意味を理解した。
「新井滋の家内です。今朝、主人が亡くなりました。病院でもずっと「手塚ファンマガジン」を読んでいて田浦紀子さんのことを話していました。自分が集めた手塚コレクションは田浦紀子さんに、それが主人の遺言でした。」
どっとその場に泣き崩れた。「ずっと、心配していたんです。でも、ご連絡できずにおりました。」
だが、私は埼玉県日高市までにはとても遺品整理にすら行けなかった。あまりにも私に対する愛情の深さに悲しすぎてその死すら受け入れられなかったのだ。
そうして三年が経った。ようやく心の整理がついた2014年の10月にご遺族に手紙を書いて、手塚先生の誕生日の11月にお墓参りに行った。
奥様は10歳も年下の美人で、高齢の両親と同居。埼玉県日高市は、本当に車でないと行けないところだった。どうやっても遺品整理なんて私には無理だったのだが、それでも少し後悔した。
集めたコレクションは「見ると悲しいから」と、全て処分されてしまっていて、書斎には手塚キャラのポスターだけが寂しく残っていた。(ちなみに「新宝島」の初版本もあって、今になって借りパクしておけば良かったとか思っている^^;)
生前「火の鳥」の連載誌『マンガ少年』や『COM』を譲り受けていて、これだけが私のコレクションとして手元に残った。

それからさらに三年の月日が経った。10月の命日近くになると「たまにはオイラのことを思い出してくれよ」と言われているようで、時折りとめどもなく涙を流してしまうのだった。
私が本を出版の夢を語った時にこう言われた。「どうせ目指すならベストセラー作家を目指してください」
今年、私は「本の出版」という目標をひとつ達成した。そして、来月11月4日に「トキワ荘塾」で初の東京での手塚イベントを手掛ける。
たぶん生きていたら一番喜んでくれたのが新井滋さんだっただろう。

わが家には、新井家から持ち帰った瓢箪が残されている。もとは、野口勲さん(『COM』「火の鳥」の担当編集者)が経営する「野口のタネ」から育てたものだ。ヒョウタンツギにちなんで瓢箪。その瓢箪に向かって私たち夫婦は「新井滋さんに献杯」と杯を交わしたのだった。

田浦誠治、森晴路資料室長、新井滋さん(2007年の手塚治虫ファン大会)
左から夫・田浦誠治、故・森晴路資料室長(手塚プロ)、故・新井滋さん(2007年の手塚治虫ファン大会)

森晴路資料室と話す新井滋さん
森晴路資料室長と話す新井滋さん(2007年の手塚治虫ファン大会)

新井滋さん、田浦紀子、小林準治さん(2008年4月25日、高田馬場にて)
新井滋さん、田浦紀子、小林準治さん(手塚プロ)
(2008年4月25日、高田馬場にて)

手塚治虫ファン大会2006(復活第1回)にて
手塚治虫ファン大会2006(復活第1回)にて。
高橋英雄さん、アトム、田浦紀子、田浦誠治、森晴路さん(手塚プロ)、新井滋さん、石之博和さん。
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