葛西健蔵氏ご葬儀3

アップリカ創業者・葛西健蔵氏の訃報が各誌報道で伝えられた。享年91歳。1973年の虫プロ商事、虫プロダクション倒産時に、手塚先生を債権者達から守り、漫画を描くことに専念させ「版権を借金のカタにしてはいけない」と自らも債権者でありながら、キャラクターの版権を一時的に引き受け、債権者から版権が濫用されることを防いだ「手塚治虫の恩人」と知られている。のちに、1979年から1980年に連載された『どついたれ』に描かれた葛城健二のモデルとなった。

その葛西健蔵氏の最後の姿を映したのが2016年2月に放送されたNHKの「ファミリーヒストリー」だった。既に話すことができなくなっていた葛西氏はディレクターの質問に筆談で応じた。
「手塚治虫はどんな人物だったか?」
「いだいなきじん」
「父親としてはどんな人だったか?」
「りっぱな人。あれだけ忙しいのにたまに食事していた。」
「子供と一緒にいたいと思われたということでしょうか?」

葛西健蔵氏ご葬儀1

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10月24日、大阪市住吉区のアップリケアで、葛西健蔵氏のご葬儀が営まれた。訃報を知ったのが23日の午後7時をまわっていたのでさすがに諦め、ご葬儀だけでもと思い参列した。さすがに立派な式で見た目ざっと300人くらいの弔問客がいただろうか。祭壇には「どついたれ」の絵が大きく飾られていた。読経の後、東京都知事、大阪市長、兵庫県知事などたくさんの弔電が読み上げられ、最後にNHK「ファミリーヒストリー」ディレクター・矢野哲治さんの弔電が読まれた。
「いつまでも教えを請いたい。手塚がそういった人。葛西健蔵さんありがとうございました。」

続いて、葬儀委員長である手塚プロダクション代表取締役社長・松谷孝征さんの弔辞。

葛西健蔵氏ご葬儀2

「季節は秋になり富士山が初冠雪を迎えました。東京から向かう最中富士山を見たのですが、曇っていて雪が見えず残念でした。手塚治虫は早く亡くなりましたが、かくいう私も73歳と年寄りの部類に入ってきました。葛西理事長とお会いしたのは昭和48年ですから、45年近く前になります。先ほどNHKの方の話がありましたが、手塚治虫がどん底になった時期、三つ会社があるうちに二つが潰れ、債権者会議まで遠方から来てくださり、すごい人だなと思いました。葛西理事長の活動の中で「あたたかい心を育てる」運動というのがあり、「三歳までの子供が一番大切なんだ」と語っておられます。理事長もひ孫さんまでおられ、読経の最中でも大騒ぎ、理事長の血をひいてますよ。それから、人間のおしまいが大切なんだということで、アップリケアをおつくりになって、でもこれは自分のためにおつくりになったようですね。ものすごい生命力で「生に対する執着」を感じました。「米寿の会」では全然お元気でいらっしゃいましたが、奥様が先に亡くなられましたね。91歳で亡くなられてしまいましたが、我々に残した言葉や想いを引き継いでいかなければと思います。手塚治虫の『どついたれ』が完成しなくて残念だったのですが、葛西理事長の想いを引き継いでしっかりやっていきますので、どうぞゆっくりお休みになってください。手塚治虫と会ってお話ししてやってくだい。どうもありがとうございました。」

お焼香をして、献花して出棺までお見送り。
大正生まれの「手塚治虫の恩人」の死を見送って感じたことは「また、これで手塚治虫がひとつ歴史になった」ということだった。
私の「記憶を記録にとどめる」活動はほとんど時間との闘いだと感じる。
そして「できること」よりも「できないこと」のことのほうが圧倒的に多く、いくら掴んでも掴んでも指の間からこぼれ落ちていく砂のようなものだ。
せめてその時間に立ち会うことは、何かを変える一助となるのだろうか。


葛西健蔵氏ご葬儀4

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