手塚サル年賀 2016

あけましておめでとうございます。
旧年中はお世話になりありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2016年 元旦
田浦誠治・紀子
「サブカルポップマガジン まぐま vol.20 手塚治虫と戦後70年」が発刊されます。
手塚るみ子さんや手塚先生の元アシスタントの三浦みつるさんなど、先生を直接知る方のエッセイから、研究者による論考まで、幅広い寄稿者がそれぞれの「手塚治虫」を語っています。
私も「阪急文化と手塚治虫」という論文を寄稿しております。
内容は、「虫ん坊」10月号に投稿したのと同内容です。
http://tezukaosamu.net/jp/mushi/201510/post.html

まぐま表紙

12月31日のコミックマーケットで先行発売後、1月20日頃一般発売予定です。
是非ともご購読ください。


コミックマーケット89
日時:12月31日(木) 10:00~16:00
会場:東京ビッグサイト(東京国際展示場)
サークル名:STUDIO ZERO
ブース番号:東5ホール ピ44b

書店にて【開発社】へご注文ください(1月20日~)
発売/開発社 TEL 03-3983-6052

通販にて蒼天社で取り扱っております
発行/蒼天社 TEL&FAX 0463-72-6601
蒼天社ホームページ
http://www002.upp.so-net.ne.jp/sohtensya/




サブカルポップマガジンまぐま vol.20手塚治虫と戦後70年
定価700円+税

目次
手塚治虫と戦後70年―「人生」に多大な影響を及ぼす、そのマンガ世界
もしもタイムマシンがあったなら / 手塚るみ子
地域のなかの「トキワ荘」史
~「てっさん」と呼ばれ、親しまれた手塚治虫 / トキワ荘通り住人・K
〝トキワ荘〟最後の入居者が語る〟静かなトキワ荘 / 向さすけ
君は『メトロポリス』を観たか?/どろろ 漫画と映画のあいだに / 新井啓介
ジャングル大帝」のレオは、なぜ色が白い / 竹内オサム
アシスタント時代の思い出 / 三浦みつる
手塚治虫と手塚先生と、ボクと僕。 / 川口貴弘
民話調手塚マンガ『はなたれ浄土』を読む / 稲垣高広
トランスセクシャルと手塚治虫 / 新井啓介
阪急文化と手塚治虫 / 田浦紀子
『ゆとり世代から見た手塚治虫』 / 佃賢一
私の「新寶島」の頃 / 田村幸生
永島慎二さんとの思い出 ―虫プロに在籍したダンさんとの日々 / 野谷真治
鉄腕アトムは実はテレビだった ――「透明巨人の巻」をめぐって / キム・ジュニアン
2つの「ブラックジャック」を読む / 小山昌宏
瞳の中の訪問者 手塚治虫本を読む
宮崎駿の手塚治虫批判について考えながら『千と千尋と神隠し』を劇場で観た / 新井啓介
ヴィスコンティの自画像を求めて(6)―退廃の美しさに彩られた孤独の肖像 / 梅田浩一
編集後記
表紙イラスト・構成:松田優花
ガールズ&ラブリー@芦屋大丸1

10月11日、大丸芦屋店で開催中の「手塚治虫ガールズ&ラブリー版画展」へ行ってきました。手塚作品の中でも、特に少女マンガにスポットをあてた展覧会で「リボンの騎士」「双子の騎士」「エンゼルの丘」「野ばらの精」「火の鳥・未来編」「あけぼのさん」「虹のとりで」「びいこちゃん」など可憐で美しいキャラクター達にスポットを当てた展覧会でした。

午後2時より手塚るみ子さんのトークショー。
1950年代~1960年代の手塚少女漫画の原稿は、手塚プロにも現存していないものが多いそうです。
「ブラック・ジャック」のピノコちゃんは、るみ子さんがモデルと言われていますが、るみ子さんが生まれる以前・・・1960年代前半までの手塚少女漫画は“少女達が思い描く理想の主人公”だったのに対して、1970年代1980年代の手塚少女キャラクターはピノコや「ブッキラによろしく」のトロ子のように癖があるけれども愛されるキャラ立ちしたものが多くなったという印象。実娘という身近な存在が出来たことによって、手塚先生の描く少女たちに変化が生まれたのかな、と思いました。

特に盛り上がった話が、講談社手塚治虫全集で未収録になった「野ばらよいつ歌う」について。1960年12月号~1961年4月20日号まで「少女サンデー」に連載されたものの、未完に終わった少女漫画で、私は高校生の頃、この作品がどうしても読みたくて随分苦労してコピーを入手した覚えがあります。とにもかくにも絵が可愛らしい。ドイツの音楽家のクララ・シューマンを主人公にした作品なのですが、短い期間で連載が中断してしまい、かなり長い間、幻の手塚作品だったのでした。のちに2005年にジェネオンから発行された「手塚治虫カラー秘蔵作品集」に収録。私の母がドイツ語の教師であった関係で、小学4年、中学3年、大学1年の夏休みにドイツに旅行に行ったことがあるのですが、その時に手にしていた紙幣がクララ・シューマンだった記憶があります。後で調べたら、ユーロに貨幣統一される以前のドイツの最後の100マルク紙幣のデザインがクララ・シューマンでした。のちに「アドルフに告ぐ」や「ルードウィヒ・B」などドイツを舞台にした手塚作品が生まれますが、1960年代からすでにドイツを舞台にした大河ドラマを手塚先生は描いていたわけですね。本当に未完の作品なのが惜しい。

1時間のトークショーはあっと言う間に終了し、るみ子さんと一緒に記念撮影。作品をひとおり見て、シンアンドカンパニーのアトムグッズを購入した後、るみ子さんからお茶に誘われ、ごんぱしんさんと私ども夫婦と4人で神戸風月堂の喫茶店へ。
「マコとルミとチイ」は何パーセントくらい実話なんですか?なんて質問をしたり、手塚話は尽きることなく、2時間半手塚談義。

私の関心はやはり「アドルフに告ぐ」の創作の背景でした。
るみ子さんは、手塚先生が仕事で関わった「ポートピア'81」(1981年開催の神戸ポートアイランド博覧会)で初めて家族で神戸に行き、この時、手塚先生に神戸の異人館などを案内してもらったとのこと。それ以降、神戸は大好きな街になり、以後何度も行くようになったと。るみ子さんの祖父である手塚粲さんは、昭和16(1941)年、丹平写真倶楽部のメンバーと共に神戸の亡命ユダヤ人の写真も撮影していて、父は祖父からその話も聞いていただろうと。なるほど、「アドルフに告ぐ」の連載は1983年からですから、思い出の地・神戸を舞台にした作品を、という思いは長年持っていたのかもしれませんね。

手塚治虫ファンクラブで知り合って結婚した私ども夫婦の馴れ初めから、最初に読んだ手塚漫画などまで聞いていただきました。本当に濃い手塚な一日を過ごさせていただき嬉しかったです。ありがとうございました。



以下は夫の日記より同日のレポートです。

ガールズ&ラブリー@芦屋大丸

嫁さんに連れられて芦屋の大丸へ。
手塚カラー画の版画展示販売で、その中に特に手塚少女マンガの可愛らしい版画を厳選して展示する一画があり、その仕掛け人が手塚るみ子さん。
タイトルも「手塚ガールズ&ラブリー版画展」で、その販促も兼ねたトークショーイベントが開催された。

るみ子さんは、シックな黒いハットにイエローベースの落ち着いたレギンスに黒いパンツと、オシャレな出で立ち。
一方浦メは、最初いつものヨレヨレのズボンにTシャツで出かけんとした。
しかし嫁に、無理矢理ユニクロ謹製「ジャングル大帝」Tシャツ&胸ポケットにスカーフをあしらったベージュのジャケット、卸したてのGパンに着替えさせられちまった。

るみ子さんは喋りも流暢。しかも台本をスラスラではなく、セレクトした少女原画をそれぞれ「自分の言葉で」解説してはった。
つまりこれは、後で嫁も言うておったが、作品に対する“愛”が迸っておったという事。
例えば『エンゼルの丘』の猿とオウムに対するLOVE度などに、るみ子さんの愛をひしひし感じた。

話の中で他に印象に残ったのは、手塚先生がピアノ独学であったという事。
前から先生がピアノを弾かれるのは知っていたが、師についた事もなく、学校に通った事もなく、完全に独学だったとわ!
そういえば年譜見ても、どこにも音楽を習ったとか、習いに行ったなんて一文はなかったな。家にあったレコードなんかを聴いて覚えたんだとか。だから先生は楽譜は読めなかったとか。まるでウェス・モンゴメリーやがな。
これがホントの「耳学問」・・・いや、音楽やから「耳楽問」か。

手塚るみ子さんと@芦屋大丸
トークショー終了後、るみ子さんと記念撮影。
それから少女マンガ版画を眺め、その色彩の美しさにうっとり。定番のリボン、エンゼル以外にも『鳥よせ少女』『虹のとりで』『孔雀貝』に『びいこちゃん』・・・。やっぱええなぁ~、60年代までのカラー手塚漫画わ。

すると、控室から出てきて帰ろうとしてたるみ子さんが我等を見つけ、お茶に誘って下さった。
嫁が間髪入れず「ハイ喜んで!」
こういう時ウチの嫁は遠慮を知らない。

そんなワケで、大丸の中の風月堂でケーキセットを戴きながら、手塚談義に花を咲かせまくった。
途中ウウェイターが、もう帰れとあがりを持ってきた。
にも拘らず話は尽きる事なし。延々2時間半。
るみ子さんは本当に話し好きな人なんやな。しかしその人柄に好感を持ったぜよ。

先日アップした8月4、5日の江戸表下向始末の続き。

江戸下向の際の定宿・東京グリーンパレスで、いつものブレックファーストバイキング。
そしてこれまたいつも通り、ほぼすべての料理を少しずつ皿に乗せてたいらげる。中国人旅行客の爆買いに対して、浦メのは爆食だ。
嫁に至っては、オニオンスープをお替りしておった。
バイキングをいいことに、相変わらずj地獄の餓鬼か、ワシらわ!!

部屋に戻り、チェックアウトが11時とレイトなんで少し朝寝す。
のそのそとチェックアウトした後、嫁はんが「これから明治神宮外苑に行くでぇ」
神宮外苑とはまた珍しい。なんでや?
そこに<聖徳記念絵画館>があるから、それを観に行くという。
明治天皇の誕生から逝去までに起きた日本の事件&天皇の事績を描いた日本画・洋画を80点ばかり展示しているという。
なんだこやつ、いつの間に国粋主義に走りやがったんだ?と思いきや、絵画館が「近建」、即ち近代レトロ建築だからだ。
なるほど左様か。

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ホテルにアデューして日テレ通りを市ヶ谷へ。
市ヶ谷から国鉄で信濃町へ出た。
それにしても大江戸も朝から暑いのなんの。
流石に外苑の森林道はやや涼しかったが、絵画館の前に出ると直射日光浴びまくりや。

で、この絵画館、かなり威風堂々とした重厚な建物で結構な迫力だ。
近代レトロ建築に興味のない浦メでも、感心しちまったぜ。

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入口で二人分の施設維持協力金(拝観料)を払うと、係のオジサンがカチンコチンに凍らせたおしぼりを4本(ひとり2本)渡してくれた。
お、気前がいいじゃねえか♪
と思いきや、なんと館内はクーラーがなく、各所に設置された扇風機が回っておるだけであった。
だからせめてもの熱さ凌ぎで、冷しぼのプレゼントやったのか。
しかし幾らだだっ広い館内でも、扇風機だけだとこりゃ暑い。

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絵画の方は、もちろん明治天皇中心なんだが、勝海舟と西郷隆盛の江戸城無血開城談判など、教科書で見覚えのある絵も何点かあり、また各作品の解説板に、その当時の国内外ニュースが掲載されていて、改めて近代日本史のおさらいになった。

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館を辞してまた市ヶ谷へ。
上智大学を右手に見やりながら麹町の方へズンズンと進む・・・と書きたいところだが、なんせ暑ぅて暑ぅて、ズンズンではのぉてヨタヨタとヨロメキ歩いた。

次の目的地は紀尾井町の文藝春秋社。
手塚先生の『アドルフに告ぐ』で手塚番をされてた編集者氏に、嫁が当時の連載にまつわるあれこれをインタビューするため、アポを取っていたわけ。
だから昼前の聖徳記念絵画館は、チェックアウトからアポ時間までの“つなぎ”だったわけ。

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文藝春秋のビルに入るのは生まれて初めて。なんとうちの本社と、目と鼻の先にあった。
1階のサロンに通され、たまたまだが菊地寛のブロンズ胸像の隣の三人席でお茶しながら、当時の原稿争奪戦の様子などを拝聴する。
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小学館の『陽だまりの樹』と重なっておったので、小学館の館ヅメ先にアシスタントだけ行かせて、先生御本人は文春が別の場所に隔離。
氏が当時の手塚プロマネージャーと計らって「先生どこに消えたんでしょうかねえ?困ったなぁ」と小学館手塚番の目の前で小芝居を打った話、
原稿が上がらなくて腹立って、手塚プロ近所にあった映画館に行って映画を観てたら、前の方の席にベレー帽を発見した話など、色々面白い逸話が聞けた。
ついでに昨今話題の又吉の話題に飛んだりして、なかなか有意義な約2時間であったわい。
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帰りがけ、折角なんでうちの本社を「誰か出てきたらどうしよう?」なんて少しドキドキしながら外から眺め、踵を返してグリーンパレスへ。

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チェックアウトはしたんだけど、重たいからそれぞれのキャリーバックを預かってもらっていたのだ。
兎に角暑かったのと、チェックアウト後も荷物を預かってもらった御礼も兼ねて、ホテルのレストランで冷たい稲庭うどん定食を戴いた。
ティータイムだから当然お茶やケーキが主なんだけど、なぜか稲庭うどんもあったのだ。ちめたい麦酒と共に戴いたのは言うまでもない。

品川まで出て、これまた江戸下向時の帰途の定番、駅構内ショッピングモールでつばめグリル謹製ハンバーグ丼を買う。
朝食バイキングと稲庭うどんで腹一杯にもかかわらず、のぞみ車内でたいらげちまった。
もうさすがに満腹だわい。この小旅行でまた体重増えたな・・・。

それにしても、九段下~麹町~市ヶ谷~信濃町~麹町~品川と、えらい移動範囲の狭い2日間であった。
電車移動時間でいうならば、浦メの家の最寄り駅~淀屋橋~梅田~難波~淀屋橋~自宅最寄り駅・・・ぐらいの感覚かな。
わざわざ東京まで行ってさ(苦笑)
8月4日、5日と上京。なんと約9か月ぶりの上京。
しかし、毎度上京の用事がすべて手塚関連というのもナンなんですが、今回も手塚な二日間でした。
というわけで、夫の日記より転載レポ。

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8月4日(火)。夏休み期間を利用して久々の上京である。
朝日ソノラマでソノシートを大ヒットさせた仕掛人・橋本一郎氏が、少年画報社から『鉄腕アトムの歌が聞こえる~手塚治虫とその時代~』を上梓され、その出版パーテーが江戸は九段下・ホテルグランドパレスで開催されるためだ。
当然、橋本氏はウチの嫁はんのお知り合い。浦メはそれにノコノコついて行ったのだ。

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ソノシート・・・この言葉の響きに得もいわれぬ郷愁を抱くのは、浦メのやうなオーバー40から上の世代であろう。
浦メも「宇宙猿人ゴリ・怪獣列車を阻止せよ」とか「快傑ズバット」「ウルトラマンレオVSカリメロVS魔女っこメグちゃん」「仮面ライダーVSショッカー再生怪人軍団」「強いぞがんばれミラーマン」なんてのを所有している。
尤も残念ながらいずれもソノシート本体のみで、ジャケットというかライナーノーツというか、ソノシートが収まっていた絵本自体は無いもんだから、まんだらけに持って行っても二束三文だが・・・。

それはいいんだが、嫁がドレスコードがどうのこうのとか、スーツかジャケットで行かんかい、とか小うるさく言うもんだから、この「猛暑×酷暑+日差し」なエブリデーにも関わらず、ダークスーツで参加。
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いや暑い暑い。大阪は最高気温が39℃オーバーだったりするのに対して、ビテレのニュースを観る限りでは江戸表は35℃やから少しはマシかいなと思いきや、
「暑いもんは暑い!美味いもんは美味い!(by鶴瓶)」
やがな!!

嫁が実に珍しいことに、予定起床時間よりも早くに起きよったため、なんとパーテー開始の15分ぐらい前にテルホに到着。
なんという奇跡だ!
いつもイヴェント事にあっては、よくて時間ギリギリ、通常は遅刻常習やのに・・・嫁はん大丈夫かいな???暑さで頭がおかしくなってもうたか?

暑いけど忍び難きを忍び、耐え難きを耐えて黄色いアトムネクタイをギュッと締め、23階の会場であるラウンジにGO。
入り口でマンガフリークの駸々堂さんと合流。
赤いシャツに黄色いタイという出で立ちで、浦メは思わず「ルパン三世みたいですね~♪」
まあかく申す浦メもスーツ上下にまたしても黒いグラサンをかけて間久部緑郎を気取ってたんだが・・・。

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受付近くには手塚プロの松谷社長、古徳重役が。
社長は、かりゆしみたいな涼しげなカジュアル姿。古徳重役もノージャケットにノーネクタイの開襟シャツ姿だ。
な~んや、スーツでなくて全然OKやないかい・・・。

受付を済ませて奥へ進むと、マイミクのマッキーさん&ウォレスさんがいらっしゃった。
マッキーさんもカジュアルスタイル、ウォレスさんはバシッとダークスーツにネクタイで決まっておられた。
そのうちに、同じくマイミク・ぬー坊さんやのん気NGさんといったお馴染みの関東手塚ニアン諸兄もやってきた。

定刻となり、発起人である少年画報社社長の開会挨拶→主役・橋本翁の御挨拶→松谷社長の乾杯ノ音頭と進んでパーテースタート。
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浦メはビュッフェスタイルかと思っていたが、テーブル席であった。
この手のパーテーでは当然の流れではあるが、我等は我等で親しいもん同士が集まり、他のテーブルも、恐らく出版関係であろうかそれぞれ心安いメンバー同士で集まって、ワイワイと飲み食い。

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途中、橋本翁がグラス片手に挨拶に来られた。
件の御著書の巻末謝辞に、なぜか嫁の名前が記されていたので「この小動物が、またなにか粗相を致しましたか?」
と、旦那として先に翁に謝ってやった。
翁からは、奥方には色々とお世話になったから芳名を挙げさせて頂いたと、過分の御言葉。
ホンマかいな?

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こういうパーテーゆえ、料理は油系が多い。だからルービーもカンカンと進んだ。
ついにはぬー坊さんが白ワインを始められたので、マッキーさんと浦メも同じく白ワインに。
大東京の夕景を眺めながらワイングラスを傾けてたら、酔った酔った。

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終了予定時刻を20分ほどオーバーして御披楽喜。
我等はそのままテルホのトイメンの、ジョナサンで二次会。
話は去年のファン大会のゲスト人選の裏話から始まって、宮崎駿の手塚批判について、などなど大いに高歌放吟した。
21時近くになって解散。

わしら夫婦は、上京した時の常宿・麹町の東京グリーンパレスに投宿した。
勿論、グリーンパレスに泊まる時の行き付けとしておる近所のセブンイレブンで、お夜食としてカップヌードルを購ったのは言うまでも無い。

それにしても、冒頭にも書いた通り、浦メは直接には橋本翁を存じ上げず、単にワンワンと飼い主である嫁にくっついて来ただけであったが、「ファン大会アフター二次会」の再現みたいなプチ手塚オフ会となり、大いに満足したぜ。
手塚治虫公式サイトの「虫ん坊」の投稿コーナーで『アドルフに告ぐ』ゆかりの地めぐりのレポートを執筆しております。
当初、単発投稿で・・・と思っていたのですが、取材し始めると、神戸の街の歴史文化の魅力と『アドルフに告ぐ』のストーリーの奥の深さにハマってしまいました。
同行した夫や友人たちと『アドルフに告ぐ』の漫画の再現もやっています(笑)。

「アドルフに告ぐ」を片手に有馬温泉へ
http://tezukaosamu.net/jp/mushi/201504/post.html

有馬温泉の乙倉橋 漫画再現1

有馬温泉の石段 漫画再現1

『アドルフに告ぐ』ゆかりの地めぐり<神戸編その1>
http://tezukaosamu.net/jp/mushi/201505/post.html

21萌黄の館テラス 台詞あり
23門邸前 台詞あり

『アドルフに告ぐ』ゆかりの地めぐり<神戸編その2>
http://tezukaosamu.net/jp/mushi/201506/post.html

5諏訪山よりパノラマ写真

『アドルフに告ぐ』ゆかりの地めぐり<神戸編その3>
http://tezukaosamu.net/jp/mushi/201507/post.html

14現在の元町5丁目
ブログの更新、3ヶ月ぶりです(^^;)
最近、ほとんどfacebookとツイッターに移行しています。
久々に夫が手塚日記を書いてくれたので、転載します。


なんとまあ、今年1月の初頭に、大河ドラマ「花燃ゆ」について書いて以来、六か月ぶりの日記や。
今まで何やってた?
はい・・・実は『火の鳥』よろしくムーピーゲームにうつつを抜かしまくっておりやして(苦笑)
気持ち良かったぁ~・・・アホ!

で、6月27(日)、嫁はんと京都芸術劇場春秋座の舞台「アドルフに告ぐ」を観に行った。

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京都造形なんざ、前職の時に上司の命令で納品に行って以来だべ。
白川通まで乗り付けると、いきなり煉瓦張りの、タカラヅカもかくやと思しき大階段が屹立しておった。
蒲田行進曲の「階段落ち」みてえに急な大階段を上がると、そこは京都造形芸術大学附設劇場「春秋座」であった。

おかしいぜ、普通は大学の正門化玄関ぢゃねえのか?
いきなり附設劇場とは、これいかに?
学生用の正門は別にあんのか?
と疑問を抱きつつも入場。
嫁はんがゲットした席は桟敷席であった。なんとなく仏蘭西の王侯貴族気分。
場内は、ほぼ満員御礼。

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劇自体は、原作をウマい具合に180分できっちり料理していた。
あとで嫁はんともダベリあったんだが、3人のアドルフの内、唯一実在の人物・アドルフ=ヒトラーに、割とたっぷり時間を割いていた。
これは良かったね。

物語冒頭をはじめ、要所要所で登場する、アドルフたちの運命を象徴するかの様な「天使」(?)マリアの存在感も良かった。
Uボートで戦時下日本へ向かうカウフマンをマリアの亡霊が悩ませるシーンは特に印象深かったぜ。

あとは、大ラスのカミルとカウフマンの決着までしっかり描かれていた事も、「ほお、そこまで描くか」と感心した。

尤も嫁はん曰く、「原作でもナゼ平和主義者のカミルがラストでは平気でアラブ人を殺戮する軍人になってしまったのかが判然とせず、それだけが不満。」
それは浦メも全く同意見なのだが、それはそれとして、ヒトラーをしっかり描写し、中東問題も取り上げた姿勢に、浦メは拍手だ。
なんとなれば、一朝有事にあってはまず間違いなく前線に立つ事のない優秀な政治屋センセー方によって、なにやらキナ臭い方向に我が国が誤誘導されてやせんか?と極めて不安な昨今にあって、今回の「アドルフに告ぐ」は当節時宜を得た演劇であったからよ。

最後にまたひとつだけ文句を言わせてもらうならば、客演の鶴見辰吾を、カーテンコールでももうちょっとリスペクトしても良かったんぢゃねえかな?
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3月6日(金)の朝日新聞夕刊で、ナカノシマ大学2月講座「街から読み解く手塚治虫」のことを紹介いただきました。
執筆は、京都国際マンガミュージアムの雑賀忠宏さん。
「大阪の役割」再評価進む
として、マンガ史の中で大阪が担ってきた役割について語っておられ、中野晴行氏の著作についても触れられています。

朝日新聞20150306ナカノシマ大学紹介記事
 
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2月11日、ナカノシマ大学2月講座「街から読み解く手塚治虫」を開催いたしました。会場は、手塚先生が少年時代通い詰めたプラネタリウム「カール・ツァイスⅡ型」が展示保存されている大阪市立科学館。約100名の方にご参加いただき、大盛況、充実の2時間でした。1月31日にNHK・Eテレで手塚治虫特番の放送、2月9日の命日。そして迎えた2月11日のイベントは期せずしてタイムリーな企画となりました。

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右から登壇者の加藤賢一さん(前・大阪市立科学館館長)、筆者・田浦紀子、長﨑励朗さん(京都文教大学専任講師)

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実はこの企画のために、私はほとんど一年がかりの取材と準備と調整をしてきました。まず、一番に協力をお願いしたのが、私の長年の活動の理解者である加藤賢一先生。加藤先生は、旧電館時代より約40年間、科学館に勤務され、1987年の手塚治虫先生の講演会企画に携わられました。2014年3月で大阪市を退職し、岡山理科大学に移籍されるとのことだったので、退職直前に押しかけ取材。この時に加藤先生から聞いたのが1985年に放送されたテレビ番組「11PM」の存在でした。

「11PM(イレブンPM)手塚治虫NANIWAグラフィティ」(1985年3月21日読売テレビ放送)。宝塚や大阪の想い出の地を手塚先生自ら案内するという企画。この番組で訪れた中のひとつが四ツ橋の電気科学館です。この番組はその後の手塚先生と科学館との再交流のきっかけとなりました。番組の録画テープを手塚プロの森晴路さんが保管されていたことにより、約30年ぶりに科学館で上映に漕ぎ着けることができました。森さんは、当日も埼玉から大阪までお越し下さいました。

次に私が協力をお願いしたのが、京阪電鉄のフリーマガジン「月刊島民」を発行している編集集団140Bの大迫力さん。「手塚治虫にまつわる自分の目標の実現のために力を貸して下さい」と。大迫さんとの出会いがきっかけで、「月刊島民」2014年7月号の特集「手塚治虫が歩いた道。」計8ページを執筆。まわりの反響も大きな1冊となりました。

「この特集記事をリアルなイベントでやりたい」という私の思いが、半年後に実現することに。繋がるべくして繋がった様々な人との出会いが、今回のナカノシマ大学2月講座となった次第です。裏方で働いて下さった科学館の嘉数さんや大迫さんに叱咤されながら、企画を一歩一歩前に進めていきました。自分一人ではできないことが、信頼できるまわりの人の力を借りることによって、このように実現できるものかと感動。

今回のお土産の銘菓プラネタリュームを製造している、千成一茶の大原一憲さんと加藤賢一先生は、約30年ぶりの再会でした。1985年~1987の手塚先生と電館との再交流の時期、ちょうど電気科学館のスタッフだったのが、このお二人。さらに、科学館特製クリアファイルの電館時代のツァイスⅡ型プラネタリウムの写真が、加藤先生が撮ったものだと判りびっくり。

「大阪・科学・手塚」を切り口に、様々な物語と人との出会いが繋がり、思いが結実した一日となりました。

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社会学の観点から手塚治虫について語る長﨑励朗さん。
「手塚治虫がプロデューサーとしての能力を持ち続けたのはなぜか」
「それは40年間の漫画家生活で常に“一番でいたい”と思いを持ち続けたからではないか」と対談しました。

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「月刊島民」の編集者でイベント全体の運営をして下さった大迫力さん。

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終了後は、大阪市立科学館主任学芸員の嘉数次人さんによるプラネタリウム「ツァイスⅡ型」の案内。

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加藤賢一先生と千成一茶の大原さん親子。

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加藤賢一先生と一年ぶりの再会。プラネタリウム「ツァイスⅡ型」の前で。

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「マアチャンの日記帳」を生んだ大阪毎日新聞社跡の玄関モニュメント前にて。
手塚プロの森晴路さんを囲みマンガ学会メンバーと。

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ナカノシマ大学2月講座のお土産。
手塚号と科学館号の「月刊島民」、銘菓プラネタリューム、電館時代のツァイスⅡ型プラネタリウムの科学館特製クリアファイル。
NHK Eテレの大型大型企画【戦後史証言プロジェクト】で手塚治虫が取り上げられます。
日本人は何をめざしてきたか
第8回 手塚治虫
Eテレ2015年1月31日(土)午後11時~翌0時30分